ファクトリーギア株式会社アイキャッチ
(画像=ファクトリーギア株式会社)
髙野倉 匡人(たかのくら まさと)
ファクトリーギア株式会社代表
1963年東京生まれ
麗澤高校、青山学院大学を経て大塚商会に入社。大塚商会退社後、父母が営む産業機械工具商に従事。バブル崩壊により廃業目前となった家業から転身。1996年、上質工具のセレクトショップ「FACTORY GEAR」を千葉県柏市にて開業。輸入、販売、プロモーションに孤軍奮闘する。
2000年に現ファクトリーギア株式会社を設立。多店舗展開をスタートする。2023年現在、国内13店舗。台湾に100%出資子会社と店舗、タイに2店舗の計16店舗を運営する。
2022年よりTBSラジオ「工具大好き」のメインパーソナリティーを担当。2022年11月には所ジョージの世田谷ベース別冊付録として「工具の本」を7年ぶりに執筆した。
またYouTubeチャンネル「ファクトリーギアTV工具好き」はチャンネル登録10万人の人気チャンネルとなり、毎週多くの工具情報を発信している。これ以外にもハンドツールジャーナリストとしてテレビ、ラジオ、雑誌、SNSなど多くのメディアを通じて発信を続けている。
ファクトリーギア株式会社
日本の様々な工具を使う現場からの声を元に、国内外の工具メーカーと共に創る『DEEN』の開発リーダー。 
自動車業界は勿論、様々なモノ創り、MROの現場のDXを工具でサポートする新業態にも注目が集まっている。
2024年には神戸に新たなコンセプトの店舗をオープン

起業から現在に至るまでの事業変遷

―それでは、御社のこれまでの経緯について教えていただけますか?

ファクトリーギア株式会社・髙野倉 匡人(以下、社名・氏名略)::はい、1995年頃から一店舗という形で事業を始め、父親と母親が二人で町工場を回り、商品を売り歩いていました。そこから1996年の5月に現在の業態をゼロからスタートしました。銀行取引やお店の建物は引き継ぎましたが、仕入れ先も販売先も全く新しい業態としてスタートしました。

―なるほど、それは興味深いですね。1996年にお店を開いたということですが、何か特別なきっかけがあったのでしょうか?

特別なきっかけというわけではありません。1996年はバブルが崩壊し、町工場が次々と閉鎖される時期でした。我々は町工場に消耗品を納めていたのですが、その小さな商店には生きる道がなくなっていました。その後、町工場は閉鎖され、中小企業は海外に生産拠点を移すところもありました。ある程度我々が一番売り上げを作り上げられるような規模の工場は、機械工具卸売商と直接取引を始めてしまいました。最終的に小規模な商店の多くは淘汰されてしまい、売り上げはあっという間に三分の一となり、生活が困難な状況になってしまった為、何かを始めなければならないと感じ始めたのがきっかけです。

スナップオンとの出会いとその後の変遷

―それがきっかけで今があるわけですね。スナップオンとの出会いやインスピレーションについて詳しく教えていただけますか?

ある工場に溶接機械を納品に行った時のことです。その時、溶接機械メーカーの営業マンが一緒にセットアップを行ってくれました。その営業マンが持ってきたのが、赤い箱に入ったスナップオンの工具でした。その工具は世界最高のブランドと言われており、小さな箱に入ったものでしたが、その価格が80,000円だと聞いた時、驚きました。私たちは大きな工具セットを30,000円程度で売っていましたから、その価格差に驚きました。

しかし、その工具を調べてみると、見た目も使用感も全く違うことに気づきました。それが私のスナップオンへの興味の始まりでした。工場を訪れ、そこで後輩の工具箱を調査し、その結果を元にアメリカから商品を輸入していたという話を知りました。

私の友人が勤める自動車ディーラーの整備工場で、メカニックが使っている工具を調査し、それに基づいてアメリカから工具の輸入を開始しました。もちろん、アメリカ製の工具だけでなく、日本製や欧州製の上質な工具の取り扱いを広げていきました。商品の選定は少しずつ行い、次第に店舗に並べていきました。

―なるほど、それは興味深いですね。ところで、新しいお店で高級な商品を扱いながら、ダンボールの看板を使用していたとのことですが、お客様はそれに対してどのような反応を示していたのでしょうか?

確かに、ダンボールの看板は一見すると安っぽく見えるかもしれません。しかし、お店自体は新築で、とてもお洒落で目を引くデザインだったので、それが逆に目立っていました。また、店舗は国道16号線沿いに位置していたので、通行人にとっては非常に目立つ存在だったと思います。

―それは斬新なアイデアですね。そして、その店舗の名前は「ファクトリーギア」と名付けられたのですね。その名前はどのようにして決まったのでしょうか?

名前を決める際には、店舗の外観をほかのお店とは違う目立った形にしようとしました。当初は工場に道具類を売ることが中心の仕事でしたので「ファクトリーギア」という名前に決まりました。店舗周辺は区画整理が始まったばかりで他に建物がなく、とても目立ちました。風変わりな建物のお店は、見たことがない世界中の工具が揃っているお店と評判になり、多くの人々が興味を持って入店してくれました。

―なるほど。その後はどのようにして、ミニFMの会社に引き抜かれることになったのでしょうか?

これは大学時代の話です。渋谷の街で当時人気だったカフェバーや居酒屋のイベントを企画したり、集客のチラシ撒きの学生を手配したりしていました。元気のいい学生がいるぞと噂になり、青山を中心にミニFMのイベントを制作していた会社に呼ばれて仕事をするようになりました。イベント制作を中心に広告代理店的のような仕事を担当していました。

学生時代のマーケティング経験を事業に応用

―大学生の時にイベント制作会社からスカウトされたとのことですが、それは非常に特異な経験だと思います。そこで学んだマーケティングやパブリシティの手法は、その後の事業にどのように生かされたのでしょうか?

私はその時に学んだ手法を、機械工具業界で具体的に活用しました。なぜなら、当時のこの業界ではまだ誰もそういったことをやっていなかったからです。私がまず取り組んだのは、工具の裏側にあるストーリーやその魅力を伝えることでした。ただチラシを作って安売りするのではなく、工具そのものの魅力を伝えるために、ワープロで書いた一枚の紙をお客様に配りました。

―その取り組みが冊子に発展し、最終的には「ファクトリーギアマガジン」というミニコミ誌に発展したのですね。その中でお客様から集まった情報やメーカーから集まった情報を混ぜ込み、工具を一つのプロダクトとして魅力的に見せる手法を始めたということですね?

その通りです。その後、出版社が私のミニコミ誌に注目し、四輪駆動車の専門紙である「フォーバイフォーマガジン」の副編集長から雑誌の連載を依頼されました。そこからさらに多くのメディアから話が来るようになり、工具の連載記事を書くことでブランディングが進み、知名度が上がりました。

―つまり、大学時代に学んだマーケティングとプロモーションの手法を機械工具の世界で実践し、それが成功につながったというわけですね。その後の展開はどうだったのでしょうか?

そうです。当初はダンボールの看板を出してお客様を集めていましたが、その後はマーケティングで学んだことを具体的に活用しました。例えば、当時、ドンキホーテが深夜営業で注目されていた時代に、私たちは深夜二時までセールを行うというイベントを開催しました。そのイベントを雑誌で連載していた出版社に記事にしてもらい、パブリシティを活用しました。その結果、一晩で千万売れるという結果を得ることができました。

―国道16号線沿いで夜中に夏祭りの夜店を集めたようなイベントを年に二回開催したとのことですが、それがブランドの認知度向上に大いに貢献したというのは興味深いですね。

はい、実際にそうでした。メディア戦略とイベント戦略を活用し、大学時代に学んだマーケティングの知識を最大限に活かして、事業は急成長しました。

―それを大切にされているのは素晴らしいですね。

現在はファクトリーギアプロデュースの「DEEN」の展開にも力を入れています。DEENは、日々、アメリカや欧州の上質な工具を使うお客様から「もっと形状をこう変えたらいいのに」「このサイズを小さくしたらいいのに」という声を実現すべく設立されました。もっと日本人の手に馴染む、海外のブランドと同じくらいのクオリティと格好良さを持った工具を提供したいと考えたのです。しかし、日本のメーカーは私たちを全然相手にしてくれませんでした。

―それは困りますね。その後はどうされたのですか?

そこで、私たちは台湾に目を向けました。台湾では、私たちがアメリカから輸入している工具がたくさんありました。そして、台湾の人々はとても暖かく、私たちの提案に耳を傾けてくれました。私たちが工具を作ろうと思ったときには全力で協力してくれました。そして、私たちはDEENという工具を作ることができました。そして現在では、日本国内外の工具メーカーが賛同し、集まり、質の高いブランドを創り上げることができました。

自社事業の強み

―ありがとうございます。続いて、自社事業の強みについて教えていただけますでしょうか。

一つ目の強みは、ファクトリーギアプロデュースの「DEEN」の流通を完全にコントロールしていることです。そのおかげで、しっかりと利益を確保しながら商品を販売することができます。

二つ目の強みは、全国に13の店舗を持っていることです。これらの店舗は、単に商品を販売するだけでなく、情報収集の場やB2Bビジネスの窓口としても活用しています。

三つ目の強みは、私が長年メディアに出演してきたことで、国内外の工具メーカーのオーナーと緊密な関係を築き、全世界から商品を供給するネットワークを持っていることです。

高野倉代表の思い描く未来の社会像

―それは驚きですね。そこにはどのような思いがおありなんですか?

私たちは、日本のものづくり、そして手と体を使って働く人たちの環境を本気で変えようと思っています。私は日本の未来について、一人ひとりが真剣に考えることが必要だと感じています。日本がどのように成長し、どのような歴史を経てきたのかを考えると、日本人の特性は他の国と比べても非常にユニークだと言えます。

しかし、その特性を守ることを忘れて、オフィスを遊園地のように楽しむホワイトカラーの皆さんや、美しい環境でリモートワークを推進する人々がいます。子どもたちはユーチューバーやIT関連の仕事に憧れますが、それだけでなく、守るべき仕事があるということを理解してほしいのです。

―それは具体的にどのような仕事を指していますか?

例えば、多くの建設現場では、作業員が決してかっこいいとは言えない作業服を着て、使い勝手の良くない安価な工具を持ち、重たい作業靴を履いて働いています。一流企業の名前が付いているにも関わらず、なぜ彼らのスタイルはカッコいいと思えるような装備にならないのでしょうか?彼らを見て、子どもたちはその職業に就きたいと思うでしょうか。

こういった作業員が子供たちもあこがれるようなスタイルになり、より快適で働きやすい環境を用意することが出来たら、きっとこういった職業の見え方も変わると思うのです。モノつくりが衰退し、MROに従事する人が居なくなったら、日本の未来はとても険しいものになると思います。社会課題はここにあります。若者が働きたいと感じる環境を作ること。そのために企業が積極的に協力することが必要です。

― なるほど、その点については大いに賛同します。最後に、高野倉さんが今後の社会についてどのような展望を持っているのか教えていただけますか?

私は10年も経てば確実に第一線を去るでしょう。その時、今の若い世代が楽しく働ける世界を作ること。日本の明るい未来に向け、現場で働く人たちの環境を変えていきたいと思っています。

―確かにその通りですね。今日は貴重なお話をありがとうございました。

プロフィール

氏名
髙野倉 匡人(たかのくら まさと)
会社名
ファクトリーギア株式会社
役職
代表