本記事は、片田智也氏の著書「職場ですり減らないための34の『やめる』」(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています。
しなくていい仕事を、やめる
今から100年ほど前、経済学者のケインズは、ある講演会でこんな話をしました。
「100年後の未来、先進国では週15時間労働になっているだろう」
残念ながら、多くの人が今も週40時間は働いています。
でも、もし本当はケインズの予測が的中しているとしたら?
1日5時間、「しなくていい仕事」をしている計算になります。
たしかに、やってもやらなくても支障が出ない仕事はあるものです。
状況を確認するだけの会議をしたり、誰も読まない資料をつくったり、目的もなくダラダラ残業したり、建前として「仕方なくやっている仕事」は確実に存在します。なぜ私たちは、「しなくていい仕事」をしてしまうのでしょうか?
政治学者のシリル・パーキンソンはこういっています。
「仕事の量は、与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」
この法則を聞いて「身に覚えがある」という人は多いでしょう。
たとえば、エクセルやパワーポイントで資料をつくるときなどがそう。
つくり物というのは、やるべきことが無限に見つかります。必要以上にこだわって、ムダな時間を過ごしていないでしょうか? 「もっといいものをつくろう」。時間があればあっただけ、「しなくていい仕事」に没頭することになります。
「しなくていい仕事」をしてしまう理由は他にもあります。何もしないで過ごすのは身体的にラク。ですが、精神的には決してラクではないのです。
心のしくみができた狩猟採集時代に戻って考えてみます。
私たちの祖先が集団生活を営んでいたことは、すでに示したとおり。
ですが、それは「ただ群れで生きていた」という単純な意味ではありません。
1人ひとり、分業の輪に参加する必要があったのです。
自分の得意なことで誰かを助ける、全体の役に立つことをする。
何かしら役割を担わなければ、集団にいることが許されないピリついた雰囲気。皆が忙しくしている中、自分だけボーッと過ごすなどできるでしょうか?
もし自分の仕事が終わっていても、どこか気持ちが落ち着かないもの。
「何もしない」というのは、精神的な痛みを感じさせるのです。
私自身、社会人1年目は、夜の10時より早く帰ることはほぼありませんでした。なぜかというと、先輩や上司が遅くまで残って何かをしていたからです。「何もしないわけにいかない」と、わざわざ仕事を探していたように思います。
小説『キノの旅』に「仕事をしなくていい国」という話があります。
機械技術の発達によって、その国の人たちは労働から解放されました。
それにもかかわらず、人々は朝早くからある場所へ行って何やら作業しているのです。不思議に思った主人公が「何をしているのか?」と尋ねると、驚きの答えが返ってきます。
「精神的に快適ではない刺激を受ける。それがこの国の仕事だよ」
現代社会における「しなくていい仕事」を揶揄しているのでしょう。
100年前、ケインズが語った予測は、見事に的中していた。でも、私たち自身の判断で今も「しなくていい仕事」をしている。可能性はあるでしょう。
だとすれば、あなたが「やめる」と決めれば、それはいつでもやめられます。
実際、社会人2年目になった私はいっさい残業をしなくなりました。でも、それで営業成績が落ちることもなく、何も変わることはなかったのです。
「何の意味があるのかわからない……」
そんなことに時間を使っていれば、心が疲れてしまいます。
早く家に帰って家族と食事を楽しんだり、友人と遊びに出かけたり、読書や勉強の時間にあてたり、より意味のあることに使ってください。
「しなくていい仕事」ですり減るのはもうやめることです。
- まとめ
- 「しなくていい仕事」をやめて、もっと意味のあることに時間を使う
大学卒業後、20代で独立するがストレスから若年性緑内障を発症、視覚障害者となる。同年、うつ病と診断された姉が自死。姉の死の真相を知るため、精神医療の実態や心理療法を探求、カウンセラーに転身する。教育や行政、官公庁を中心にメンタルケア事業に多数参画。カウンセリング実績は延べ1万名を超える。カウンセリングから企業コンサルティング、経営者やアスリートのメンタルトレーニングまで、心の問題解決に広く取り組む。企業研修やセミナーの受講者は延べ2万名以上。著書に『「メンタル弱い」が一瞬で変わる本 何をしてもダメだった心が強くなる習慣』(PHP研究所)、『ズバ抜けて結果を出す人だけが知っている 感情に振り回されないための34の「やめる」』(ぱる出版)がある。 ※画像をクリックするとAmazonに飛びます。