兵衛旅館45代目当主。700年以上前から引き継がれた伝統を守りつつ、DX等の新しいビジネスモデルを積極的に取り入れ、時代に合わせた成長ができるような組織作りを強化している。Arima Tourism & Ryokan Assosiation 協同組合代表理事、神戸市観光ホテル旅館協会会長、有馬伝統文化振興会会長等、観光や文化振興を主とした組織の重要な役職を兼任し、観光産業の発展に尽力している。
―始めにお聞きしたいのは、御社の事業についてです。ビジネスを始めてから現在までの経緯、また最近ではコロナの影響もあると思いますが、その点も含めてお話しいただけますか。
はい、当社の創業は約700年前からで、株式会社としての歴史は86年です。古い旅館が多い中でも、私たちは地元で長い間旅館業を続けてきました。昭和の30年代から周辺の交通インフラや行政の開発が進み、温泉に訪れる観光客だけでなく、訪れるお客様が増えました。当時は35室程度の旅館でしたが、大阪万博の50年前から団体旅行の需要が増え、今では120数室の大型旅館として営業しています。
―その歴史的背景があるからこそ、現在の規模になったのですね。昔の記録についてはどの程度残っているのでしょうか。
断片的には残っています。例えば、豊臣秀吉が有馬温泉に9回ほど訪れたという記録も残っています。
―歴史的なエピソードを聞けると、その業界の成り立ちや変遷がより理解できますね。旅館業界は現在、厳しい状況が続いていますが、兵衛旅館の強みは何だと思いますか?また、競合となる存在はどのようなものでしょうか?
まず、有馬温泉全体の強みとして、交通の便が良いことです。全体的に見ても、交通の利便性は大きな強みといえます。さらに、日本三名泉の一つに数えられるなど、知名度も高いです。茶色の鉄分を含んだ珍しい温泉も魅力の一つです。 兵衛旅館の強みとしては、大規模な旅館で、団体客から個人客まで幅広く対応していることです。広い施設内には様々な設備があり、部屋での食事はもちろん、テーブル席のレストランから掘りごたつ式のレストランまで、食事の選択肢も豊富です。三つの趣の違う大浴場を持っており、一泊でそれぞれの浴場を楽しんでいただけるのも私たちの特徴です。
―それは魅力的ですね。さて、過去に何か特筆すべきブレイクスルーがございましたら教えていただけますか?
昭和30年代に入ると、私たちの旅館は旅館業界で初めて、温泉街から山の斜面に立つ旅館へのケーブルカーを設置しました。これが当時は非常に珍しく、大きな注目を浴びました。 また、昭和38年頃には、キダ・タロー先生作曲の仲宗根美樹の歌声によるコマーシャルソングを全国に流しました。この歌とともに、「兵衛向陽閣」の名前が全国に知られるようになりました。
さらに、昭和33年には、現上皇陛下が皇太子時代に当館を訪れたこともあり、全国的に知られる存在となりました。これらが昭和30年代のブレイクポイントとなりました。
―なるほど、それは素晴らしい歴史ですね。その後の昭和40年代には、何か特筆すべき出来事はありましたか?
昭和40年代には大阪万博が開催され、団体旅行が活発化しました。これもまた、私たちの旅館にとって重要な時期でした。
―大阪万博が開催された時期に、御社の旅館だけでなく他の旅館も部屋を増築したと聞きました。その規模拡大はどのような経緯で行われたのでしょうか。
その時期は、大阪万博と団体旅行ブームが同時に起こり、多くのお客様が訪れることが予想されました。そのため、部屋を増やす必要があったのです。これが、私たちの業績が大きく伸びた40年代のターニングポイントだったと言えます。
―団体旅行ブームが終息し、客層が変わり始めた時期には、どのような対応をされましたか。
その時期は、食事のバリエーションを増やすために宴会場やレストランなどの施設を改装しました。団体客から個々のお客様へと客層が変わったため、個々のお客様が食事を楽しめる施設へと変えていきました。これは、私たちだけでなく、多くの旅館も同様の対応をしていたと思います。
―それは、バイキング形式の食事提供が始まったということですか。
はい、その通りです。バイキング形式は、東日本よりも西日本で早く普及しました。私たちは、バイキングだけでなく、個室レストランなど、様々な食事提供形式を取り入れました。 我々は早めに対応し、時代のニーズを捉えてきました。
―それは素晴らしいですね。さて、次にお伺いしたいのですが、変化の激しい時代だからこそ、守り抜くべき伝統というものがあると思います。風早さんが意識されているものは何でしょうか?
やはり、我々が重視しているのは「おもてなし」です。日本のサービス業の接客は世界に認められています。ただマニュアル通りのおもてなしではなく、一人一人のお客様のニーズに合わせた対応ができるようなサービスが求められています。特に、我々の旅館ではお客様が一泊、あるいは二泊過ごされますので、そのような対応が必要だと思います。
また、日本人にとって、そしてこれからの海外のお客様にとっても、一番落ち着ける空間というのはやはり畳のあるお座敷だと思います。そういった空間を残していきたいと考えています。海外のお客様にとっても、畳やお座敷は新たな体験になると思います。それが日本の文化を体験する一環となり、ホテルと旅館の違いを明確にすることにも繋がると思います。そのため、温泉、畳文化、座敷文化、そしてマニュアル通りでない対応といった要素を残していきたいと思っています。
―近隣のアジア諸国は、ほとんどが欧米オフィススタイルのホテルばかりで、日本の旅館のような伝統的な宿泊施設は少ないと感じます。
その通りです。日本の旅館もだいぶ洋室化してきて、ホテルとほとんど変わらないところも出てきています。しかし、これからのインバウンドのお客様、そして日本人のためにも、伝統を残していった方が良いと思います。
―なるほど、それは納得です。次に、風早さんが思い描いている未来の構想についてお聞かせいただけますか?
具体的な事業計画はまだありませんが、地域全体の活性化が必要だと考えています。私たち自身も旅館の場所以外にも有馬町内に資産を持っていますので、その資産を有効に活用して、地域の賑わいを増やすことを考えています。
―その資産を活用して、新たな集客策を考えているということですね。何か新しいプロジェクトに取り組んでいると伺いましたが、具体的にはどのようなものでしょうか?
私たちは飲食店やイベント会場の運営、さらには街の活性化につながるような事業を展開していきたいと考えています。地域全体としての魅力は、兵庫県にとって大変ありがたいことだと思います。 特にコロナ禍以降は、遠方から来られるお客様が多いですね。全国からいらっしゃるお客様にとって魅力的なものとなるようなプロジェクトに取り組んでいます。
―風早さん、コロナ禍の影響について、具体的なところを教えていただけますか?
お客様が戻ってきてくれたのはありがたいですが、人手不足が深刻な問題となっています。特にサービス業や宿泊業では、この問題が顕著に表れています。今後の課題としては、優秀な人材を確保し、定着させることが重要なのです。
―風早さんは楽しい職場環境が良いサービスを生むと信じていらっしゃいますね。これからの課題は、給与だけでなく、働く環境や楽しさをどう創り出し、優秀な人材を確保するか、ということですね。
その通りです。これからのチャレンジは、優秀な人材をどう確保し、働きやすい環境をどう創り出すか、ということです。
―しかし、働く側から見ると、旅館業は厳しいとも言われていますね。
確かに、24時間営業で、週末やお正月も休みがないので、それはある程度覚悟して働いていただいています。 このコロナ禍では観光業、旅行業が大きな打撃を受けています。 このような困難な状況は、課題を見直すきっかけにもなると思います。ポジティブに考えると、そういう意味もあるのかなと思います。 何が起こるかわからない未来に向けて、常に課題を見直し、改善していくことが大切です。
- 氏名
- 風早 和喜(かぜはや かずよし)
- 会社名
- 株式会社兵衛旅館
- 役職
- 代表取締役社長