本記事は、中谷 昌文氏の著書『マイケルジョーダン成功の法則』(自由国民社)の中から一部を抜粋・編集しています。

Artistic image of a basketball on the court floor
(画像=VNCXART / stock.adobe.com)

「目標に近道はない」。努力をすることも天才だった

人知れず続けていた、人並外れた努力

ジョーダンのNBAでの活躍ぶりを見ていると、「生まれながらの天才」と思う人は、少なくありません。しかしジョーダンは、根っからの天才ではなく、努力の天才でした。高校入学時は代表に選ばれず、大学も憧れのノースカロライナ州立大学からは誘いがかからず、NBAのドラフトも1位ではなく3位指名でした。

それでもジョーダンがバスケの神様と呼ばれるまでになったのは、自分の可能性をけっしてあきらめることなく、人並外れた努力をし続けてきたからです。

シカゴ・ブルズやロサンゼルス・レイカーズなどに在籍し、NBAで5回の優勝を経験したロン・ハーパーは、ジョーダンについて「真のプロフェッショナルな選手だった」と語ります。ハーパーがNBAに戻ることを決めたときに、ジョーダンから連絡があり、自宅にあるジムに呼ばれたそうです。朝の6時45分に行くと、コーヒーを飲みながらシガーを吸っていたジョーダンは、「さあ、トレーニングしよう!」と言ったとか。「何て人だ」と、ハーパーは思ったそうです。

そうしてジョーダンと一緒にトレーニングをしたハーパーは、ジョーダンの精神的な強さを見たといいます。「試合までにどれだけハードなトレーニングをするのか、どうやって試合に臨むのか。試合では見えない裏の部分を知って、あれだけのすごいプレーができる理由がわかった」と、ハーパーは語っています。

「運命よ、そこをどけ。オレが通る」

ジョーダンの名言に、「運命よ、そこをどけ。オレが通る」という言葉があります。ジョーダンの精神的な強さを物語る言葉です。ジョーダンがたゆまぬ努力を続けられたのは、やはり自分の可能性をとことん信じる強さがあったからなのでしょう。

自分の可能性をとことん信じること。これはアスリートはもちろん、ビジネスマンとして成功する上でも、必須の条件ではないでしょうか。

マイケルジョーダン成功の法則
(画像=マイケルジョーダン成功の法則)

リーダーに苦手なことがなければチームや組織の成長もうながせる

オールラウンドプレーヤーは希少な存在

ジョーダンはオフェンス能力も、ディフェンス能力も、超一流で、オールラウンドプレーヤーの代名詞的存在です。

いくら世界の一流選手が集まるNBAと言えども、ジョーダンのようなオールラウンドプレーヤーはそうめったにいるものではありません。非の打ち所がないのですから、対戦チームとしては、これほどやりにくい選手もいなかったでしょう。まさに向かうところ敵なしの、最強の存在です。

現役選手でいえば、八村塁選手のチームメイトである、ロサンゼルス・レイカーズのレブロン・ジェームズが挙げられます。得点力があり、アシストもできて、リバウンドも取れる、最強のオールラウンドプレーヤーでしょう。

経営者が苦手を乗り越えてこそ会社も成長

ビジネスの世界でも、オールラウンドプレーヤーは希少な存在です。そもそも企業の経営者というのは、オールラウンドに何でもできなければなりません。ITエンジニア出身の社長や、元経理職の社長など、個々のバックグラウンドはさまざまですが、経営者は広報もやれば営業もやります。「芸術的なセンスはないから、デザインの分野は社員に任せる」という社長より、わからないなりにも関われる社長の方が、間違いなく成果は出しやすいでしょう。

かくいう私も経営者の一人ですが、トップの立場にいる以上、「自分はこれが苦手」などというようなことは言っていられません。苦手なら、そこを何とかして克服しなければならないのです。

私の経験ですが、経営者が自分の苦手を乗り越えてこそ、社員全員(チームメイト)を活かす経営ができるようになり、会社(チーム)も成長していくのだと思います。

マイケルジョーダン成功の法則
(画像=マイケルジョーダン成功の法則)
マイケルジョーダン成功の法則
中谷 昌文(なかたに・よしふみ)
1967年生まれ。広島県出身。8歳からバスケットボールを始め、広陵高校時代は弱いバスケ部をキャプテンとして部員の勧誘からトレーニングメニューまで奮闘し準優勝の成績をおさめる。国体選抜選手、全日本学生選抜選手として活躍しながら、指導実績は小中高大200校を越える。中学校教諭時代、教え子の死をきっかけに退職。アメリカ・イギリス・中国へ留学し、経営学・金融学・教育学等を学ぶ。
アメリカにてマイケル・ジョーダンのバスケット教室から門前払いを受け続けるも熱意でオファー19回目にして夢を実現。そこからマイケル・ジョーダンの紹介で日本でNIKEの「エアマックス現象」を起こす。国際ビジネスホールディングスグループなど、7団体の理事ならび理事長を務め、スポーツで培った粘り強い姿勢とビジネスセンスで実業と社会貢献事業を成功に導く。親のいない子どもにランドセルを届けるタイガーマスク運動ランドセル基金を28年間継続中。

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