ヤマハ・SR400/500は、1978年の発売以来、一時的な中断を含めて43年にわたって販売されたことから”バイク界の化石”と呼ばれています。2021年に生産終了まで累計販売台数は12万台以上。長年にわたり多くのライダーに愛されてきました。そんな人気のSRも1989年に1822台まで落ち込んだことがありました。それをカバーすべく投入されたのが「SRX-4/SRX-6」です。SRによって生み出され、SRによって消える運命を選ばざる得なかった「SRXシリーズ」の半生を紹介します。
サザンオールスターズとともにSRがデビュー
SR400/500は、サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でデビューした1978年に販売開始されました。車名のSRは「Single Road sports」の略です。1976年に発売されたモトクロッサーXT500の2バルブエンジンをベースに搭載。発売以来、生産終了まで40年以上も大きな変更なく生産されました。ちなみに「勝手にシンドバッド」というタイトルは、志村けんさんが「8時だョ!全員集合」で言っていた言葉を、桑田さんが「おもしろい」と採用したそうです(本人談)。
SRは生産終了以降も中古車市場で高値を付けていますが、1980年代にレーサーレプリカブームのあおりを受けて大きく販売台数を落としたことがあります。本来ならばテコ入れが図られるところですが、SRに手を加えることはファンが許しません。過去にも1979年にワイヤースポークホイール仕様からアルミキャストホイール仕様に変更したところ、ソッポを向かれた苦い経験があります。「モデルチェンジができななら、新しいの作った方がいいんじゃね?」と考えたヤマハは、おニャン子旋風が吹き荒れた1985年に、SRのスポーツモデルとも呼べる「SRX-4/SRX-6」を発売しました。
分かる奴だけに刺さればいい
SRX-4/SRX-6のエンジンは、XT500の改良版であるXT400/600の4ストローク単気筒SOHC4バルブを搭載。スチール製のダブルクレードルフレームを採用し、SR400/500より剛性を高めています。しかし次々と新しい技術が投入された当時において時代遅れそのもの。高回転のDOHC全盛の時代に太いトルクを求めてSOHCを採用。始動はキックオンリー、メーターパネルは視認性が悪い白とするなど、とことん時代に逆行していました。
それもそのはず、SRXは頑固なスタッフによってプロジェクトが立ち上げられていたのです。「必要なものにはコストを惜しまず、不必要なものは絶対につけない」「デザインに一切妥協を許さない」というポリシーのもと、その考えを理解できるライダーだけのために開発が進められたのです。
操ることの楽しさを教えてくれる
パンフレットに「ワインディングロードが、私たちの遊び場だ」とあるように、トライアルバイクのような細身の車体と、乾燥重量150㎏を割る軽量を活かし、旋回性に抜群の威力を発揮します。SRX-6はTT-F1クラス(排気量600cc以上)のレース出場も考慮し、排気量を608ccに設定。ハイパワーのバイクにコーナーリングで勝負を仕掛けるなど、SRXらしい特徴を活かして上位に食い込む快挙を果たしました。
万人向けにモデルチェンジ
大幅な改良が許されないSRのうっぷんを晴らすかのように、B.B.クィーンズがおどるポンポコリンをヒットさせていた1990年にモデルチェンジが行われます。リアサスペンションがツインサスからモノサスへ変更され、タイヤも18インチから17インチに変更。ホイールベースも約3㎝延長されました。
フロントブレーキは十分な効き目が検証されて、ダブルディスクからシングルディスクに変更されました。浮いたお金(?)で、キャリパーが2ポットから4ポットへ変更されました。何と言っても嬉しいのは、セルスターターの採用です。これによって「乗り手を選ぶバイク」から「多くの人が楽しめるバイク」に変わりました。
「分かる奴だけ乗ればいい」というスタンスを貫いていたSRXでしたが、大方の予想を裏切ってスマッシュヒット。SRX-6が世界累計で19,000台、SRX-4も国内だけで30,000台も生産されました。当時の販売台数としては物足りないですが、代打としてはまずまずの成功と言えるでしょう。
SRを残すために自ら身を退く
SRを凌ぐ次世代のスタンダードとしてヤマハのラインナップに君臨し続けると思われましたが(誰も思ってないか!?)、SR人気は根強く生産終了のウワサが出るたびに人気を回復。「ヤマハに同じようなバイクは2つもいらんのだ!」と、SR人気に屈するのでした。思えばSRがなければSRXは存在しなかったはず。SRを残すためにひっそりと身を引いたSRXの健気さに胸がキュンとなりますね。