1975年11月11日生まれ。名古屋大学経済学部経済学科を卒業し、慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院単位取得。トヨタ自動車、博報堂を経てヤマモリに入社し、社内を横断した23のワーキンググループによるプロジェクトYTA:Yamamori Turn Around(ヤマモリ・ターン・アラウンド)を始動。2022年6月に5代目社長に就任。
これまでの事業変遷について
―まず初めに、ヤマモリ株式会社の事業変遷についてお聞かせください。
弊社は1889年に創業しております。会社として130年以上の歴史がある中で、私が経営を担当するようになったのは、つい1年前です。 私たちの会社は創業から134年間で、常に環境変化に適応するために、様々な挑戦をしてきました。
私は5代目の社長ですが、3代目社長の頃は、様々な技術革新や商品設計・開発などを促進しておりました。現会長である4代目はタイに進出し、新しい分野の開拓や新商品の開発・販売を行い、商品バリエーションの拡大に尽力しました。 レトルト食品の殺菌装置を自社で開発したり、業界初の醤油生産の自動化装置を作ったり、同じく業界初の液体小袋スープの製造を始めたりと、業界初の取り組みを数多く行ってきました。
その一貫した挑戦風土があったからこそ、積極的な技術開発を行い、その技術を用いて高品質な商品を提供し続けてこれたと考えております。
―その挑戦する精神はどのように、組織風土として形成されてきたのでしょうか?
実は、大部分がトップからの影響によるものです。リーダーが自ら先頭に立ち、周囲に影響を与え、そして、常に変化を追求するというメッセージを発信し続けてきました。
4代目社長の話ではありますが、1983年に発売した焼酎割り材のサワーの例をご紹介します。当時、割り材は多少発売されていましたがマーケットはまだ大きなものではありませんでした。満足のいく品質のものがないとの取引先からの話を受け、彼自身が商品開発に着手しました。当時、弊社は食品産業では調味料、レトルトなど分野を広げていましたが、飲料の製造販売の経験も製造設備もありませんでした。そこで、彼は自社で製造設備を持たず、アウトソーシングを活用したいわゆる今でいうファブレスを利用したビジネスモデルを構築しました。製造は外部に委託し、自社では研究開発やマーケティングに注力したことで、一年間で25億円もの売上を上げるという偉業を成し遂げたのです。
―素晴らしいですね。三林社長自身も、役割や価値観は先代からしっかりと引き継がれて、現在の事業に取り組まれているのですか?
はい、取り組んでいます。取り組みの一例ではありますが、私が立ち上げたのは全社横断のプロジェクト・YTA(ヤマモリ・ターン・アラウンド)です。 どの会社にもあることですが、弊社内でも独立した各部門間の情報共有が十分ではありませんでした。
その状況下のもと、約2年前からYTAというクロスファンクションチームを立ち上げ、組織の壁を壊しながら、組織間の課題を解決していくことで生産性を高めていく取り組みを始めました。
―三林社長の立ち上げられたプロジェクトの結果、どのような変化が見られたのでしょうか?
昨今、食品業界を取り巻く環境は、非常にアゲインストで、原材料の価格やエネルギーコストの上昇、円安といった予測がつかない状況があり、製造原価高騰が深刻な課題となっています。食品業界は利益率が低いため、原材料費の上昇は大きな影響です。そのため、我々は会社の利益率を高めることが急務となっています。
YTAでは筋肉質な組織を作り上げるべく、全社を挙げて営業活動・工場の生産性向上をはじめとしたさまざまな取り組みを行いました。その結果、初年度から連続で売上は過去最高を更新し、原価低減も実現できました。 加えて、全社一丸となって取り組んできたため、組織の力を高める良いトレーニングとなり、会社単位で利益を確保する力がついてきたと感じています。
企業が存在を継続するためには、常に新しいことに挑戦し続けることが重要だと考えています。そのためには、組織全体が挑戦の精神を持ち続け、それを具現化するための具体的な取り組みを行っていくことが必要です。経営者としての私の役割は、その取り組みをリードし、組織全体を引っ張っていくことだと考えています。
このVUCAの時代、立て続けに起こる環境変化に瞬時に対応するためには、メンバーが主体的に考えて行動する自立型の組織作りが必要です。私自身はまだ経験不足の経営者だと感じており、もっと従業員と一緒に戦っていくためのコミュニケーション、彼らと同じ目線に立った経営を行っていく所存です。
自社事業の強み
―ヤマモリ株式会社の強みをご教示ください。
私たちの強みは2点あります。 1点目は、圧倒的なレシピのデータベース数です。私たちは130余年の歴史の中で多種多様な商品を開発・製造してきました。その結果、豊富なレシピのデータベースを有しています。長年の経験を活かした高品質で、多様な提案を可能にしています。
2点目は、オペレーショナルエクセレンスを常に追求した製造能力です。安全安心高品質を担保しながら、様々なジャンルの商品群、多変量の生産に対応することができ、それによって培われた製造経験・ノウハウも持ち合わせています。
加えて言えば、近年市場で大きな注目を浴びている、原料のGABA(ギャバ)も私たちの強みです。弊社の醤油研究の過程で発見し、安定的な製造の特許技術を取得しました。GABAを配合した商品の製造・販売や、GABAという原料自体の販売も行っております。
思い描いている未来構想
―将来の展望についてお聞かせください。また、その展望に向けてどのような取り組みが必要でしょうか?
VUCA時代の劇的な環境変化に適応するため、筋肉質な企業体質に進化するべく、組織能力を構築することに全力を注ぎます。また、今後は自社ブランド価値の向上拡大が重要だと考えています。どのような環境変化にも適応するために最も重要なケイパビリティがブランドです。そのためには、私たちが持っているリソースを最大限に活かし自社ブランドを強化していくことが必要です。自社ブランドを持つことは従業員の誇りにもつながりますし、利益面や生産計画においても自社のコントロールができるビジネスとなります。
具体的な取り組みとして、消費者のニーズに合った商品開発とプロモーション活動に力を注ぐことが挙げられます。当社の現在の商品開発はおいしさを礎にした「エンターテインメント」と「健康」を追求し、必要なタッチポイントでのブランドコミュニケーションを計画しています。
また、他社とアライアンスを組み、商品開発を主軸にブランド価値向上のため、マーケティング戦略を策定することも1つの重要な施策です。それぞれの市場のトッププレイヤーとの協業はお互いの市場に大きなシナジー効果をもたらし、市場を活性化させます。
―自社ブランドの開発とプロモーション戦略では、既に取り組まれている事例などございますでしょうか?
「名古屋丼・名古屋麺シリーズ」をご紹介させていただきます。 「名古屋丼シリーズ」は、私がマーケティングの責任者として活動していた時に、「名古屋=弊社」というブランドイメージを確立するために開発した商品の1つです。
名古屋で人気の台湾ラーメン店で提供されていた「台湾丼」が着想のきっかけです。この「名古屋丼シリーズ」は、名古屋の三英傑である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をイメージしてプロモーション戦略を考えております。現在は、名古屋のローカルマーケットを中心に販売をしていますが、将来的には”名古屋のブランド”として観光客向けのお土産として提供したいと考えています。
―ありがとうございます。グローバルへの進出はどのように考えていますでしょうか?
私たちはタイに工場を所有しており、タイの拠点を中心に世界中へ商品を輸出するルートを確立しております。それを強みとして、タイからの物流が容易なアセアンはもちろん、オセアニア・中東などへのアプローチも視野に入れています。1988年にタイへ進出し、日本食市場での存在を確立した経験を踏まえ、これらの国の進出には日本の商品をそのまま売るだけではなく、現地のニーズに合わせた商品開発やマーケティングでアプローチしてまいります。
ZUU onlineのメッセージ
―最後に、ZUU onlineのユーザー向けに一言お願いします。
これからも食を通じた「エンターテインメント」と「健康」のご提案を使命とし、お客様の「心」と「身体」に寄り添う商品作りに努めてまいります。
- 氏名
- 三林 圭介(みつばやし けいすけ)
- 会社名
- ヤマモリ株式会社
- 役職
- 代表取締役 社長執行役員