本記事は、岩田松雄氏の著書『ブランド 「自分の価値」を見つける48の心得』(アスコム)の中から一部を抜粋・編集しています。
昇進する人、しない人の決定的な違い
「我々は何のために存在するのか」──組織におけるミッションは、トップが、全霊をかけて、繰り返し伝え続けなければなりません。ミッションを1人ひとりに浸透させ、皆がミッションに従った行動ができるよう愚直に進めることでお客さまに伝わり、ブランドになり、伝説が生まれ、さらにブランドを進化・深化させていくのです。
「100年企業」では、これができています。
日本という国で考えてみると、欧米による植民地化を避けるため幕府を倒し、明治維新を成し遂げた薩長。アジアの新興国がヨーロッパの大国に初めて勝った日露戦争。連合国の一角として参戦した第一次大戦を経て、やがて日本のブランドは頂点に達し、アジアの人々には希望の星と映っていました。一方で薩長は藩閥となって堕落し、それに言論の力で取って代わった政党政治は利権に溺れて支持を失っていきました。
やがて軍が暴走して第二次世界大戦に突入し、破滅に至ります。しかし大戦後、焼け野原から奇跡の大復興をして、ジャパン・アズ・ナンバーワンとさえ言われるようになりました。それがまたあっという間に「失われた20年」と言われる衰退期を迎えてしまい、ジャパンバッシングから「ジャパンナッシング」と言われるまで国力が低下しました。
今もう一度長い目で見れば、かつてアジアの奇跡といわれた日本は、次の100年続くどんなブランドになるかが試されているとも言えます。
厄介なのは、社内のミッションを失っても、社外からのブランドへの評価は余程のことがない限り、ある程度持続されるため、自分たちも周りも現状に気づきにくいことです。一流と呼ばれる企業が根本から腐っていく過程では、必ず薩長に近い現象が起こります。自分たちのミッションの達成よりも、派閥争いや社内の権力闘争に明け暮れてしまう。最初は強烈なミッションで全社の方向性が一致していたのに、やがて名声や待遇を求める勢力が増え、ゆっくりと全体を死の方向に向かわせてしまうのです。明治の藩閥、戦前の軍閥、戦後の官僚や大企業など、いわゆる頭の良いエリートが固定化し、腐敗していく構造は共通しています。
私欲にまみれて志を持たないエリートと、叩き上げの維新の志士たちは根本的に違うのです。
この状況を変えられる人は、やはりトップリーダーしかいません。
組織のリーダーは、ミッションを社内に浸透させ、次の世代に引き継いでいくことが最大の仕事と言ってもいいと思います。
そのためにリーダーが徹底的に精力を注ぐべきことは、人事政策です。企業はミッションを掲げてブランド価値を高めながら、売り上げと利益を生み出す存在です。そのすべてを整合的にこなせる人材がいればパーフェクトですが、実際は立派なミッションを持っているのに、なかなか結果に結びつかないリーダーもいるし、一方でとにかく数字をつくるのがうまい人もいます。
もちろん会社のミッションや理念を体現しつつ、実績を上げる人を昇格させるべきですが、なかなかそういう人は多くはいません。問題は、お客様をだまして仕事を取ってきたり、部下の手柄を横取りしたりした人を偉くしてしまうことです。数字という結果ほどわかりやすいものはないので、その過程まで確認して評価することは稀まれです。特に上に行けば行くほど、数字がすべてになりやすいものです。本来はその逆であるべきで、上に行けば行くほど、その人の人間性が大切になってきます。
「功あるものには禄を、徳あるものには爵を」日本人の理想のリーダー像と
人事政策は、会社から社員へのもっとも大切なメッセージです。誰を採用するか採用しないか、誰を昇進させるか昇進させないか。経営はこれに尽きると言っても過言ではありません。そして究極の人事は、次の社長を誰にするかです。
ミッションを体現し、かつ実績を上げた人間をしかるべきポストに据える。
数字をつくれるだけの人間には金銭で報いるが、決して一定以上のポジションは与えない。明確にミッションから外れた言動をすれば、速やかに排除する。
これこそが、100年続くブランドをつくり上げるために、リーダーがやらなければならないもっとも大切な仕事なのです。