この記事は2023年11月17日に「きんざいOnline:週刊金融財政事情」で公開された「ほとんど上がらない賃金の「ナゼ?」」を一部編集し、転載したものです。
(厚生労働省「毎月勤労統計調査」)
日本銀行は、10月末の金融政策決定会合で長短金利操作の柔軟化を決めた一方、マイナスの短期金利をはじめとする金融政策の大枠を維持した。「賃金と物価の好循環など経済・物価情勢の変化を丹念に確認していく」というのが、現在の日銀の運営方針である。
では、実際の賃金と物価の関係はどうか。関係を端的に表す「毎月勤労統計調査」の実質賃金指数は、昨年4月以来18カ月連続で前年割れしている。直近(9月速報・前年同月比、以下同じ)も▲2.4%と、とても“好循環”とはいえない。これは、物価の高止まりだけが原因ではない。名目賃金(月間現金給与総額)も1.2%と、昨年の同じ時期に比べても低い伸びにとどまる。春闘で大幅な賃上げが実現したにもかかわらず、意外な結果に映る。
一般労働者・パートタイム労働者(以下、パート)別に見ると、パートの名目賃金は最低賃金の引き上げもあり、1.9%の伸びを示す。一方、一般労働者の上昇率は1.6%と、パートと比べて高くない。さらに、上述のとおり全体の名目賃金の伸び率(1.2%)は、パート、一般労働者それぞれを大きく下回る。
これは、パート比率の急上昇が平均賃金(加重平均)を抑え込み、全体の伸びを押し下げているからだ。結局、原材料費の高騰と賃金の上昇圧力に苦しむ中堅・中小企業が、慎重な賃上げ姿勢を維持しながら、正規雇用を抑制し、非正規の雇用増で苦境を一時的にしのごうとしているに過ぎない。
こうしてみると、賃金と物価の好循環が実現に至るまでのハードルはかなり高い。実現のカギは、中堅・中小企業の収益動向と雇用姿勢にある。好循環実現の条件は、中堅・中小を含む企業の収益が十分に高まることで正規雇用の抑制が緩み、かつ、名目賃金が2%を十分に上回ることだ。もし収益の向上を伴わないまま名目賃金が上がるとすれば、待ち受けるのは、賃金以上に物価が上がる“悪循環”の方だろう。
好循環に至るかどうかを、いつ見極められるかも難しい。図表から見て取れるように、今春には名目賃金がいったん伸び率を高め、「好循環の確認も近い」との観測が強まった。しかし、夏場には腰折れした。春闘や最低賃金の動向からだけでは全体像をなかなか把握できない。
それにしても、異次元緩和開始からの10年半、実質賃金の前年同月比は単純平均で▲0.8%だった。それ以前の10年と比べても、マイナス幅は拡大している。これほど長期にわたる大胆な金融緩和を行いながらマイナスの実質賃金が続いたのも、金融政策が、賃金上昇の前提となる企業の生産性向上にほとんど影響を及ぼさなかったことを明確に示している。やはり金融政策は、短期の経済変動をならすための手段であり、構造政策を担うものではない。
オフィス金融経済イニシアティブ 代表/山本 謙三
週刊金融財政事情 2023年11月21日号