1976年、福岡県生まれ。2000年3月専修大学経営学部経営学科卒。同年4月にシャボン玉石けん株式会社へ入社。関東エリアの卸店、百貨店、スーパー、ドラッグストアチェーンなどへの営業に携わる。その後、取締役副社長などを経て、2007年より現職。無添加石けんを通じた現在の環境問題を広く社会に伝えるため、講演活動も積極的に行なっている。
創業から現在に至る事業変遷
―それでは、御社の創業から現在までの変遷について教えていただけますか?
シャボン玉石けん株式会社・森田 隼人氏(以下、社名・氏名略)::我々は、今年で創業113年目を迎えます。創業は1910年で、私の祖父が福岡の若松という地で森田範次郎商店を開業したことが始まりです。日用品や雑貨を扱う商店として活動しておりましたが、当時の若松は石炭の積み出し港として栄えており、人や資金が集まっていましたので日用品の需要が大きかったのです。その中で石炭を扱うと体が黒くなるので、石けんの需要も高まり、それに合わせて当社の商売の中心も石けんにシフトしていきました。
その後、戦争が終わった頃に私の父に代替わりし高度経済成長を迎えました。この頃に流行りだした洗濯機の普及に合わせて、アメリカから合成洗剤が入ってきたのですが、このタイミングで私の父が、これからは石けんではなく、合成洗剤の時代が来ると考え、1960年頃から合成洗剤の販売に力を入れました。
合成洗剤vs無添加石けん
―その結果はどうだったのでしょうか?
結果としてこの方針転換により、会社は大きく成長し、従業員も100人ほどに増え、合成洗剤をさまざまな方面に販売しました。しかし、その頃から私の父は肌トラブルを抱えるようになりました。
そんな時に、当時の国鉄の一部門である門司鉄道管理局から、合成洗剤で洗車すると機関車の車体が錆びやすいので、無添剤(無添加)の粉石けんを開発してほしいと依頼を受け、無添加石けんの開発に至ったのです。
無添加石けんの試作品を自宅で使ったところ、驚くべきことに、私の父が長年悩まされていた湿疹が一週間も経たないうちに改善されました。しかし、無添加石けんの試作品が無くなり、再び自社の合成洗剤を使うとすぐに湿疹が出たのです。長年悩まされていた湿疹の原因が自社の合成洗剤だと知り、大変なショックを受けます。そして、街で無添加石けんのサンプリングを行い、使用感のヒアリングを行った結果、思った通り、「赤ちゃんのおむつかぶれが良くなった」や、「タオルがすごくふんわりと仕上がった」などといった喜びの声をいただきました。
しかし、その時代はまだ安心安全や環境問題が重要視されていなかったので、「合成洗剤が売れている今、昔の石けんは売れない」というのが一般的な考えでした。現在のように化学物質が体に悪いという認識はなく、生活を豊かにしてくれるものという認識が強い時代でした。
父は家では無添加石けんを使い、会社では合成洗剤を売るという状態になっていたのですが、ある日、父が急な体調不良で入院することとなりました。このとき体の状態はかなり悪かったらしく、医者からはこのままだと、長くは生きられないとまで言われました。これが転機になり、父は一度しかない人生なので、自分が正しいと思うことに全力を注ごうと考え、退院したその足でそのまま、会社へ行き、全従業員を集め、今後は合成洗剤を全てやめて無添加の石けん一本でやると宣言しました。
―そうなると、従業員の方々は反対されたのではないでしょうか?
従業員からは大反対されました。実際、この方針転換により、合成洗剤で得ていた月商8000万円が、翌月には78万円になり売上が1%以下に落ち込んだのです。
当然、従業員たちは「社長がどうしてもやりたいのはわかるが、これでは会社が回らないので、合成洗剤を売る方向に戻しましょう」と提案しましたが私の父はその提案を退けました。父は、無添加石けんと合成洗剤の違いを理解していない人々に、その違いを正しく伝えることで、石けんの良さを分かってもらえるはずだと信じていました。家族までが反対する中でも、父はその信念を貫きました。
―その後、この逆境はどのように乗り越えたのでしょうか?
結果から申しますと、そこから17年間、赤字が続きました。社員数は100人から5人にまで減少しました。その5人もずっと残ってくれていたメンバーというわけではなく、採用と離職を繰り返す頻繁な入れ替わりの中での5人というだけです。
そこまでして、父が無添加石けんにこだわった背景には、自らの実体験がありました。自身の湿疹が石けんによって改善したことや、家の生活排水が流れる溝に、合成洗剤を使っていた時代には見られなかったイトミミズが戻ってきたことを通して、無添加石けんは肌にも環境にもやさしいという確信を持ったのだと思います。
17年間赤字でも続けられた背景には、合成洗剤の時代に大いに業績が良かったということや、景気が良かったということもあり、金融機関の融資基準が低かったということもありましたが、流石に10年以上の赤字となると金融機関からの支援も厳しくなりました。そこで私の父は、社長業を続けながら『自然流「石けん」読本』という石けんと合成洗剤の違いや環境への影響などについて書かれた本を執筆したのですが、これが異例のベストセラーとなったことを境に18年目にしてついに黒字化を達成しました。
時代背景として、この頃から、環境問題や安心・安全への関心が高まり始めた影響も大きかったと思います。その後、企業のCSR活動が叫ばれるようになったり、SDGsやESGなどへの関心の高まりに加え、肌荒れに悩む方が増えたことなどもあり、少しずつではありますが継続して業績を伸ばすことができているという状況です。
過去にぶつかった壁とブレイクスルー
―過去に直面した困難や、それをどのように乗り越えたかについて教えていただけますか?
一番の困難は、先代から私への代替わりです。先代である私の父は、シャボン玉石けんの創業者であり、カリスマ経営者のような存在で、多いときには年間百回以上の講演を日本各地で行っていました。私が30歳で社長に就任した半年後に父が他界したのですが、その際は非常に苦労しました。
長年にわたって私たちの製品を使い続けていただいているお客様の期待を裏切らないよう、しっかりとした製品を提供し続けることに対する責任感やプレッシャーを感じつつも、父親のようにあらゆる分野でカリスマ的に引っ張っていくことは難しいと感じていました。私が社長に就任したことで売り上げが極端に下がるということはありませんでしたが、伸び悩む時期もありました。
―社長就任後の御社の変化としてはどのようなことがあげられますでしょうか。
私が社長に就任してからは、先代の頃のカリスマ経営者のトップダウンの組織体制を大きく変更したのですが、その結果、更なる事業成長に繋がっていきました。私が社長に就任した当初は組織図を見ると、製造部とそれ以外の部署というの2つの枠組みだけでした。そこで、それぞれの現場で力を発揮できるように、組織を細分化し、それぞれの部署ごとにリーダーシップを取りやすくし、若い人たちでも活躍しやすい環境を作ることに注力しました。
というのも、弊社が組織拡大したのが黒字化した後の、90年代以降なので、ここで入社した社員たちはほとんどがまだ30歳前後で、若手中心の企業でした。そのため、若手が活躍しやすい環境を作ることで、彼らが自分の力を発揮できるように組織を整えました。それが結果として、各部署の自立的な活動ができるようになり、会社全体のパフォーマンスが向上し全体の業績を大きく改善することにつながっていきました。
この考えの背景には、先代の「役職が人を成長させる」という方針のもと、若手人材を早い段階から責任ある立場につけることで育てていくという教えがあり、私自身も入社した翌年には、取締役になり、その次の年には副社長に就任しました。
思い描く未来構想とビジョン
―それでは、森田代表が思い描く今後の未来構想について教えてください。
我々が目指すところの一つとして、石けんと合成洗剤の違いを一般常識にすることを考えています。
石けんと合成洗剤は、商品としては一緒にされていますが、価格や機能だけでなく、原料や製法、成分などが全く異なり、それがきちんと理解されていることが重要だと考えています。せめて、妊娠から授乳期間ぐらいの期間は、洗浄剤は石けんを使うということが当たり前になるように、社会全体の一般常識を変えていきたいと思っています。30年前にはどこでもタバコを吸っていましたが、タバコの有害性に対する認知が広まったことで、分煙や喫煙できる場所の制限など社会の常識が変化してきたのと同じように、洗浄剤は石けんを選ぶという考え方が社会全体に広がって欲しいですし、当社の取り組みを通して広げていきたいと思っています。
現在は、まだ環境に配慮した商品を選ぶという意識が十分に広まっているわけではないと思いますが、少しずつその傾向は見られます。価格や機能だけでなく、商品が自分自身や環境に優しく、またその商品を作っている企業が社会的な責任を果たしているかどうかも重視されるようになってきています。私たちは「健康な体ときれいな水を守る。」という企業理念のもと、人にも自然にもやさしい無添加石けんを広げることで、持続可能な社会に貢献していきたいと考えています。
読者へのメッセージ
―最後に次世代の経営者に向けたメッセージをお願いします。
企業は利益を上げなければ継続できませんので、利益は必要です。しかし、自社の利益だけを追求するのではなく、社会全体の利益として何ができるのかを考えなければなりません。
現在、社会問題となりつつある化学物質過敏症(※)のような問題も、20年前の花粉症と同じように、今はまれな症状でも30年後には一般的なものになるかもしれません。そのため、企業のトップとしては、自社のことだけではなく、社会全体のことも考えながら、持続可能な世界を作るための視野を持つことが重要だと思います。
(※)化学物質過敏症・・・さまざまな種類の微量化学物質に反応して、頭痛やめまい、吐き気などの体調不良を引き起こす。重症になると、仕事や家事が出来ない、学校に行けないなど日常生活さえ営めなくなる、極めて深刻な"環境病"。
―ありがとうございました。
プロフィール
- 氏名
- 森田 隼人(もりた はやと)
- 会社名
- シャボン玉石けん株式会社
- 役職
- 代表取締役社長