1972年7月17日、山口県宇部市に生まれる。
家庭の事情で高校を中退、横浜の外車ディーラーに勤めた後、郷里に戻り、住宅建築現場の足場業を開始し、その後独自の研磨技術と特殊コーティング材による外装リフォーム事業を開始しました。 「逆立ちしても上場企業には入れないが、逆立ちしたら上場企業が作れるかもしれない。」と思い、1997年に有限会社を設立、2001年に株式会社へ改組し5年後の上場を宣言し、宣言通り2005年4月26日福岡証券取引所「Q-Board」に上場し、その後2015年8月13日東京証券取引所「マザーズ(現グロース)」へ上場しました。
起業から現在に至るまでの事業変遷
―それでは、御社の起業からこれまでの事業変遷について教えてください。
株式会社エムビーエス・山本 貴士氏(以下、社名・氏名略)::はい、当社は1997年に設立し、当時私は20歳でした。その前は横浜の大手ディーラーで品質管理の仕事をしていました。
私が会社を設立した理由は、幼い頃に父が経営していた会社が倒産し、家族全員で関東に引っ越すという経験が大きく影響しています。その経験から「会社を創り、父が失敗した地でリベンジしたい」という思いがありました。そこで、20歳の時に山口県に一人で戻り、会社を設立しました。
しかし、会社設立時はバブルが崩壊する直前で、一般の人々にはその事実がまだ認識されていませんでした。そんな中、いわゆる「3K」(キツい、汚い、危険)というイメージの強い、足場鳶という呼ばれる業種で事業を始めました。当初は数年間、地域の若者たちを雇用し、事業を営みました。
―その後、どのようにして現在のビジネスモデルに至ったのでしょうか?
足場鳶の仕事をしている間に、足場と外壁の業者が抱える問題や、お客様が持つ不満を直接見てきました。私たちがそれらの問題を解決することで、足場と外壁の業界で新たなビジネスが生まれるのではないかと考えました。
そこで、足場の業界で収益性が高かった時期に、自己資金で研究開発を始めました。しかし、開発には思った以上のコストがかかり、最終的には銀行からの借入金が1億2000万円にまで膨らみました。
その後、日本のメーカーと共同で開発を進めていましたが、求める水準に達しなかったため、27歳の時にイギリスに渡り、現地のメーカーと共同で開発を行うことにしました。イギリスのメーカーとの共同開発も、私たちが小さな山口県の会社であることを理由に、最初はなかなか上手くいきませんでした。
しかし、銀行からの借入が限界に達していたため、何とかして事業を成功させる必要がありました。その頃、ベンチャーブームが起こり、ビジネスプランコンテストが開催されていました。私たちはその中で、大前研一氏が主催する「ビジネスジャパンオープン」というコンテストに参加しました。 その大会ではファーストリテイリング社の柳井代表やソフトバンク社の孫代表などの著名な方々が審査員を務めていました。当社は注目の審査員が集まる大会でグランプリを受賞し、主催者である大前氏より出資を受けることができました。
その資金を元手に、当社の事業において必要な特殊材料を手に入れ、技術開発もかなり進めることができました。その中で、現在の主力事業である、独自の施工技術により、劣化した建物の外壁の美観を再現し環境への耐性を強化する「ホームメイキャップ」というサービスを開始し、山口県で良好な業績を上げることができました。その後。福岡や東京にも事業を広げることができ、その他周辺事業も徐々に開発し現在に至ります。
自社事業の強み
―続いて、御社の強みについて教えていただけますでしょうか。
私たちの強みは、高速道路やJR、トンネルなど橋梁関連に対するソリューションを有している点だと考えています。橋梁関連は耐用年数があり、インフラなので定期的に状況を確認する必要があります。特にコンクリート構造物が経年劣化すると、その剥落が下に走っている国道や鉄道に影響を及ぼす可能性があります。そんな事態を防ぐために、私たちのスケルトン防災コーティングという透明なまま施工し剥落を防止できる技術が使用されています。
この技術の利点は、コンクリートそのものの状態を監視できるので、微細な問題を解決でき、本当に問題のある部分だけ施工ができることです。コンクリートを覆ってしまうと、どこで問題が起きているかが分からなくなりますが、私たちの技術ならそれを防げます。また、ドローンなどでも確認でき、調査や点検におけるコストも格段に抑えることができます。実はこの技術は当社が世界初で、その実績も我々が一番保有しています。
さらにこの領域は新規参入が非常に厳しいので、その分野において高い技術と実績を有している点も強みであると言えます。
過去のブレイクスルー・成功体験
―それでは、過去のブレイクスルーや成功体験について教えていただけますでしょうか。
ブレイクスルーは複数あります。まず、先ほどお話ししたビジネスジャパンオープンでの経験、メーカーとの信頼関係を築くことで、独占的に扱える製品が増えたことなどです。これらの取り組みにより、地方の小さな会社から上場企業へと成長することができましたし、それと同時に、地味ながらも財務体質を強化し、売り上げを伸ばすことができました。その中で先ほども少し述べましたが、特に、イギリスに渡った経験はブレイクスルーとして挙げられると思います。
―では、イギリスに行かれた経験について詳細に教えていただけますでしょうか。
まず、イギリスに行った理由は、住宅の平均寿命を調査したところ、イギリスの住宅が非常に長寿命であったからです。そしてそれは、石積み文化や手を加えて価値を高める文化があったからです。しかし、それを実現する製品がなければ意味がありません。そこで、樹脂関係や接着剤などの原材料を探しにイギリスに行きました。その結果、日本に適している材料を見つけることができました。
しかし、イギリス製の製品をそのまま日本で使うと、日本独特の湿度などの影響で性能が十分に発揮できないという問題もありました。日本の気候に合わせて製品を調整するジャパンアレンジを何度も行い、失敗を繰り返しながら現在の製品に至りました。
この研究開発は非常に時間と労力がかかりましたが、私自身が先導して行いました。大手ハウスメーカーや大手ゼネコンに研究者を紹介する際、私が理系の学歴がないことや、マスターやドクターの学位がないことが問題視されることがあったので、30歳を過ぎてから大学に戻り、修士号も取得することで協力を得ながら今の形になったのです。
思い描く未来構想・ビジョン
―続いて、山本代表が5年から10年ほどの長期的スパンで思い描く未来構想やビジョンについて教えてください。
当社のスローガンは「列島リフォーム」です。新築からリフォームへの文化の変革を目指しています。特に、地方では家付きの土地を購入するコストが、その家を解体する費用よりも安くなるという問題が浮上しています。東京の中心部を除く地方の都市でも、建物の解体費用が土地の価値を上回るケースが増えています。私たちは、リフォーム文化を浸透させることで、この問題に対応したいと考えています。
また、交通インフラのメンテナンスにも同じ視点を持っています。40年、50年以上経過したインフラが増えてきており、これらのメンテナンスが容易に行えるようなシステムを構築し、早急に対応できる体制を整備しています。
―具体的にどのような取り組みを行っているのですか?
全国各地に支店を持ち、地元の業者と連携することで、各地域の特性や個性を活かしたリフォームを提供しています。新築の場合は一定のマニュアルに従って同じような家が作られますが、リフォームでは地元の風土による違いを考慮し、それに合わせて調整することが重要です。
私たちは、このような取り組みを通じて、社会に貢献し、関わるスタッフや社員が豊かな生活を送れるような会社を目指しています。そして、我々の存在意義がスタッフにステータスを与え、将来ドラマ化されるような会社になることを真剣に考えています。
プロフィール
- 氏名
- 山本 貴士(やまもと たかし)
- 会社名
- 株式会社エムビーエス
- 役職
- 代表取締役