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ウオッチ事業を祖業とし、プロジェクターやインクジェットプリンターで培ったノウハウを土台に、デジタル技術の活用で新たなソリューションを生み出し、社会課題の解決に向けた取り組みを進めるセイコーエプソン。既存ビジネスのデジタル化を推進し、次なるフェーズへ歩みを進めようとしています。

DXの最前線をインタビューする「ものづくりDXのプロが聞く」では、Koto Online編集長の田口紀成氏(コアコンセプト・テクノロジー CTO)が、セイコーエプソンでDX推進本部長を務める髙相知郎氏に東京・池袋のコアコンセプト・テクノロジー本社にお越しいただき、データビジネス創出の進捗や、これまでの取り組みで見えてきた課題についてのお話を聞きました。

左より髙相 知郎氏(セイコーエプソン)、田口 紀成氏(コアコンセプト・テクノロジー)
左より髙相 知郎氏(セイコーエプソン)、田口 紀成氏(コアコンセプト・テクノロジー)
髙相 知郎氏
セイコーエプソン株式会社 執行役員 DX推進本部長
1992年にセイコーエプソンに入社。IC製品技術部長などを経て、2017年7月にマイクロデバイス事業部 副事業部長 兼 IC商品開発部長に就任。山形県酒田市での半導体工場立ち上げ等の開発業務に加え、受託ウエハの製造ビジネスなど外部との直接取引に従事。2021年4月、執行役員DX推進本部長に就任。事業の役割や規模、個人のキャリアや世代などによって、認識にバラつきがあるDXに対し、エプソンなりのDXに対する認識や言語を定義するところからデジタル変革を推進。
田口 紀成氏
株式会社コアコンセプト・テクノロジー 取締役CTO兼マーケティング本部長
2002年、明治大学大学院理工学研究科修了後、株式会社インクス入社。自動車部品製造、金属加工業向けの3D CAD/CAMシステム、自律型エージェントシステムの開発などに従事。2009年にコアコンセプト・テクノロジーの設立メンバーとして参画し、3D CAD/CAM/CAEシステム開発、IoT/AIプラットフォーム「Orizuru(オリヅル)」の企画・開発などDXに関する幅広い開発業務を牽引。2014年より理化学研究所客員研究員を兼務し、有機ELデバイスの製造システムの開発及び金属加工のIoTを研究。2015年に取締役CTOに就任後はモノづくり系ITエンジニアとして先端システムの企画・開発に従事しながら、データでマーケティング&営業活動する組織・環境構築を推進。
*2人の所属およびプロフィールは2023年8月現在のものです。

目次

  1. 顧客視点と社内視点の両軸で推進するDX
  2. 急激な変化を避けるようにDXレベルを設定
  3. 各事業部の意思を尊重するデータ連携の進め方
  4. DX人材は事業視点を与え内部から育てる
  5. データ活用で「ものづくり力」を増強して社会課題の手段に

顧客視点と社内視点の両軸で推進するDX

田口氏(以下、敬称略) まずは、御社の事業概要についてお聞かせください。

髙相氏(以下、敬称略) セイコーエプソンは1942年に創立したウオッチの製造をルーツとする会社です。プリンティング事業を主力としており、次いで液晶プロジェクター関連のビジュアルコミュニケーション事業、産業用ロボット関連のマニュファクチャリングソリューションズ事業、ウオッチ関連のウエアラブル事業などを展開しています。

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当社は2021年3月に長期ビジョン「Epson 25 Renewed」を策定し、「『省・小・精の技術』とデジタル技術で人・モノ・情報がつながる、持続可能でこころ豊かな社会を共創する」というビジョンステートメントを定めました。その取り組みの核として、「環境」「DX」「共創」の3つを挙げています。

その中でも「DX」では、強固なデジタルプラットフォームを構築し、人・モノ・情報をつなげ、お客様のニーズに寄り添い続けるソリューションを共創し、カスタマーサクセスに貢献することを目指しています。

田口 ありがとうございます。次に髙相さんのご経歴を教えていただけますか。

髙相 1992年に新卒入社して以来28年間、半導体のプロセスやデバイス開発に携わりました。マイクロデバイス事業部の副事業部長として、担当する品質や製造、技術だけでなく、シリコンファンドリ(半導体受託生産事業)業務で直接シリコンバレーや台湾のお客様とのやり取りなどを任されました。2021年4月にDX推進本部に異動し、現在に至ります。

田口 DX推進本部の開設には、どのような背景があったのでしょうか。

髙相 DX推進本部は、情報化推進部という組織が母体です。情報化推進部は、各事業部が決めた定義に基づいて、業務効率化に向けたシステム構築を担っていましたが、デジタルの活用を広げる組織としてDX推進本部が立ち上がりました。

当社は長年にわたりプリンターやプロジェクターといったものづくりを手がけ、2021年3月に制定した「Epson 25 Renewed」を起点に社会課題の解決や、ビジネスを通じた社会貢献活動にも取り組んでいます。今後は、製品を大量生産・大量販売するというビジネスモデルから、サステナブルの観点からもサービスやリサイクル、リユースを意識し、製品をお届けした後のビジネスも創出しようと検討しています。

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「今後は、製品を大量生産・大量販売するというビジネスモデルから、サステナブルの観点からもサービスやリサイクル、リユースを意識し、製品をお届けした後のビジネスも創出しようと検討しています。」(セイコーエプソン 髙相氏)

新たな価値創造のために、デジタル基盤の構築や、そこに集積したデータを事業に活用する方法などを考える必要があります。この課題に取り組んでいくのがDX推進本部です。

カスタマーエクスペリエンス(顧客体験)の向上を目指す「顧客視点のDX」を進めるとともに、我々自身も変化しなければなりません。コーポレート・トランスフォーメーションを目指す「社内視点のDX」と両輪で取り組みを進めています。

急激な変化を避けるようにDXレベルを設定

田口 御社はDXで目指す姿とその取り組みについて、3つのレベルで定義されています。この理由についてお聞かせください。

髙相 私がDX推進担当になった頃は、さまざまな人がDXについて異なる文脈で語っており、DXが魔法の言葉のように扱われ、言葉だけが一人歩きしている状況でした。

一般的にDXといえば、デジタル技術を活用したビジネスモデルの変革を示すのだと思いますが、当社は80年もの長きにわたってものづくりを続けてきた歴史と、これまでに培った多くのアセットがあります。急激な変化は機能不全を起こしかねず、すぐにデジタルでビジネスモデルを変革するのは現実的ではありません。

データビジネス領域にまで一足飛びには到達できないと考え、DXの第一歩となる単純なデジタル化や収益の複層化などの取り組みを3つのレベルに分け、それぞれ目指す姿を設定しました。

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過去のビジネスモデルを否定して再構築していくのではなく、デジタル技術を活用して徐々に組織と顧客価値を進化させていきます。「レベル0が劣っている」「レベル2が優れている」といった考え方はしていません。

田口 現在の取り組み状況はいかがですか。

髙相 レベル0の「既存ビジネスのデジタル化」は着実に推進できており、レベル1の「既存ビジネスモデルの変革」も立ち上がりつつあるという実感を持っています。具体的にはBtoCのプリントサブスクリプションサービスや、商用印刷機の稼働状況、印刷進捗をPCやスマートフォンなどのデバイスで確認できる「Epson Cloud Solution PORT」といったソリューションを提供しています。

レベル2の「新たなビジネスモデルの創出」に届きそうなプロジェクトも生まれました。ベネフィット・ワン社と連携し、当社のセンシング技術で脈拍などのバイタルデータを計測し、運動習慣を可視化・分析することで、よりパーソナライズされた保健指導につなげるサービスを開始しています。

田口 レベル2に対する社内外からの期待は高いと思いますが、現状どこまで実行に移せそうでしょうか。また、事業化も見据えているのでしょうか。

髙相 企業としての強みである「リアルでのものづくり」なくしてレベル2まで到達するビジネスが出てきたとしても、事業化までは時間がかかると予想しています。そのため、新規事業の種まきは今のうちから始めておく必要があります。

これまでの大量生産の枠組みの中では、些細な品質異常が大きな問題につながるため、品質を確実に確認しながら一つひとつ手順を踏んでいくことが必須でした。しかし、レベル2の世界はアジャイル的にトライを繰り返し、PoC(概念実証)を継続する中で、気づきや学びを得ながら進める事も必要になります。既存のプロジェクト体制では対応できないため、目的に適した形態で進めています。

田口 小さくてもチャレンジできる機会が増えれば、ビジネスも人も育つ可能性は大きくなりますね。そうした環境があることが素晴らしいと感じます。

髙相 その環境を作る鍵になるのが、今構築を進めている人・モノ・情報をつなぐ強固なデジタルプラットフォームです。この動きの中で、PoCを回していくようなビジネスを実装できればと考えています。

各事業部の意思を尊重するデータ連携の進め方

田口 御社は、DXの取り組みに対しても「DXを支えるデジタル基盤の構築」「お客様とつながるデータビジネスの創出」「デジタル⼈材育成」という3つのポイントを挙げています。「DXを支えるデジタル基盤の構築」が、プラットフォームの構築に関わるところですね。

髙相 はい、そうです。「Epson 25 Renewed」に含まれる中期経営計画におけるDX実現のための要諦であり、先述したレベル0〜2のすべての活動を支える基盤になります。個人的には、セイコーエプソンの強みであるものづくりを支えるデジタル基盤の構築が重要と考えています。

自社のハードを繋ぎ合わせ、収集・蓄積したデータで顧客価値を向上させる構想の実現のため、社内でもさまざまなデジタルツールを活用し始めています。一方、当社は事業部ごとにシステムを構築してきた歴史もあるため、データが様々な部分で分断されています。いわゆるサイロ化している状態です。まずはサイロを「ガラス張り」にするべく、共通の基盤を持とうとこの2年ほどで整備を進めてきました。

田口 共通の基盤はERPやPLMのようなシステムに当たるものだと思いますが、自社で開発されているのでしょうか。

髙相 ERPは外部のITソリューションを導入しています。ただ、ものづくりに関する、我々の強みとなる領域のシステムは将来的に自社で開発して実装するかもしれません。

田口 なるほど、ありがとうございます。これは我々SIerの問題でもあるのですが、SIerは組織全体より一部分に働きかけることが多いため、1社に複数のエンジニアが入っていた場合、「似ているが少し違う」というデータが多数生じてしまいがちです。

サイロ化したデータの透明性を高めると、まず似たデータがたくさんあることに気づかれると思うのですが、これを整理・統合するのは容易ではないと思います。御社では事業部に権限委譲して任せるという方針を取られるのでしょうか。

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「サイロ化したデータの透明性を高めると、まず似たデータがたくさんあることに気づかれると思うのですが、これを整理・統合するのは容易ではないと思います。」(コアコンセプト・テクノロジー 田口氏)

髙相 今はおっしゃる通り各事業に合わせてデータ蓄積の環境が整備されている状況です。いずれはAPIなどで連携できるようにと考えていますが、既存のビジネスもあるため、どう連携させていくか、そこは時間をかけてでも事業部と議論、理解、納得してもらいながら進めて行きます。

データ連携が実現すれば、開発から設計、量産までの効率性が向上し、工程の短縮に貢献する基盤となります。試作回数の削減で、結果的に廃棄物の量も減らせます。一言で言えば「デジタルツイン」ですが、カーボンフットプリント(✳︎)の情報もつなげ、単なる効率化を超えた価値を創出できると考えています。

✳︎企業などが活動していく上で排出される温室効果ガスの排出量をCO2 に換算して表示する仕組み。

田口 外部向けのプラットフォーム構築についてもお聞きしたいのですが、プラットフォームをサービスとしてマネタイズするには、多くの方に参加していただく必要がありますよね。場合によっては、他社製品のユーザーも参加できる場を整備する必要が出てくるなど、実現するには非常にハードルが高いのではないかと感じます。運用するための技術面よりも、他社との協働やコンソーシアムの結成など、関係づくりの方が重要になりそうに思えますが、いかがでしょうか。

髙相 おっしゃるように当社製品をお使いのお客様ばかりではありませんから、さまざまな製品のユーザーが参加できるオープンプラットフォームも構想しています。閉じられたプラットフォームは企業の収益向上においては有効な手段かもしれませんが、お客様からすると囲い込みのように感じることもあるように思います。

田口 私も同感です。

髙相 共創という点では、地域課題の解決に向けて、地域との連携が進んでいます。例えば、事業所がある長野県とは、高齢化や人手不足などの課題を抱える畜産業に対し、AIを活用した労働環境改善にも取り組んでいます。また、諏訪湖と八ヶ岳山麓を舞台にしたミドルトライアスロン大会へテクニカルサポートとして参画し、安心安全な大会運営、効率的な交通規制解除による地元住民への負担軽減に取り組みました。

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トライアスロンのゴール地点に設置した大型スクリーンで、選手が携帯するGPSから収集されたデータをリアルタイムに公開

田口 開かれたプラットフォームの構想も持ちつつ、その土台づくりも地域連携から着々と進められている状況ですね。

DX人材は事業視点を与え内部から育てる

田口 「お客様とつながるデータビジネスの創出」と「デジタル⼈材育成」についても取り組みの状況をお聞かせください。

髙相 データビジネスの創出については先述したベネフィット・ワン社との協働のほか、自社ではプリンター分野が先行しています。欧州では従来の売り切り型からプリンターのサブスクリプションサービスを開始し、各国への展開を進めています。分散印刷でのカラーマッチングを可能にする測色器もリリースし、データ活用に向けて取り組んでいます。

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「欧州では従来の売り切り型からプリンターのサブスクリプションサービスを開始し、各国への展開を進めています。」(セイコーエプソン 髙相氏)

デジタル人材の育成については、社内でWebツール等を使った教育を始めていますが、本格的な育成はこれからです。基本的な考え方として、D:デジタル人材とX:トランスフォーム人材の育成は別のものとして考えています。

DXは要求されるスキルがITと異なるので、社外から高度人材を招聘して進めるケースも聞きますが、企業変革を担う人材は当社の成り立ちや各事業の歴史、技術の文脈も理解していなければ務まらないでしょう。そうした視点で内部人材の育成が望ましいと考えています。

田口 内部人材をどうDX人材に育てるのか、方針や施策がありましたらお聞かせください。

髙相 DX推進本部では、まず顧客視点を持ってもらうことが重要だと考え、プロジェクトの中でその重要性を伝えながら能動的に思考する訓練を行っています。そうした物事の見方や考え方をいろいろな人に知ってもらった上で、自分たちで実装までたどり着けるようになればと思います。

また、地域の情報系専門学校や大学と連携し、当社の社員も参加するアイデアソンを開催しています。観光やスポーツビジネスなど異業種の方々も参加されており、実践型の育成プログラムでデジタル人材の育成を目指しています。

アイデアソンの風景
アイデアソンの風景

田口 御社は外部向けDXで教育業界や飲食業界などの異分野と連携されており、コラボレーションやオープンイノベーションの要素が強いと感じます。どのような意図があるのでしょうか。

髙相 これまでの当社の事業は、技術開発から生産まですべて自社で手がける垂直統合を軸に展開してきました。「省・小・精」をキーワードに効率化を進め、環境に適応してきたことは大きな強みです。しかし、過度な適応は適応能力自体を失い、思考の柔軟性を失うリスクもあります。

異分野との取り組みで社会貢献につながるビジネスが生まれれば素晴らしいですが、仮に成果を上げられなかったとしても新しい価値観や領域に触れる機会を持つことで、視野や共創の可能性を広げられるのではないかと思っています。

データ活用で「ものづくり力」を増強して社会課題の手段に

田口 これまでの取り組みを進める中で見えてきた、今後の課題についてもお聞きできますか。

髙相 顧客視点のDXについては、強固なデジタルプラットフォーム構築に向けた基礎作りとして、引き続き共通基盤の整備を進め、横串としての機能を果たしていきたいと思っています。社員視点のDXについては、デジタル活用は進み始めていますが、まだデータの十分な活用にまでは至っていません。様々なデータはあるが、データをどう価値転換していくかが最大の課題です。

まずはデータの見える化から着手し、画像検査の分析や生産数量の予測に用いて最適化まで持っていくなど、価値に転換するデータデザイン基盤の構築準備を進めています。目指すところは、データをつなぐものづくりです。社員視点で有用なものは、顧客視点に展開しても有効との仮説を立て、将来を見据え構築しています。

田口 今後の取り組みに対する意気込みについてお聞かせください。

髙相 現在社内向けをメインに進めている基盤構築を、今後は各事業にも活用してもらい、レベル1の「既存ビジネスモデルの変革」の拡大を目指したいです。その先は、データ活用によりレベル2の「新たなビジネスモデルの創出」に向けてさらなる実践を進めていきたいと思います。

セイコーエプソンの大きなアドバンテージは、商品を製造するものづくり力を持っていることです。全社のデータをつないで活用することで、この力をさらに増幅、進化させ、社会課題の解決手段にしていこうと考えています。

田口 本日はお話いただき、ありがとうございました。

【関連リンク】
セイコーエプソン株式会社 https://corporate.epson/ja/
株式会社コアコンセプト・テクノロジー https://www.cct-inc.co.jp/

(提供:Koto Online