「生きる支え」としてのアートを、5人の才能あふれるつくり手を通じて紹介する展覧会「Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる展」が、10月9日まで、東京都美術館で開催中です。手法や道具も異なる5人に共通するのは、人生の晩年に本格的にスタートした芸術制作が、生きるために必要な行為だったこと。本記事では、この5人の制作活動の背景について紹介します。
東 勝吉氏
東 勝吉氏は、明治41年大分県日田市に生まれです。木こりを引退した後、老人ホームに入所しました。子供のころ絵を先生にほめられたことを思い出したことがきっかけで、なんと83歳で水彩画を始めました。99歳で亡くなるまでの16年間で、故郷である由布院の風景画を中心に、100点あまりを制作。東京での作品展示は初となります。
平成3年に亡くなりましたが、同9年にはドキュメンタリー映画、19年には九州の複数の都市で回顧展が開かれ、21年にはその名前を冠した東勝吉賞水彩画公募展「陽はまた昇る 83歳からの出発」が開かれるなど、その後も高い評価を受け続けています。
増山 たづ子氏
岐阜県旧徳山村生まれ。夫は太平洋戦争に召集されて行方不明になり、戦後は農業のかたわら民宿を営み、2人の子どもを育てました。村が水没する徳山ダム計画が本格化した1977年、村の自然や人々の暮らしをコンパクトカメラで撮影し始めました。
満開の桜を重機が引き倒す写真がエイボン功績賞を受けるなど、作品は少しずつ注目を集めていきました。移転した村人たちのその後の姿も追い続け、亡くなる4日前まで撮影した写真は10万カットにも上ります。失われてゆく故郷への思いは人々の共感を集め、日本各地で展示会が開かれています。
シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田氏
イタリアのサレルノで生まれ、ローマの美術大学院のほか、給費留学生としてパリでも研さんを積みました。パリで彫刻家の保田春彦氏と出会い結婚、その後来日します。夫を支えながら家事や育児にいそしむ日々の中で、時間を見つけてはデッサンや小型の彫刻に取り組みました。作品には家族へ向けられた愛にあふれるまなざしと、敬虔なクリスチャンとして、またヨーロッパの美術を肌で知るアーティストとしての表現が垣間見えます。
ズビニェク・セカル氏
1923年にチェコのプラハで生まれ、反ナチス運動に関わったために青年期に強制収容所に収監されました。その後出版社での勤務や兵役を経て、創作を始めたのは40歳を過ぎてからです。
戦争にまつわる体験は彼の作品に深く影響し、彼の彫刻作品は無機質でありながら、独特の存在感を放つ作品となっています。セカルは1983年に来日したこともありますが、今回の展覧会で紹介されるのはウィーンとプラハの個人所蔵品を中心とし、ほとんどが本邦初公開の作品たちです。
ジョナス・メカス氏
1922年リトアニアに生まれ。第二次大戦末期、祖国はナチスドイツの占領下におかれ、メカスはナチスの迫害から国外へ逃げようとしますが、捕まってドイツ国内の強制収容所に収監されました。第二次大戦終結後は難民収容所を転々とした後、49年にニューヨークにたどり着きます。
言葉も通じない異国での苦しい生活の中、16ミリカメラを入手して自身の日々を詳細に記録し、カメラで撮影した写真と合わせた「日記映画」という作品に仕上げました。中でも1969年に発表した『ウォールデン』は、独自のカメラワークと情感あふれる作品として人気を呼び、アメリカのインディペンデント映画史を代表する作品の1つに数えられています。
アートに投影された「生きざま」を思う
生まれた国も時代も異なるこの5人の作り手が、時に困難な状況でありながら、情熱を傾けて制作を続けた理由は何だったのでしょうか。彼らにとって彼らのアートは、生きる支えであり、生きた証であったことでしょう。私たちは彼らの作品に向き合うとき、その命の声を聞くことになるのです。そしておのずと、彼らの人生にも思いをはせることになるのでしょう。
(提供:JPRIME)
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