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(画像=ニッコー株式会社)
三谷 明子(みたに あきこ)
ニッコー株式会社代表取締役社長
1982年東京外国語大学外国語学部卒業。
1984年有限会社北都代行社社長。2010年財団法人三谷育英会と三谷研究開発支援財団理事長としての活動を開始。
2011年ニッコー株式会社取締役に就任。2014年より、同社 常務取締役に就任、戦略本部長、マーケティング室長を兼任するとともに、海外関連会社であるNIKKO CERAMICS, INC.取締役会長に就任。
2016年同社代表取締役社長就任。
ニッコー株式会社
1908年石川県金沢市にて洋食器メーカーとして創業。
現在、陶磁器事業に加え、地球環境を守るために大切な「水」を守る水創り事業と環境プラント事業、「住」む人の健康を守り心身をリラックスさせる理想のバスルームを提供するバンクチュール事業、快適性や省エネに貢献する商品を提供する機能性セラミック商品事業、これらの事業を通して、日々の生活をより豊かに、より快適にするために役立つ商品を製造し、提供している。

創業から現在に至るまでの事業変遷

―ニッコー株式会社のこれまでの事業の変遷を教えていただけますか?

ニッコー株式会社・三谷 明子氏(以下、社名・氏名略):弊社は、創業時「日本硬質陶器株式会社」という名前でスタートしました。1983年、創業75周年を機に社名が変更され、現在の「ニッコー株式会社」となりました。

―金沢に工場が数多く存在した時代について教えていただけますか?

創業時には、政府から外貨獲得を指導されていました。そのため、洋食器製造によって外貨を獲得できるのではないかということから、当時、前田家をはじめとする同郷の有力者の出資により、「日本硬質陶器」という会社が設立されました。その背景には、石川県が九谷焼などの伝統工芸が盛んな地域ということがあったのだと思います。

創業時は金沢市の中心部に工場があったのですが、産業が活発化し人口が増えてくると、工場から排出される煙が洗濯物を汚すという問題が発生しました。それにより、工場は街中から郊外へと移転することになりました。その後工場は駅の近くに移転し、現在は白山市で本社として活動しています。

―その時期に作られた食器について教えていただけますか?

大正、昭和期には、ウィローパターンという絵柄が描かれた「山水」というシリーズの食器が大変人気となりました。この絵柄は中国のラブストーリーをテーマにしたもので、世界中で受け入れられました。今でも素材を変え、新たに「SANSUI」として作り続けています。また、ミングトゥリーというシリーズも当時から大変好評で、このシリーズも素材を変えて今も作り続けています。

―その後の事業展開についてはいかがでしたか?

その後、日本は高度経済成長の時代に入り、団地が作られるようになりました。それに伴い1961年には、陶磁器以外の事業も始めました。その一つがFRP(繊維強化プラスチック)の加工技術の開発、またそれを発展させた「合成樹脂製浴槽」の製品化です。

―当初は浴槽を作るためにFRP(繊維強化プラスチック)の加工技術を事業に取り入れたのですね?

はい。原料の粉を固めて形を作るという方法は陶磁器と似ていました。最初は石川県の工場で始まりましたが、東京や関東地方での需要が非常に高かったため、埼玉県の行田市に専門工場を建設しました。現在この工場では、浴槽だけでなく、浄化槽やディスポーザーなど、住宅環境に関連する製品も製造しています。

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自社事業の強みと成功実績・功績

―ニッコー株式会社は長い歴史と確固たる地盤を持っていますね。それは一つの強みだと思いますが、現在も活躍し続けるニッコーの一番の強みは何でしょうか?

1番の事業の強みは、複数の事業へ多角化をしている点です。もし私たちがただ陶磁器だけを作り続けていたら、恐らく会社は存在していなかったでしょう。しかし、システムバスルームを作る事業や、浄化槽を作る事業、さらに機能性セラミック商品など、事業を多角化していきました。この「事業の多角化」により、どこかの事業がうまくいかなくても、他の事業でその部分をカバーすることができます。

現在、システムバスルームはバスライフブランド"BAINCOUTURE(バンクチュール)"に名前を変え、富裕層をターゲットにしたオーダーメイドのお風呂空間を作るようになりました。弊社では事業部間でお互いに刺激を受け合い協力をしながら進めています。

―なるほど、伝統を守りつつ新しいことへの挑戦が常に行われているのですね。

昔からのやり方にこだわることが必ずしも良いとは限らないと思っています。特に陶磁器は最初の事業で、長く続いているので、昔からのやり方や成功体験にこだわってしまったりすると、それが成長を妨げるかもしれません。長く続いている事業だからこそ、新しいことへどんどん挑戦することが大切だと思っています。私たちの歴史を振り返ってみても、絶えず新しいことに挑戦してきた経験が、今の私たちをつくっています。

―新たな挑戦が必要だという強い意志を感じます。これは、今の急速に変化する時代に対応するために、ニッコー株式会社が進化し続ける必要があるということでしょうか?

全くその通りです。我々は常に変化を受け入れ、それを良しとしています。ただ単に守るべきものだけに固執するのではなく、時代に合わせて変わっていくことこそが、私たちの未来につながる道だと考えています。私が社長になってからは特に、「古いから良い、長く続ければ良い」という考え方ではなく、「未来を見据えて進むべきだ」というマインドを持つようにしてきたことで、新しいことへ挑戦する姿勢が新しい文化として生まれてきました。

過去のブレイクスルーや成功実績とその秘訣について

―社長就任以降で特に印象的だった挑戦、もしくは大きな転換点となった出来事は何でしょうか?

特定の成功というわけではないのですが、新しいことを手がけることが増え、社員の皆さんも色々なアイデアを出してくれるようになりました。例えば、ディスポーザー(生ゴミを粉砕し処理する機械)や肥料などが最近取り組んでいる事業です。これらが市場に出ることができたのは、これからの未来に向けての良い通過点だと感じています。

ディスポーザーについては、以前は大手メーカーさんから購入していましたが、製造をやめるということで、我々が製造を始めることになりました。これも大きな転換点でした。

―ディスポーザーの製造を自社で始めるという決断は、大きな挑戦だったと思います。その製品の名前はどうやって決まったのですか?

ディスポーザーの名前、"CIALAC(シャラク)"は社内公募から選びました。これまでディスポーザーは名前で呼ばれることはなく、記号で呼ばれていました。しかし、我々が作り、販売するということで、お客様にも愛着を持ってもらいたいという思いから、"CIALAC"という名前にしました。"CIALAC"は、「捨てるを楽しく、地球にやさしく」というコンセプトで、「捨てる」ということを見つめなおし、限りある資源を大切にし、地球に還していくという思いが込められています。

―”BONEARTH(ボナース)”という商品についてもお聞きしたいのですが、ニッコーさんのファインボーンチャイナには、骨灰が約50%も含まれていて、リン酸三カルシウムが多く含まれていますよね?

はい、その通りです。社内会議の中で、ニッコーで製造しているファインボーンチャイナ製の食器が肥料になるのではないかという発言があり、面白そうだと思い、試してみることにしました。しかし、肥料として認めていただくまでには、食器が肥料になるという前例がなかったため、様々な苦労がありました。

―それは大変だったでしょうね。そんな中、どのように肥料として認められたのでしょうか?

石川県立大学との共同研究で成果を出し、肥料法の改正のタイミングで、2022年1月に肥料として認めていただき、その後製造販売を開始することができました。

"BONEARTH"の役割として、捨てていたものを新たに活用でき、肥料を使って栽培した野菜を調理して私たちのお皿で食事するという、循環型社会を目指すことが重要だと感じています。特に若い方々がこのような取り組みへの関心を持たれることが多く、時代の変化を感じますね。

―特に歴史の長い企業や地方の企業は、昔の体質が抜けずに変化を嫌うことが多いですが、その中で新しいことに挑戦しているのは驚きです。それについて、もう少し詳しくお聞きしたいのですが、最近プレスリリースで拝見した地域との取り組みについて教えていただけますか?

はい、特に教育機関との関わりが大きな取り組みです。そのうち一つに、創立150年の小学校とともに行なった新しい取り組みがあります。具体的には、その小学校に、肥料"BONEARTH"とそのもととなる食器をプレゼントし、授業の中でBONEARTHを使い野菜を栽培してもらいました。また収穫した野菜で調理実習を行い、BONEARTHで育てた野菜をニッコーファインボーンチャイナ製の食器で食べてもらうという循環を体験してもらいました。この発端は地元出身の社員から提案があり、そのアイデアを実行に移しました。若い社員が新たなアイデアを出し、実行できる環境があることは非常に嬉しいことです。

―それは素晴らしいですね。若い方の力含め、社員全員の力で実現したことだと思いますが、他にはどのような新しい取り組みをされたのでしょうか?

100年以上にわたって陶磁器を中心とするものづくりを通じて、飲食店やホテルの皆さまと歩みを共にしてきた弊社では、飲食店のサステナビリティを支援するウェブマガジンを出したりと、今までとは違うことにも挑戦しています。

―なるほど。その他、高齢者や災害への支援など、なにか活動を行っていますか?

私たちは普段から、姉妹会社である三谷産業と共に、災害地域の各家庭に必要な食器セットを提供する活動も行っています。これに加えて、災害が起こった地域を訪問し、体育館や広場に多くのニッコーの食器を並べ、被災した方々に自由にお持ち帰りいただく「青空市」という活動を行っています。この青空市は非常に好評で、あっという間になくなることが多いです。

また、被災地支援へ訪れた際、「元々ニッコーの食器をたくさん持っていたのに地震で全て割れてしまった。再びニッコーの食器を手にすることができて嬉しい。」というありがたいお声をいただくこともありました。

―そのような経験を通じて、お客様からの感謝の言葉をいただくことで社員の方の士気も高まるのでしょうね。

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未来構想と現在の重点的な取り組み

―それでは、御社がこれからどのような展望を持って事業を進めていくのか、お聞かせいただけますか?

実は経営状況は厳しいものがありますが、目の前のことだけでなく、未来に向けての取り組みも重視しています。現在115年の歴史を持つ私たちですが、200年企業を目指しています。

―200年企業とは大きな目標ですね。そのためにはどのような取り組みをされているのですか?

昨年、”未来を素敵にする”という大きなミッションを定めました。これは創業200年の時点を見据えたもので、このミッションに向けて取り組んでいます。具体的には、 3年や5年単位だけでなく、10年、20年、30年という長期的な計画を立て、それを実行しています。地球環境のことも考慮しながら、私たちの未来がどうなっていくかに思いを馳せ、それに合ったものづくりやサービスの提供を考えています。

―それは非常に先見の明が求められる取り組みですね。そのような長期的な視野を持つことは、社員にどのような影響を与えていますか?

社員一人ひとりが自分たちの未来を素敵にするために、唯一無二のブランドとして成長し、楽しみながら仕事をするという意識を持つようになりました。私たちはミッション、ビジョン、バリューを明確にし、それを具体的な行動に落とし込んでいます。

―それは素晴らしい取り組みですね。
次世代やその次の世代まで考慮に入れて事業を進めていくという考え方は、ニッコーの大きな枠組みとなっているのですね。

はい、その通りです。私たちはそれをミッションとしています。未来を見据えて、会社を持続させていくことが社長の役目だと考えていますし、次世代へのメッセージだと考えています。

氏名
三谷 明子(みたに あきこ)
会社名
ニッコー株式会社
役職
代表取締役社長