1959 年生。新潟県南魚沼市出身。 1983年八海醸造株式会社入社。 1985年株式会社八海山を設立と同時に取締役就任。 1997年八海醸造株式会社 代表取締役就任。 2001年株式会社八海山 代表取締役就任。
―それでは、インタビューを始めさせていただきます。1922年のご創業から現在に至るまで、おそらく様々な変遷があったことだと思います。創業の経緯や思い、そして代を重ねる中での事業の変遷について、具体的に教えていただけますか?
創業は1922年ですから、昨年でちょうど百年目を迎えました。日本酒メーカーの創業者に地主が多いのは、非常に貴重な主食である米を集めることができるのが地主だったからだと考えられます。また、日本酒を造るためには高度な技術が必要で、当時は自分たちが技術を持っているところは少なかったので、日本酒を造る杜氏集団を雇って酒造りを行っていました。 私の父は、会社だけを継ぎ事業を続けました。そして、日本酒の市場が地元には少なかったため、市場を求めて営業を仕掛け、県外へと進出しました。特に、戦後の高度成長期において景気が良かった関東地方を中心に、積極的に売り込みを行いました。 私たちは、初めに神奈川県と群馬県に取引先を作り、マーケティングに力を入れていきました。その結果、八海醸造のビジネスは広がりました。
―日本経済が豊かになるにつれて、酒を楽しむ文化が広がってきたと言いますが、その中で八海醸造はどのような戦略を立ててきたのでしょうか?
私たちの事業規模は小さく、市場もなかったところに売り込んでいく必要がありました。そのためには、商品力、つまり商品の特徴が必要です。そこで、食中酒としての役割をもった酒質に着眼しました。当時の日本酒は高品質な酒が少なく淡麗でバランスの取れた酒質で高品質な清酒をつくることを目指したのです。
―その結果、八海醸造の日本酒は市場でどのような評価を受けてきたのでしょうか?
当時は、日本酒の品質がよくないものが多く、それも原因のひとつで日本酒離れが起きていました。そのため、市場はウイスキーやワイン、焼酎などに移行していたと考えられます。しかし、そんな中で私たちは高品質な日本酒を造ることを目指しました。それまでの価格帯よりは高くなってしまいますが、品質に対して価格に納得してもらえれば市場が生まれると信じていたからです。
―その戦略は成功したのでしょうか?
はい。高品質な日本酒を造ることで、コストが高くなり、価格は高くなります。それでも品質の良さを追求した結果、価格は高くなりましたが、お客様がそれ以上の価値を感じてくれるようになりました。
―その後、経済が成長し、国民の所得も増えてきた中で、八海醸造の日本酒はどのように評価されてきたのでしょうか?
経済の成長とともに、私たちが提供する日本酒の価格と品質が認められ、普段の生活の中でも八海醸造の酒が評価を得るようになりました。
―南雲さんが社長に就任されてから、新しい分野や商品の開発に力を入れていると聞きましたが、その狙いや思いを教えていただけますか?
私たちは製造メーカーとして、新しい、更に高品質なものを目指し、「価格に対して品質の良い商品」を日々探求しております。それは、ただよい酒を開発するだけではなく、供給量のコントロールも目指します。当たり前ですが、市場に対して供給量が減少すると、必然的に価格が高騰します。しかし我々は、お客様が求める商品を市場に供給できないことは、我々の責任を放棄していることだと考えています。2000円の商品を、割安感を感じてもらえる適正価格で、適正利益がとれるものであれば、それ以上高く売れる必要はないと考えております。
ノンアルコール飲料の開発や観光事業も視野に入れています。観光事業に関しては、我々のような嗜好品を造る会社は観光資源にもなり得ます。我々の会社は南魚沼市の旧城内村という風光明媚な場所にあります。ここに人々を集め、我々八海醸造の商品や取り組みを知ってもらうことで、我々の事業可能性が広がると考えています。 既に観光事業に近いことも行っており、まずは人々に来てもらい、多様化する市場ニーズをキャッチアップしております。我々はメーカーとしても、提案できるものを多く持っていなければなりません。
―新製品の開発において特に重要視していることや、具体的な取り組みについて教えていただけますか?また、組織全体としてどのように研究開発を進めているのか、何か特定のアイデアやきっかけがあるのか、などについても伺いたいです。
アルコール飲料という切り口から考えてみましょう。例えば、100人の人々が毎日日本酒を飲んでいたとします。しかし、全員が10日に1回だけ、別の飲み物を選択すると、私たちの市場は1割減少します。
―その視点から考えると、アルコール飲料市場は、我々消費者の行動によって直接的な影響を受けますね。
その通りです。さらに、10日に3回別の飲み物を選ぶ人が現れた場合、市場は30%減少します。このような状況を考えると、日本酒の市場では企業は発展していかなくなってしまい、現在の企業規模を維持するのは難しいと思います。
―確かに、その視点からは新たな戦略が必要となりますね。
そのため、私たちはアルコール飲料全般を通じて"生活”を提案できるようにしています。日本酒だけでなく、蒸留酒やビールそしてノンアルコールなどのさまざまな飲料を提案することで、私たちの存在価値を維持していくことができると考えています。そういった存在価値のある製品を開発するために「米と麹と発酵、そして水」をテーマに商品開発に取り組んでいます。
―それにより、さまざまな消費者のニーズに対応できるというわけですね。
その通りです。また、日本酒だけを取り挙げてみると、日本酒には日本酒の特徴があります。しかし、飲み続けることで、その特徴をもてあましてしまいます。これはすべての食物に言えることです。例えばA5ランクの美味しい牛肉をたくさん食べすぎるのと同じです。数ある日本酒の中には最初に飲んだときには美味しいのですが、飲み続けることで甘さや旨みが際立ち、飲み続けるのが難しくなることがあります。 ですので、ただ美味しい日本酒を造るだけではなく、食事と一緒に味わえる食中酒としての淡麗な味わいの酒や、お客様のニーズを満たす酒を造り続けていく必要があると考えております。
―5年後、10年後のビジョンについてお伺いしたいと思います。
新規事業の一つとして、新しいエリアの開発を進めています。例えば、アメリカへ進出し、ブルックリンで新しい事業展開を試みています。現在、アメリカの「ブルックリンクラ」というメーカーと業務資本提携を結び、現地で日本酒を製造するプランが動き出しました。 また、ニセコでのウイスキー造りにも挑戦しています。これは長期的な事業であり、20年、50年という長いスパンで見ています。さらに、インバウンドのお客様に対しての展開にも力を入れています。 海外での市場拡大と、海外から来るお客様に対するアピール力強化により、私たちの価値を高め、会社を訪れる機会を高めることを考えています。そのためには、訪れてくれる場所を作り、その場所に影響力を持つことが必要です。 既存の事業を強化し、売上や利益を上げることはもちろんですが、将来の可能性を見つめ、未来の経営に備えるためにも、積極的に投資を行っています。
2030年には海外からの観光客が6000万人に達すると予想されています。6000万人が訪日し、日本の観光産業が13兆円から15兆円ほどに成長すると予想されています。日本の観光資源は約1億人までの海外観光客に対応できる資源があると言われていますが、その資源を提供できる設備環境を整えなければ、増加する海外観光客に対して十分なモノやサービスを提供することができません。 既存の事業を強化し、売上や利益を上げることはもちろんですが、将来の可能性を見つめ、未来の経営に備えるためにも、積極的に投資を行っています。
―そのような状況を想定するならば、どのような戦略が必要だと思いますか?
日本酒の認知度を世界に広げることが重要です。そして、私たちが製造している製品も、全て海外に輸出することも視野に入れています。、海外の人々をターゲットにしたマーケティングを展開していくことが今後の事業展開には必要だと考えています。 つまり、今後10年間が勝負の時期ということだと思っています。
- 氏名
- 南雲 二郎(なぐも じろう)
- 会社名
- 八海醸造株式会社
- 役職
- 代表取締役