今回はアルミニウム産業を牽引するホクセイプロダクツ株式会社の冨田 昇太郎氏にお話を伺った。冨田代表は、アルミ専門商社の二代目として会社を引き継ぎ、経営の舵取りをしている。今回のインタビューでは、先代が創業された頃の思いから、事業の変遷、社の強み、人材育成に至るまで、幅広いテーマについて深く掘り下げていく。冨田代表のリーダーシップのもと、どのようにして会社が変革と成長を遂げてきたのか、その背景にある哲学とビジョンに迫る。
(執筆・構成=野坂汰門)
慶應義塾大学法学部卒業、三井物産株式会社入社、 日本軽金属株式会社を経てホクセイプロダクツ株式会社代表取締役就任。 欧米並びに沖縄の現地法人社長を兼任。現在に至る。
代表冨田氏の軌跡と事業の変遷
ーまずは、先代が創業された頃の思いから事業変遷についてもお伺いさせてください。
私は、二代目として会社を受け継いでいます。元々、父は大きなアルミメーカーの出身で、その会社から出資を受けて、今から47年ほど前に分離独立したのが我々の始まりです。
ただ、私自身は父が設立したアルミに特化した専門商社をそのまま継ぐというわけではなく、その会社からスピンアウトした子会社に創業三年目の時に、入社しました。
そして、私自身は典型的な二代目として、「有力な参謀がいて色々とお手伝いしてもらう」という立場とは真逆でした。帰ってきて、右も左もわからない状況の中、経営の舵取りを直接とる立場となりました。
ー なるほど、いわゆる放任主義ですね。
まさにおっしゃる通りです。私の父の教えは、魚を与えてあげることもできるが、そうではなく、魚の釣り方を学ぶことで、自分で魚を釣って、自分の力で食べ続けることができるようになるということです。今となってはこれが私にとっての生きる力となりました。
ー 他の会社の後継者の方々は、生産や経理などの学習に専念できる一方で、冨田代表は、自分の足で稼ぐところから始まったということですね。
そうですね。厳しい立場でしたが、それが私を育ててくれたとも言えます。
それこそ、本業の会社をそのまま継がせるのではなく、新たな子会社を設立し、まずは好きなことや興味のあることをやってみては、と良い意味で突き放して自由に挑戦させてくれました。
ー 厳しいようで優しい指導ですね。しかしその中で失敗や苦労も多かったのではないでしょうか?
はい、最初は本当に苦労しました。新製品の開発や輸入ビジネスなど、いろいろと試みましたが、ほぼ失敗に終わりました。
毎日どうしたら利益を出すことができるのかを常に考え続けて、毎晩のように夢にも出てきてましたね。私がこの業界に入ったのが30代前半のことでしたが、その後の30代の記憶はほとんどありませんね。私の人生の中で二度と戻りたくない時期です。本当に四苦八苦しながら過ごしました。
ーそれこそ、二代目社長ではありますが、ベンチャー企業の経営者さんと同じようなことをやっていたように感じますね。ここまで、冨田代表自身の変遷についてお聞きしてきましたが、事業の変遷ついても教えていただけますでしょうか。
はい、私たちは元々、アルミ建材をメインに扱っておりましたが、ここがレッドオーシャンになりつつあると感じ、展開したのが薬の分野です。よく「富山といえば薬売り」と言いますが、ジェネリック医薬品のブームのタイミングで様々な製薬メーカーが富山に工場を設立しました。薬の分野に進出していこうと製薬メーカーを回っていたのが、私が30代の時です。その結果、薬のパッケージなどを扱うといった、メーカー商社のような事業にシフトしたのが、ここ10年くらいの事業変遷です。
ー そうなんですね。御社は総合商社としての分野も大きく展開されているかと思うのですが、そこの転換についてもお聞きできますか。
富山県のアルミ産業の構造は建築材料に偏っている上に、LIXILやYKK、三協アルミといった大企業がひしめいています。ここでビジネスをやっていくとなると、価格のコストダウン競争に巻き込まれます。
産業構造が変わらないという状況は、イノベーションがないということが一つの原因かもしれません。労働人口はどんどん減ってきていますし、シャッター通りは増える一方で、地元が衰退していきます。
このような状況の中で、地元で、富山の薬のメーカーや、高岡地区の建築材料を扱うアルミサッシの会社だけで付き合っていくと、明らかに縮小していくと考えました。私が30代の頃、自分自身がこのままだったらお客さんが離れてしまうかもしれないと思い、それが後のホクセイの新たなビジネスを築くきっかけとなりました。
資産ポートフォリオ的な考え方をすると、アルミの原材料とそれ以外の分野を持つことが重要だと思います。それにより、アルミ製品の製造だけでなく、他のエリアでも分散させることが可能になります。それがポートフォリオ上でのリスク分散につながると考えました。
ー その考えから、実際に外に出ていく動きが始まったのですね。
はい、そうです。子供が小さい時に「君のお父さんは何をしているの?」と聞かれたら、「お父さんはいつも旅をしています」と答えるほど、私は常に出張をしていました。その間に、北海道、スウェーデン、アメリカなどに拠点を作っていきました。
ホクセイプロダクツと海外挑戦
ー 海外進出ついて教えていただけますか?
我々のやり方は、まず自分たちが行き来したいと思うエリアを選び、そこにオフィスを作るという方法です。
ビジネスの話が始まると態度が変わる人はいます。それは当然のことで、相手が誰なのかを確認する段階に移行するからです。東京は特にそういった意味でフレンドリーな場所で、私はそれを第二の故郷として捉えています。しかし、これまで縁がなかった場所に出かけていくことは大変ですね。
ー そうですね。新たな地域に進出するとき、どのような準備が必要なのでしょうか。
我々が新たな地域に進出をしようとする際、まず考えることはその地域の人々にとって役立つことが何なのか、です。それを考えなければ、当然ながら受け入れてもらえません。
その地域の人々が大事にしているもの、愛しているものであっても、その地域から出ると知名度がないものが多いです。我々の役割として、それらを紹介し、他の地域につなげていくことができれば、双方にとって意味があると思います。
ー それは富山の薬売りのようなものですね。先に商品を置いて、後からお金を取りに来るという。
まさにその通りです。富山の薬売りは、頭痛薬や風邪薬を置いて、後からお金を取りに来るという""先用後利""という方式をとっていました。我々も、最初にその地域に進出した際には、まず地域の人々に何かを提供し、その後で利益を得るという形をとるべきだと考えています。
そのような活動を続けていると、我々が作ってきたネットワークがつながっていく感じがあります。北海道、京都、沖縄、アメリカ、北欧といった地域の点と点だったものが、だんだんと線でつながっていく感覚です。最近は、これとこれをつないでほしい、これとこれを持ってきて新たなものを作ってほしいという話が増えてきています。
ホクセイプロダクツの強みとは
ー それは興味深いですね。次に御社の強みについてお聞かせいただけますか?
我が社の強みとして挙げられるのは、アルミニウムに関する知識と技術です。
富山県はアルミニウム産業のクラスターであり、私たちも40年以上アルミを取り扱ってきました。アルミの原材料から最終製品、そしてリサイクルまで、アルミについては多岐にわたるアイデアを出すことができます。これにより、アルミに関するワンストップサービスを提供できるという強みがあります。
その他にも、富山県という地域を深く理解していることが強みです。地方社会では人との関係が非常に重要で、長年の地道な努力により多くの関係を築いてきました。富山は東京や関西からもアクセスが良く、自然が豊かでモノづくりの産業が盛んです。教育水準も全国的に見て高いと言われています。これらの特性を活かし、富山をベースに事業を展開しています。
他の地域との繋がりも強みとして挙げられます。地域との交流を長年続けてきたことで、新たなビジネスチャンスにつながっています。我々のスローガンは「地域の価値を世界につなぐ現代の北前船」であり、これが我々の弱点をカバーする要素となっています。
ー なるほど、そのような視点から事業を展開しているとは興味深いですね。ホクセイプロダクツ株式会社では人材育成にも力を入れているとの話を伺いましたが、その観点から何か特別な取り組みはありますか?
人材は企業の財産であり、我々は積極的に人材に投資をしています。例えば、コロナの期間中も、私たちの人材がポストコロナの時代に適応できるよう、社会デザインという概念を学ぶために立教大学のオンライン講座を受講させています。
さらに、ビジネススキルとして必要となる人工知能などの最新知識を学ぶため、オランダから講師を招いて全社員向けの講義を開催したり、最新の技術を学ぶ機会を提供しています。我々はまだまだ進化の途中で、商社とは人であるという信念のもと、人材育成に力を入れています。
ホクセイプロダクツが考える未来構想
ー 素晴らしい取り組みですね。この人材育成の取り組みが、未来構想や新規事業、既存事業の拡大プランにどのようにつながっているのでしょうか?
どのような仕事でも請け負えるフレキシブルな拠点を持っている会社は意外と少ないんです。我々は北海道、東京、富山県、京都、沖縄、北米、北欧の7カ所に拠点を持っています。これらのネットワークをうまくつないでいくことで、社会にある課題、例えば貧困や環境破壊などをビジネスの力で解決していく、いわゆるソーシャルビジネスに力を入れていきたいと考えています。
確かに、ソーシャルビジネスで利益を出すのは難しい部分があります。ボランティアになってしまうところをビジネスにすることで、持続可能性を確保することが重要です。そのためには、ソーシャルビジネスをどうやって利益が伴うものにするかという点について、我々は現在取り組んでいます。
- 氏名
- 冨田 昇太郎(とみた しょうたろう)
- 会社名
- ホクセイプロダクツ株式会社
- 役職
- 代表取締役