目次

  1. 要旨
  2. はじめに
  3. 最優先の新型コロナ対策
  4. 成長なくして再分配なし
  5. 「令和版所得倍増」の課題
  6. 格差改善に効果的な「高圧経済政策」

要旨

  • いくらマクロ安定化政策で経済活動を活性化させようとしても、新型コロナウィルス感染により医療現場がひっ迫してしまっては、行動制限を余儀なくされ、経済の正常化どころではない。まず海外のように臨時の医療施設を増設すること等により、感染者数がある程度発生する中でも行動制限を発出しなくても済むような医療体制を強化することが不可欠。一刻も早いより効果的な治療薬の開発・普及を急ぐことで、新型コロナウィルスに感染しても一般の開業医などで迅速に診断・薬の処方で対処できるような体制を構築することが求められる。
  • 当初所得ジニ係数によれば、2014年から2017年にかけては低下に転じている。さらに、再分配所得ジニ係数は2000年代後半以降低下トレンドに転じている。感覚や格差の実態を表さない指標を基に格差が拡大していると判断すると、経済政策の判断を誤る可能性があり、多くの国民が経済成長の恩恵を受けられなくなる。デフレギャップが大きく残存する現局面では、総需要を持続的に増加させ、一刻も早く経済の正常化に結び付ける政策が優先されるべき。
  • アベノミクスが大きな成果を上げたにもかかわらず、拙速な消費増税により経済の正常化まで至らなかったことからすれば、岸田政権のマクロ安定化政策成功のカギを握るのは、経済が完全に正常化に至るまでは再分配より経済成長を優先し、いかに増税を我慢できるか。
  • 参考になるのが、米国で実施されてきた「高圧経済政策」。高圧経済論は、経済の過熱状態を暫く容認することで、格差問題の改善も含めて量・質ともに雇用の本格改善を目指すもの。高圧経済によって労働市場で弱い立場にある若年層や女性雇用に恩恵が及び、格差改善により経済全体の生産性も高まることで潜在成長率も高める。
  • 海外で進んでいるマクロ経済政策の新たな見方では、成長を促す分野や気候変動対策等への効果的な財政支出による成長戦略が新たな経済・財政運営のルール。超低金利下では財政収支悪化のコストも小さく、格差の是正など多様化する中長期の社会・経済課題の解決に向けて改革に取り組むことを岸田政権には期待する。

はじめに

9月29日に行われた自民党総裁選において岸田文雄氏が勝利し、第100代の内閣総理代人に就任することが確実となった。そこで本稿では、現時点での岸田氏が掲げるマクロ政策運営の分野に絞って、新政権の課題をまとめてみたい。

最優先の新型コロナ対策

まずは、新型コロナ対策が最優先となろう。いくらマクロ安定化政策で経済活動を活性化させようとしても、新型コロナウィルス感染により医療現場がひっ迫してしまっては、行動制限を余儀なくされ、経済の正常化どころではないからである。

これに対して岸田氏は、「医療難民ゼロ」「ステイホーム可能な経済対策」「電子的ワクチン接種証明の活用と検査の無料化・拡充」「感染症有事対応の抜本的強化」のコロナ対策4本柱を提唱している。

中でも重要なのが、国・自治体に与えられた権限をフル活用し、病床や医療人材の確保を徹底することだろう。実際に岸田氏は、国が主導して野戦病院等の臨時医療施設の開設や大規模宿泊施設の借り上げを実施することに加え、国公立病院のコロナ重点病院化や、発熱患者や自宅療養者が地域の開業医を積極的に受診できるようにすることで、必要な医療にアクセスできない状況を改善するとしている。

このため岸田政権は、まず海外のように臨時の医療施設を増設すること等により、感染者数がある程度発生する中でも行動制限を発出しなくても済むような医療体制を強化することが不可欠となろう。また、究極的なことを言えば、日本国民の新型コロナウィルスに関する恐怖心が季節性インフルエンザ並みに低下しない限り、移動や接触を伴う経済活動が完全に戻ることは困難だろう。こうしたことからすれば、一刻も早いより効果的な治療薬の開発・普及を急ぐことで、新型コロナウィルスに感染しても一般の開業医などで迅速に診断・薬の処方で対処できるような体制を構築することが新政権には求められる。

成長なくして再分配なし

一方、岸田氏の経済政策は「新しい日本型資本主義」と銘打ち、新自由主義からの転換を掲げている。そして、当面のマクロ経済運営の3原則として、「デフレ脱却に向けアベノミクス三本の矢を堅持」「コロナ禍への万全な対応のため財政積極活用」「経済正常化を目指しつつ財政健全化の旗を堅持」としている。

この点に限って判断すれば、岸田氏が描く経済政策は基本的にグローバルスタンダードな経済政策であるアベノミクスを継承しつつ、小泉構造改革以降に主流となった新自由主義を転換して、成長と分配の好循環を目指すということになろう。

こうした再分配政策に大きく影響しているとされるのが、格差の拡大を理由に、これまでの景気回復を体感温度の上昇として実感できている人は必ずしも多くないとする向きがあることだろう。ただ、あくまでそれは定性的な判断であることが多く、所得の不平等さを測る指標はジニ係数によって算出されることからすれば、格差が実際に拡大してきたかどうかは、実際のジニ係数によって評価すべきだろう。

そして、実際に厚労省が計測した当初所得ジニ係数によれば、1999年以降上昇ペースが上がったが、直近2014年から2017年にかけては低下に転じていることがわかる。つまり、巷で広がっているアベノミクスで格差が拡大したという噂は誤解であり、むしろ低所得層の雇用所得環境改善で格差が縮小に転じているといえる。

『第一生命経済研究所』より引用
(画像=『第一生命経済研究所』より引用)

さらに、再分配後の格差を判断するには「再分配所得ジニ係数」がより重要であり、税・社会保険料、現金給付、医療・介護や保育などの現物給付を合わせた所得再分配の状況を反映したほうがより現実に近い。そして、再分配所得ジニ係数は2000年代後半以降低下トレンドに転じており、ジニ係数の改善度を税と社会保障に分けると、社会保障による改善度が相対的に大きく上昇している。こうしたことからすれば、これまでも公的年金をはじめとする社会保障による再分配が効いており、当初所得ジニ係数の動きのみで判断すると、格差が拡大しているとミスリードしてしまうことになる。

こうしたことからすれば、感覚や格差の実態を表さない指標を基に安易に格差が拡大していると判断すると、経済政策の判断を誤る可能性があり、多くの国民が経済成長の恩恵を受けられなくなる可能性がある。このため、デフレギャップが大きく残存する現局面では、総需要を持続的に増加させ、一刻も早く経済の正常化に結び付ける政策が新政権では優先されるべきだろう。

『第一生命経済研究所』より引用
(画像=『第一生命経済研究所』より引用)

「令和版所得倍増」の課題

ただ今回、岸田氏が打ち出した政策の特徴として、これまで岸田氏の代名詞であった緊縮財政色が薄まっていることは好感できる。実際、今回打ち出された新型コロナ対策でも、持続化給付金や家賃支援給付金の再支給、困窮世帯を対象とした家計向けの給付金等を提言しており、数十兆円規模のコロナ対策の財源は国債で賄うとしている。

こうした政府と中銀が協調する政策は、コロナショック後の主要国で行われてきたグローバルスタンダードなマクロ安定化政策であり、経済が正常化するまでは経済成長を最重要視し、あまり再分配に偏りすぎなければ望ましいマクロ安定化政策と評価できる。

しかし、経済の正常化を目指しつつ財政健全化の旗を堅持していることには注意が必要だろう。というのも岸田氏は、子育て世代への住宅・教育費支援など中間層を拡大して令和版所得倍増を目指すとする一方で、年収1億円以上の所得税負担率の税率カーブが下がる1億円の壁を打破するとしている。そして、中間層復活のための政策として金融所得課税の見直しに取り組む意向も示している。

経済正常化後に再分配政策を強化することは望ましいことである。しかし、アベノミクスが大きな成果を上げたのに、拙速な消費増税により経済の正常化まで至らなかったことからすれば、新政権のマクロ安定化政策成功のカギを握るのは、経済が完全に正常化に至るまでは再分配より経済成長を優先し、いかに増税を我慢できるかであろう。

格差改善に効果的な「高圧経済政策」

こうした点で参考になるのが、米国で実施されてきた「高圧経済政策」である。事実、バイデン米政権下で金融・財政政策のフル稼働が続いたことにより、米国経済は世界に先駆けて金融政策の正常化に向かいつつある。そしてこの背景には、イエレン財務長官とパウエルFRB議長が高圧経済政策を意識してきたことがある。

そもそも高圧経済論は、経済の過熱状態を暫く容認することで、格差問題の改善も含めて量・質ともに雇用の本格改善を目指すものである。そして、著名経済学者オークン氏が1973年に執筆した論文では、高圧経済によって労働市場で弱い立場にある若年層や女性雇用に恩恵が及び、格差改善により経済全体の生産性も高まることが示されている。さらに、リーマンショックやコロナショック等の深刻な不況が失業者の人的資本の毀損等を通じて潜在成長率も低下させたことからすれば、高圧経済は潜在成長率も高めることになる。

一方、海外で進んでいるマクロ経済政策の新たな見方では、成長を促す分野や気候変動対策等への効果的な財政支出による成長戦略が新たな経済・財政運営のルールとなっている。このため、政府と中央銀行のバランスシートを連結した一体運営が重要とされている。金融政策の限界を念頭に低インフレ、低金利で金融政策の効果が低減する中、金融政策と財政政策を一体運営することで、財政政策の役割の重要性が示されている。そして、超低金利下では財政収支悪化のコストも小さく、格差の是正など多様化する中長期の社会・経済課題の解決に向けて改革に取り組む必要があるとしている。

『第一生命経済研究所』より引用
『第一生命経済研究所』より引用
(画像=『第一生命経済研究所』より引用)

しかし今のところ日本では、こうした高圧経済政策の環境が整っていない。この理由として、財政規律が意識された政府・日銀の政策連携についての共同声明の存在や、2025年度のプライマリーバランス黒字化目標が維持されていることがある。政府と日銀の連携をより強めるには、インフレ率とGDPギャップの関係が重要である。内閣府のGDPギャップに2四半期程度遅れてコアCPIインフレ率が連動しており、インフレ目標+2%に達成するために必要なGDPギャップ率が+2%程度になることがわかる。

日銀がインフレ目標2%に向けて金融緩和を続けても、アベノミクス時のようにGDPギャップが+2%に到達する前に財政政策が引き締めに転じてしまうと、日本経済の正常化は困難といえよう。日本で高圧経済政策が機能するには、政府と日銀が現在の財政規律を意識するアコードを見直し、内閣府のGDPギャップ+2%達成するまで財政規律目標を先送りすることが必要になる。

以上のように、感覚や格差の実態を表さない指標を基に安易に格差が拡大していると判断すると、経済政策の判断を誤る可能性があり、多くの国民が経済成長の恩恵を受けられなくなる可能性がある。従って、デフレギャップが大きく残存する現局面では、総需要を持続的に増加させ、一刻も早く経済の正常化に結び付ける政策が優先されることを岸田政権には期待する。(提供:第一生命経済研究所

『第一生命経済研究所』より引用
(画像=『第一生命経済研究所』より引用)

第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部
首席エコノミスト 永濱 利廣