本記事は、田村秀男氏の著書『「経済成長」とは何か - 日本人の給料が25年上がらない理由』(ワニブックス)の中から一部を抜粋・編集しています

「カネ儲け」のイメージ

金儲け
(画像=bee/PIXTA)

かつて村上世彰氏が「お金儲けして何が悪いんですか」と発言して物議を醸したことがあります。市場経済でカネ儲け自体は悪くないですし、当然のことです。

ただし、資本主義は市民の倫理や道徳が作用することで進化してきた歴史があります。日本もそんな伝統が明治維新以降、脈々と受け継がれています。カネ儲けをして、税金はきちんと納め、国家に貢献しますとか、あるいは慈善事業に寄付します、そういう社会に役立つこともやりますと言えば良かったのでしょうが、そういう意識が希薄のように見えます。「つべこべ言うんじゃない、儲けて何が悪い」のようなニュアンスで世間には聞こえてしまったのだと思います。

確かにビジネスというのは儲けなきゃいけないのです。利益獲得動機こそが新規分野への投資をもたらし、経済のダイナミズムを生むのです。ただし、会社を売り買いして儲ける、アメリカ型のハゲタカ式ファンドには社会的使命感が感じられませんね。品格なしです。

いま渋沢栄一の『論語と算盤』がブームになっていますが、ではカネ儲けしてもきちんと社会に還元するという、本当の美徳意識を日本人が皆持っているかというと、大きな疑問符が付きます。なぜかというと、税金を払わない企業がじつに多いのです。

私は資本主義である以上、国民にも企業にも大いにカネ儲けをしてもらう経済であるべきだと思います。ただし、きちんと税金は払わせねばなりません。これは国家の運営の基礎ですから。

ただ残念なことに、税金を払わない企業が威張っているのが、日本の経済界の実態です。これはやはりおかしい。法人税というのは、その企業の事業を支える国家と国民に報いることで、日本国籍を持つ法人の義務なのです。

私はデフレ経済のもとでは、消費税を増税すべきではないと論じてきたし、新型コロナ禍では消費税率をゼロにすべきだとも主張していますが、法人税減税は賛成できません。税金を払わない企業が多すぎ、とても義務を果たしているとは思えないからです。

結局、財界の政治献金に代表されますが、与党が財界に弱いのです。票田というか、企業の組織票も絡んできます。

連合にしても組織票をすべて野党に流すことはありません。企業ぐるみで与党の候補者を推すことのほうがむしろ多い。といういろいろな意味で、政治家にとってみると、財界を敵に回すわけにはいかないのです。こういうことには民主主義の弊害のようなところもあると思います。

チャンスは経済成長が増やす

いつの世にも経済的弱者は出ます。しかしその人たちにも豊かになるチャンスを与え、発展していく環境を整備するのが国家であり、政治です。

国家とは何でしょう。西洋流の説明をすれば「共同体」です。幻想であろうが、フィクションであろうが、国家は共同体なのです。日本古来の文化的な背景を持った言葉で適切なものがあるかはわかりませんが、やはり「くに」ということではないかと思います。それは仲間意識でもあるし、家族主義でもある。「くにを同じくする仲間だから、支えないといけない」という精神意識です。

そして、それを人々のなかに醸成するのは、どれだけ時代が変わっても、家庭と学校を含めた教育でしょう。教育が不充分でその精神意識が薄れていくと、「いまだけ、カネだけ、自分だけ」の精神が幅をきかせて、共同体としては崩壊していきます。先に例として触れた村上世彰氏はある意味で不充分な教育の落とし子のような人かもしれません。

先述のように、資本主義の論理からすればカネ儲けに励むのは当然の話です。皆どんどんカネ儲けしたほうがいいのですが、「する」ということと「できる」ということは違います。必要なことは皆がカネ儲けできる環境を整えることです。

皆がカネ儲けできるようにするためにはどうすればいいかというと、そこに「経済の成長」という問題が生じてきます。これも何度も言ってきましたが、経済が成長しないと、パイが大きくならないから、若い人を含めた新興勢力にチャンスが生まれません。チャンスの範囲が非常に狭くなる。加えて、経済が成長しないと先行き不安から、既得権益に与っている人たちが絶対にそれを手離しません。そうなると、これから借金や投資などのリスクを冒して新しい事業を展開していこうという世代にとってみれば、お先真っ暗です。

例えば東京大学でも天才的な頭脳の持ち主だと評判の学生がIT企業を立ち上げると、銀行もすぐに「お金を貸しましょう」となるかもしれません。こういう限られた才人たちは、どんな時代でも周囲のサポートが得られ、新規事業の立ち上げができるでしょう。

しかし、それでは例外的な成功例ということになります。一般的な意味で、誰にでもチャンスはあると思わせないといけません。そういう社会はやはり経済が成長しないとできない話ですし、それを実現するのが政治の仕事です。

だから「ゼロ成長でもいい、成長しなくていいんだ、このままでいいんだ」と言うことは、誰にもチャンスがなくてもいいというのと同じ意味なのです。

私は経済成長を軽視した国家、つまり日本はものすごく不公平だと思います。税金を払わずに節税ばかりやって、毎日うまいものばかり食べている既存のカネ持ちがいかにぬくぬくと生活しているか、私は仕事柄よく目の当たりにします。一方で「若いのだからちょっと失敗したくらいで何を言っているんだい。がんばれよ」という風潮は永遠に来ないのではないかと思ってしまいます。チャンスが与えられず、結婚もできずにフリーターで一生過ごす。そんな若者が増えていく。政治がデフレ政策を継続し、経済のパイ縮小を放置するのは、国家と国民に対する重大な裏切りであり、見えざる犯罪ではないでしょうか。

節税に励み株で儲けて、ゆとりある暮らしをしている既得権益者たちを責めているわけではありません。この人たちが税を払わないようにしている政治が悪いのです。

金融資産はないが、いまから頑張ろうとしている若者たちに希望を与える社会にしなければなりません。改めるべきは政治です。

「経済成長」とは何か - 日本人の給料が25年上がらない理由
田村秀男(たむら ひでお)
産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員。1946年、高知県生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒後、日本経済新聞入社。ワシントン特派員、経済部次長・編集委員、米アジア財団(サンフランシスコ)上級フェロー、香港支局長、東京本社編集委員、日本経済研究センター欧米研究会座長(兼任)を経て、2006年に産経新聞社に移籍、現在に至る。主な著書に『日経新聞の真実』(光文社新書)『人民元・ドル・円』(岩波新書)『経済で読む「日・米・中」関係』(扶桑社新書)『検証 米中貿易戦争』(マガジンランド)『日本再興』(ワニブックス)がある。

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