本記事は、片田智也氏の著書「職場ですり減らないための34の『やめる』」(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています。
考え過ぎるのを、やめる
神学者のパスカルいわく、「人間は考える葦」だそうです。
確かに、私たち人間はよく考えます。深読みをしたり、先回りして予測したり、行間や空気を読んだり、つい事実以上の何かを考えてしまうものです。
もちろん、考える行為そのものは悪いことではありません。でも、考えが過ぎるのもまたよくないもの。ネガティブな気分のときなどは特にそうでしょう。不安や落ち込み、イライラ。気分が暗いときは、必要以上に考えてしまいがちです。
そんなときは、自分で気づいて考えるのをやめる必要があります。
理性と感情の関係が微妙なものであるのはすでに示したとおり。緊急時、判断の主導権は感情に一任されます。理性はいいなり。基本、感情には逆らえません。
たとえば、不安なときは、真っ暗な未来をイメージしてしまいますし、落ち込んでいるときは、閉じこもりたくなるような考えが湧いてくるものです。
やっかいなのは、そういう考えと事実の境目がわからなくなること。
「こんなことがあった……、もうダメだ」という文章をよく見てください。前半が示しているのは客観的な事実。でも後半はというと、主観的な考え、要は意見です。
職場の「ホウレンソウ」と同じこと。事実と意見はきちんと分けて話す必要があります。
ところが、感情的になるとそれらの区別がつかなくなるのです。
テレアポの仕事をしている20代の男性がこういっていました。
「ずっと断られていると、どうしても思っちゃいます。自分は価値のない人間なんだなって……」。前半は事実ですが、後半は彼の個人的な意見に過ぎません。人間、誰でも疲れてくると、事実と意見の境界線があやふやになってくるものです。
私自身、それらの線引きがわからなくなった経験はあります。
目の障害を負って間もない頃の話。交付された障害者手帳に「要介護」というハンコが押してあったのです。それを見て、ふとこう考えてしまいました。
「世話をしてもらわないと生きられないダメな人間なんだな……」
「要介護のハンコが押してあった」のは客観的な事実。ですが後半、「ダメな人間だ」は私の個人的な意見です。その区別がつかなくなるぐらい疲れていたのでしょう。だんだんと後半の文脈まで事実かのような気がしてくるのです。
考える力は、諸刃の剣。それによって自分を傷つけていては元も子もありません。どうすれば、こういった考え過ぎの刃を防げるのでしょうか?
気分が暗いときは、「あえて表面的にものを見る」ことです。
「表面的に」というと、あまりよい印象はないかもしれません。
「人間は考える生き物」「深く考えるほうが上」という前提があるのでしょう。そうやって、行き過ぎてしまった考えを事実のほうに戻してあげるのです。
「テレアポ、100件断られたな」「要介護と書いてあるね」
以上、「表面的に」見えているのはそこまで、です。
そこから先、事実以上のことは考えないようにしましょう。
感情というのは、よくも悪くも長続きしません。
「うれしい」「楽しい」がいつの間にか消えてしまっているのと同じです。落ち込みもイライラも、いずれは流れて消えていきます。「ずっとイヤな気分が続いているんですが……」。繰り返し考えることで感情を再現しているからでしょう。
目の前にいない人のことでイライラしている? だとすれば、そのイライラを引き起こしているのはその人ではなく、「あなた自身の考え」なのです。
考えることは大事。でも、それで心をすり減らすのは本末転倒です。
必要以上に考えを深めて、自分を傷つけたりしないように。「今日はダメだな」と思ったら、あえて表面的にものを見て、心のすり減りを防いでください。
- まとめ
- 気分が暗いときは考え過ぎるのをやめて、あえて表面的にものを見る
大学卒業後、20代で独立するがストレスから若年性緑内障を発症、視覚障害者となる。同年、うつ病と診断された姉が自死。姉の死の真相を知るため、精神医療の実態や心理療法を探求、カウンセラーに転身する。教育や行政、官公庁を中心にメンタルケア事業に多数参画。カウンセリング実績は延べ1万名を超える。カウンセリングから企業コンサルティング、経営者やアスリートのメンタルトレーニングまで、心の問題解決に広く取り組む。企業研修やセミナーの受講者は延べ2万名以上。著書に『「メンタル弱い」が一瞬で変わる本 何をしてもダメだった心が強くなる習慣』(PHP研究所)、『ズバ抜けて結果を出す人だけが知っている 感情に振り回されないための34の「やめる」』(ぱる出版)がある。 ※画像をクリックするとAmazonに飛びます。