ウイスキーを飲んでいるうちに、筆者はふと、『飲むのは好きだけど、どこでどうやって造られるのか』『原料は何か』、そんな疑問が湧いてきました。
そこから筆者は、『実際にウイスキー蒸溜所に足を運んで見学してみたい、話を聞いてみたい』と思うようになります。
そんな思いから熊本県の「山鹿蒸溜所」へ取材を申し込んだところ、快諾いただき、実際にお話を伺いながら見学ができました。
ウイスキーの蒸溜所に興味がある方は、ぜひ参考にして、実際に足を運んでみてください。
この記事の監修者
浅野まむ
お酒とBarを愛しています。バーテンダー歴8年、現在ライター。ウィスキーエキスパート資格持ち。 1人で飲むのも、大勢で飲むのも、2人で飲むのも、なんでも好きです。
熊本県初のウイスキー専門蒸溜所「山鹿蒸溜所」とは
今回お話を伺ったのは、藤本 哲朗氏(株式会社山鹿蒸溜所 取締役副社長)と、本坊 優紀子氏(同 営業企画・広報)。
山鹿蒸溜所の建設開始から機械類の搬入から職人やスタッフの研修、蒸留の様子、樽貯蔵庫のことだけでなく、今後の展望についてお話しいただききました。
まずは、インタビューで伺った話を交えながら、山鹿蒸溜所がどのような蒸溜所かご紹介します。
創業について
山鹿蒸溜所は2021年11月6日に竣工した、熊本県初のウイスキー専門蒸溜所です。
経営しているのは株式会社 山鹿蒸溜所で、親会社である株式会社MCAホールディングスの事業会社です。
独立した経営体制で、前身は焼酎や日本酒造りをしていました。
本坊 正文氏(株式会社MCAホールディングス 代表取締役社長)の、『ウイスキーを造ってみたい、チャレンジしたい』という想いから、ウイスキー造りがスタート。
株式会社MCAホールディングスには、他に田苑酒造株式会社(本格焼酎の製造・販売)や株式会社高畠ワイナリー(ワインの製造・販売)など酒類を製造販売している会社があります。
また、本坊グループ(本坊酒造株式会社マルス津貫蒸溜所・マルス信州蒸溜所)とは関係会社に当たるため、ウイスキー造りのノウハウや、技術支援、研修協力を受けています。
ウイスキー造りの始まり
藤本氏
ウイスキー造りを始めるにあたり、社内外へ公募して、ウイスキーを造りたいという情熱を持った人たちを集めました。
焼酎造りを経験した方はいても、ウイスキー造りを経験した方はいなかったので、マルス津貫蒸溜所やマルス信州蒸溜所で研修を行ったり、山鹿蒸溜所の現場に技術者を招いて技術指導を受けたりしながら、原酒造りをスタートさせました。
山鹿蒸溜所の水と原料
藤本氏
もともと酒造りをしていたので、良質で豊富な地下水を確保しています。
本坊氏
仕込水は1級河川の菊池川水系と国見山系の深層地下水で、敷地内に100メートルほど井戸を掘ってくみ上げています。ちなみに地下水は硬度60〜70度の軟水です。
原材料の大麦麦芽(モルト)は、商社を通じてイギリスや一部をオーストラリアから輸入しています。
筆者が伺った話によれば、この時勢でモルト自体の価格高騰、為替の相場、到着時期の遅れなどで逆風ではあるものの、原材料がないと造れないので、そこは我慢の時期とのこと。
発酵に必要な酵母は海外のディスティラリー酵母が主ですが、エール酵母を併用するなど、目指す酒質にあった酵母を求めて試行錯誤していることがわかります。
山鹿蒸溜所が目指すウイスキー
2025年以降にファーストシングルモルトを誕生させる予定だそうです。
酒質にこだわった良いもの、納得のいくものを、みなさんに飲んでいただきたいという想いのもとに製造されています。
山鹿蒸溜所が目指す酒質は、山鹿灯籠祭りで踊る女性の姿のような凛として背筋がピンと伸びた芯の強さとしなやかさを持つ、やさしく綺麗な味の中にも、時を掛けた力強さのあるウイスキー。
マルス津貫蒸溜所やマルス信州蒸溜蒸留所をお手本にしつつも、香りや華やかさ、酒質や軽やかさにオリジナリティーがあります。
現在、原酒は樽詰めされ熟成中ですが、いずれは樽の原酒同士をブレンドし、理想とした味わいのシングルモルトウイスキーを生み出す、とのことです。
熊本県初のウイスキーとして
株式会社山鹿蒸溜所の副社長・藤本氏および営業企画・広報所属の本坊氏は、熊本県内で初めてのウイスキー蒸溜所として、以下のように話してくださいました。
藤本氏
モルトウイスキーがどんなものなのかを伝え、ウイスキーを知ってもらい、親しんでもらうことが私たちの役目だと思います。
まずは、ウイスキー造りを皆さんに知ってもらいたいです。
本坊氏
地元の方々には、蒸溜所建設の際の大型トラック搬入や、麦芽などが入った40フィートコンテナの配送をするために、道を拡張してもらったり、ゴミ集積所を移動してもらったりと協力していただいたこともありました。
2021年は、大分県に久住蒸溜所(2月)、福岡県に新道蒸留所(8月)がウイスキー造りを開始しており、同期のようなもので親近感がとてもあります。
10年後、20年後には、『あの2021年は豊作の年だったよね、あの時の九州北部はちょっとすごかったよね。あの時代に蒸留所が3つできたんだよ』といわれるようになりたいですね。
筆者が行ったインタビューの最後に、そうお話しくださった本坊氏は、藤本氏とお2人で顔を見合わせながらうなづいていました。