本記事は、田渕直也氏の著書「教養としての『金利』」(日本実業出版社)の中から一部を抜粋・編集しています。
債券は、株式などと比べて、しばしば安全資産といわれます。もちろん、債券のなかにもハイリスクなものはあり、たとえば信用力が低い発行体が発行している債券は、元利金の支払が決められたとおりに行なわれない信用リスクがあります。とくに一定以上に信用リスクの大きな債券は、ジャンク債とかハイイールド債と呼ばれていて、これらは安全資産とはいえません。ですが、信用力の高い発行体が発行する多くの債券、とりわけ先進国で政府が発行する国債は、基本的に安全資産として位置づけることが可能です(*1)。
*1:国が発行する国債であっても、国そのものの信用力が低ければ、それは安全資産ではなくなり、その信用リスクに見合う高い金利を市場から要求されることになります。また、先進国のなかでも、国の信用力には差があり、信用リスクが意識されて利回りが大きく上昇したりするケースも実際にはあり得ます。
もちろん、いくら信用力が高くても、市場の金利水準に合わせて債券価格は動いていきますから、途中で債券を売却した場合は、その売却価格によって運用成績が変わり、場合によっては損失が生じることもあります。一方で、そうした信用力の高い債券を満期まで保有するなら、買ったときに計算した利回りどおりの運用成績をほぼ得ることができるはずです。では、信用力の高い債券を満期まで保有した場合にはリスクは本当にないのかというと、実は必ずしもそうではありません。安全資産たる債券にとって、無視できない大きなリスク要因があるのです。
それはインフレです。
たとえばいま100円で買った債券が、10年後に満期を迎え100円で戻ってくるとします。実際にやりとりされる金額ベースでは、とくに何の損失も発生していないようにみえます。しかし、この10年で物価が2倍になっていたら、金額ベースでは変わらなくても、実質的な価値は2分の1に減少しているはずです。いま100円でパンを1個買えるとしたら、10年後100円が戻ってきたときにはパンを半分しか買えません。
このように、実際にやりとりされる金額で表される価値を名目価値、その金額で買えるモノによって測った価値を実質価値といいますが、インフレになると債券の実質価値が低下するのです。債券は、満期までの期間が長いものが多いので、そうするとこのインフレによる実質価値の目減りは非常に大きなリスクになりえます。
このリスクをカバーするためにはどうすればいいかというと、予想される物価上昇率を上回る金利をもらえばよいのです。たとえば、年あたり1%の物価上昇率が起きることが予想されているとして、それを上回る2.5%の金利をもらっておけば、インフレによる目減りをカバーし、そのうえでさらに1.5%の実質的な収益を得ることができます。
この場合、実際にやりとりされる2.5%の金利を名目金利、インフレ予想分の1%を除いた1.5%の実質的な収益部分を実質金利と呼びます。つまり、われわれが普段金利と呼んでいるものは、実質的な収益部分と、インフレによる目減りを補う部分との合成になっているということです。この関係はフィッシャー方程式と呼ばれる式で表されます。
(フィッシャー方程式)
金利(名目金利)=実質金利+期待インフレ率
式中の期待インフレ率は、市場参加者が平均的に予測している将来の予想インフレ率のことです。
こうした関係からすると、インフレ率が高まっていくと予想される状況であれば、お金を貸す側はそれを十分に上回る金利を得ようとしますから、名目金利は上がっていくことになります。逆もまたしかりです。
実質金利は、実際には、何らかの方法で計算をしてみないと水準がわからないものなので、普段は目に見えませんが、金利というものが実質金利と期待インフレ率の合成でできていると考えることは、経済成長と金利の関係を考えるうえでも非常に重要なポイントです。
先ほど景気と金利の関係の話をしましたが、景気の状態をまとめて表す経済成長率においても、名目成長率と、インフレの影響を除いた実質成長率があります。つまり、名目の経済成長率は、実質成長率と物価上昇率の合成として理解することができ、経済成長の実態を表すものとして重視されるのは実質成長率のほうです。
呼び方が似ているだけではなく、この名目成長率と実質成長率の関係は、名目金利と実質金利の関係に直接的に結びついています。つまり、物価上昇に関係なく、生産性の向上や市場規模の拡大などによって実質的に経済が成長していく部分に対応して発生するのが実質金利です。
実質的な経済活動が不活発なら実質金利も低くなり、実質的な経済活動が活発なら実質金利も高くなります。逆に、低い実質金利は経済に刺激を与え、高い実質金利は景気抑制効果をもちます。
こうした実質ベースの話に物価上昇分が加わったものが名目の値ですから、名目金利は名目成長率に対応するものとなります。
ただし、今取引されている金利は、10年金利なら今後10年間の経済状況の予想を反映したものになっているはずですから、金利に含まれているものはすべて予想ベースです。したがって、実際の経済成長率と予想ベースの金利が常に平仄が合った動きをするわけではないのですが、両者が密接な関係をもっていること自体は間違いありません。いずれにしても、このように経済成長率や金利を実質部分とインフレ部分に分けて考えることで、両者の対応関係が明確になり、金利の変動要因もより明確に考えることができるようになります。
さて、債券にはインフレのリスクがあり、そのリスクを回避するには予想されるインフレ率を上回る金利をもらえばいいという話でしたが、そうはいっても将来のインフレ率を事前に確定的に知ることはできません。先ほどの例では1%の物価上昇率が見込まれていて、それを上回る2.5%の(名目)金利を受け取れば1.5%の実質的な利益が得られるということでしたが、実際の物価上昇率が予想を超えて3%になってしまえば、結果的に実質価値の目減りを防ぐことはできなかったことになります。したがって、結局のところ、予想以上のインフレによって債券の実質価値が減少するというリスクはどうしても残るのです。
少々マニアックな話になりますが、こうしたリスクを完全に回避できるように設計された特殊な債券があります。物価連動債というものです。これは、実際の物価上昇に合わせて元本が増加していく仕組みの債券です。当初100円で発行された債券でも、満期までのあいだに物価が2倍になったら、債券の元本も200円に増額されます。
このような債券では、実際の元本額が途中で変わってしまうので、事前に正確な名目上の利回りを計算することはできませんが、元本がいまのままで変わらないと仮定した利回りなら計算できます。インフレが生じても、その分、元本が増えて実質価値の減少を補ってくれるので、その分は考えずに利回りを計算するということです。その場合の利回りは、インフレ分を除いた計算になっていますから、まさに実質金利に相当することになります。
先ほど実質金利は普段は目に見えないという言い方をしましたが、物価連動債の利回り(元本一定の仮定で計算された利回り)は目に見える実質金利なのです。
ちなみに、現在日本では、満期まで10年の物価連動国債が国から発行されています。国はいろいろな種類の債券を発行していて、元本が固定された普通の10年物国債ももちろん発行されています。普通の国債利回りは、確定した元利支払額から計算されるものですから、こちらは名目の金利です。
さて、同じ国が発行する満期まで10年の債券で、物価連動国債の利回り(物価上昇分を無視した計算)が1.5%、普通の国債の利回りが2.5%だとしましょう。この差は一体何かというと、前者は実質金利、後者は名目金利ですから、その差の1.0%は物価上昇率にほかなりません。このインフレ率こそ、債券市場の参加者が予想する今後10年の期待インフレ率に相当するものです。
これをブレークイーブン・インフレ率と呼んでいて、将来の予想インフレ率として経済分析などで非常によく参照される指標になっています。詳しくはまた後で触れますが、市場には不思議な将来予測力があり、それは必ずしもいつもその予想が当たるということを意味しているわけではないのですが、現時点で最も信頼できるインフレ率の将来予測と考えることができます。
なお、インフレによって債券の実質価値が低下するというリスクは投資家が直面するものですが、債券の発行体からすれば、デフレによるリスクが存在します。物価が下がっているのに、普通の債券であれば元本はそのまま変わらないわけですから、実質的な返済負担が高まるのです。パン1個分のお金を借りたのに、返すときにはパン2個分のお金を返さなければならないというようなことですね。いずれにしても物価変動は債券の実質価値を変動させ、インフレなら投資家に不利に、デフレなら発行体に不利に働くことになります。