本記事は、田村秀男氏の著書『「経済成長」とは何か - 日本人の給料が25年上がらない理由』(ワニブックス)の中から一部を抜粋・編集しています
戦争の行方を決めるのは経済?
経済と軍事の関係で興味深い話があります。
ある国の軍隊が相手国に攻め込んで一部を占領したとします。すると治安維持や人心の掌握が必要となります。それから人々の生活も安定させないといけません。同時に、進駐している軍隊のためにいろいろな物資を調達する必要もあります。
それで何が最も必要かというと経済の安定です。まずお金がないといけません。だから占領が始まると、まず軍票が出来る。
日本軍が中国大陸に進出したときも軍票を作りました。その軍票は日本軍のマーク付きで特別に刷ったものかというと、そうではありません。国内で使われている日本円そっくりでした。日本円をほぼそのまま印刷した軍票です。日本円と等価交換できるものを発行する。それで現地で豚や鶏、野菜などを調達しました。
また、アメリカ軍が日本に駐留したときもドルを使ったわけです。1ドル=360円、これは公定レートですが闇相場なら1ドル=500円くらい。日本円が必要だったらそのまま交換しました。
軍が進出する際にいちばん必要なのはお金なのです。要するに自分が発行するお金が現地で通用しないとどうしようもない。軍票はまったく担保なしで発行されます。日本軍が中国で発行した軍票も担保なしです。ただ、日本円と交換はできました。同等だということです。
当時、日本の傀儡政権と評された、汪兆銘の南京政府がありました。ここは「儲備銀行」という中央銀行を持っていて、儲備券という紙幣を発行していました。儲備券は日本円と等価で交換できました。だから日本軍は儲備券を印刷して、それを現地で使いました。しかしそれにはなんの裏付けもなかった。今流に言えば、ドルと正式なレートで交換できるかというと、それはないわけです。せいぜいが日本円との交換ですが、「そんなもの信用できるか」と現地の中国人がそっぽを向いてしまったら、これはどうにもなりません。これで泥沼になったのです。
日本軍自体は強かったのでどんどん進撃して、各地を占領します。ところが、軍票や儲備券を使って占領地をマネージしようとしたら、現地の人たちは見向きもしてくれない。中国人にしてみると「なんだ、あの侵略。日本の鬼たちが来て」という反発は当然出てきます。これを恐らく当時の日本軍は軽く見ていたのだと思いますが、現地の人たちの日本に対する信用がないということです。信用がないのでどうしたかというと、やたらに軍票や儲備券を発行したのです。大量に紙幣が発行され、インフレになりました。
日本が中国にインフレを招いたのです。荒縄でバンと紙幣を縛って大きな札束を持っていって、やっと鶏一羽が手に入るという状況だったと聞いています。
第一次世界大戦後のドイツのようになってしまったわけです。「信用を得られなかったこと」はこれほど深刻なのです。
しかもさらに悪いことに、日本軍はインフレを避けるために、「お前ら、なんだ」「なんでこのレートを信用しないんだ」と強権を発動しました。反抗する中国人を撃ち殺したりする。それで残虐行為だと非難もされる。
こうなると日本軍が連戦連勝でも、現地で必要な食料や軍事物資が手に入りません。同じ所に長く駐留しても物資が不足するだけだから、別の土地へと進出する。戦線をどんどん広げていくことになります。泥沼がどんどん広がるだけです。
しかも正式な調達ができないから、下手すると掠奪に走ってしまい、さらに日本軍に対する信用がなくなると同時に、儲備券と軍票に対する信用も当然なくなってしまいます。
悪循環で泥沼にはまったということです。だから、日中戦争はある種の通貨戦争といえるのです。よく、日本は戦線を拡大しすぎて補給ができなくなり、泥沼に入っていったという話を聞きます。でも恐らくは、信用を得られなかったことが最大の原因でしょう。
日本軍は最初からお米や鶏、豚を現地の人たちから略奪したわけではないのです。ちゃんとお金を払って買おうとしたのです。でも、受け取ってくれなかった。「いらない、お前らのお金は信用ならんから」と。
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