富士フイルム

社会やビジネスの大きな転換期にさしかかっている昨今、富士フイルムは社名にもなっている主要事業を、デジタル技術によって大きく転換してきたことで知られています。富士フイルムが起こしてきた事業変革をモデルとしている企業は少なくありません。

富士フイルムにおけるDXは、どのような背景で進み、加速してきたのでしょうか。今回は東芝のデジタルイノベーションテクノロジーセンター チーフエバンジェリスト 福本勲氏が、富士フイルムホールディングスのICT戦略部 統括マネージャーである下堀昌広氏にお話を伺いました。

福本 勲氏(東芝)、下堀 昌広氏(富士フイルムホールディングス)
左より下堀 昌広氏(富士フイルムホールディングス)、福本 勲氏(東芝)
下堀 昌広氏
富士フイルムホールディングス株式会社 ICT戦略部 統括マネージャー
業務用プリンターコントローラー組込みソフトウェア開発エンジニア(当時:日立工機)、パーソナルコンピューター開発担当部長・ソフトウェア主幹技師(当時:ソニー)、IoTシニア・スペシャリスト(インテル)を歴任。2019年1月に富士フイルムに入社(技術主席)、2023年に富士フイルムホールディングスICT戦略部 統括マネージャーに就任。
福本 勲氏
株式会社東芝 デジタルイノベーションテクノロジーセンター チーフエバンジェリスト
アルファコンパス代表

1990年3月、早稲田大学大学院修士課程(機械工学)修了。1990年に東芝に入社後、製造業向けSCM、ERP、CRMなどのソリューション事業立ち上げやマーケティングに携わり、現在はインダストリアルIoT、デジタル事業の企画・マーケティング・エバンジェリスト活動などを担うとともに、オウンドメディア「DiGiTAL CONVENTiON」の編集長を務める。また、企業のデジタル化(DX)の支援と推進を行う株式会社コアコンセプト・テクノロジーのアドバイザーも務めている。主な著書に「デジタル・プラットフォーム解体新書」(共著:近代科学社)、「デジタルファースト・ソサエティ」(共著:日刊工業新聞社)、「製造業DX - EU/ドイツに学ぶ最新デジタル戦略」(近代科学社Digital)がある。主なWebコラム連載に、ビジネス+ITの「第4次産業革命のビジネス実務論」がある。その他Webコラムなどの執筆や講演など多数。
✳︎所属及びプロフィールは2023年11月現在のものです。

目次

  1. 「閉じた」データをアンロックすることで、可能性が広がる
  2. マインド×目標×ビジョン×環境=富士フイルムのDX
  3. 現場とその先に広がる社会を見ることが、インダストリー4.0のエッセンス
  4. 医療データを扱える、信頼できるプラットフォーム構築
  5. 誰ひとり取り残さない、全員参加の変革

「閉じた」データをアンロックすることで、可能性が広がる

福本氏(敬称略、以下同) まずは、下堀さんの業務内容をお聞かせください。

下堀氏(敬称略、以下同) 富士フイルムグループでは現在、 「All-Fujifilm DX推進プログラム」が進められています。グループの後藤禎一社長がプログラムディレクターとなり、DXによる事業変革を進めていまして、そこで私はDXのビジョンを実現するための企画の立案に携わっています。DXの進捗管理や、必要に応じて軌道修正の提案をするといったことも含まれます。

福本 DXの戦略とロードマップづくり、それからロードマップ通りに進んでいるのを確認することを、やっているのですね。下堀さんは、前職のインテルから転職されましたが、御社への入社は富士フイルムがDXを進める中では、どのようなタイミングだったのでしょうか。

下堀 私は2019年1月入社です。デジタライゼーションに向かおうという機運が高まっていた時でした。企業としてDXにしっかり投資して成果を出していこうと、2017年にCDO(チーフデジタルオフィサー)を設置して、ガバナンス体制の整備を始めています。DX推進の手ごたえが出始めたタイミングが、私が入社した時期でした。

福本 インテルから富士フイルムへの転籍において、どのような視点の変化があったでしょうか。インテルは、ものづくりにおけるIoT技術が非常に進んでいる企業として有名でしたよね。

下堀 入社前から、富士フイルムは、データを自ら創出していて、非常にデータ資産の価値が高いという印象がありました。一方、インテルは、「データをいただければ後はお任せください」といった立ち位置で、データを生み出す部分ではなく、処理・活用していく部分で価値発揮をする企業でした。

富士フイルムは昨今、医療などのヘルスケア領域で知られていますが、私が最初に思い浮かべたのは、写真フイルム製造のノウハウから発展した高機能材料などの材料事業でした。いかに無形価値を生み出していくのかという取り組みに、 非常に大きなポテンシャルを感じました。インテルにいた時には、データは「湧いてくるもの」という認識でしたが、材料の領域はデータがまだ湧いていない、データが実験室の中や生産の現場に「閉じている」という印象でした。

富士フイルムホールディングス 下堀氏
「いかに無形価値を生み出していくのかという取り組みに、 非常に大きなポテンシャルを感じました」(富士フイルムホールディングス 下堀氏)

このデータをアンロックしていけるのなら、そこに新しいデータの流通やビジネスモデルなどが創出できるのではないかと考えました。

福本 データは、「21世紀の石油」とも言われています。言い得て妙で、燃やすと無くなってしまいますよね。こうした面も含めて、フィジカルのデータが本当に企業にインサイトを与えるものに変わるものだという、確信があったのですか。

下堀 入社前は、確信というよりは期待ですね。ものすごく大きな期待でしたけれども。福本さんがご指摘されたように、インテルの経験から製造業のデータが事業に非常に貢献度が高いものであるという認識はありました。このことを自社のみならずお客様、そして社会に対して貢献度を高めていくうえで、データがビジネスを改善し利益を生むことはわかっていました。ただどの方向に進んでいくのかについては、あくまでも期待だったのです。

マインド×目標×ビジョン×環境=富士フイルムのDX

福本 下堀さんは前職のインテルで、インダストリアル・インターネット・コンソーシアム(IIC)や OpenFogコンソーシアムなどの業界団体やグローバルなエコシステムを作ろうとしている団体に参加をされていました。私もそこでご一緒しておりましたが、下堀さんはグローバルなエコシステムづくりに対してどのような意義を感じていましたか。

下堀 当時、新しいビジネスを作るにはコンソーシアム活動や規格の標準化が必要という認識でしたね。開発投資のロードマップにおいては、ある製品ができた時に、それを求めるような市場ができていることが大切です。マーケティングなどの取り組みは当然あるのですが、インテルのCPUのように全世界で大量に利用されるような製品にしようとすると、世の中の仕組みに入り込むことが必要になります。その仕組みづくりが、コンソーシアムや規格の標準化活動でしたね。

福本 仕組みづくりの進め方としては、市場を作るあるいは変える、市場に合わせて自分が変わるなど、色々なやり方がありますが、インテルと富士フイルムを比べてみて何か違いはありますか。

下堀 社内で目的を共有している点においては、インテルも富士フイルムも同様です。インテルの場合は、半導体によって世の中に貢献するということと、その手段も明確にすることで方法論まで含めたインテグリティ(真摯さ)を強く感じていました。同僚と話し合っていると「やはり富士フイルムの社員らしいな」と感じます。

福本 どのような点にそれを感じていますか。

下堀 当社はコーポレートスローガンとして「Value from Innovation」、風土を作るうえでの「オープン、フェア、クリア」を掲げています。こうしたスローガンや行動規範に対する従業員の共感度は、十分高いと考えています。富士フイルムが備えている企業の風土や文化が、デジタル化を進めていくうえで相性が良く、目的に対して真摯に取り組んでいく姿勢を生み出しているのではないかと感じています。

福本 テクノロジーを活用することがゴールではないからこそ、マインドが大事だということなのでしょうね。

現場とその先に広がる社会を見ることが、インダストリー4.0のエッセンス

福本 御社のデジタル化において、「インダストリー4.0」から影響を受けている面はあるのでしょうか。

下堀 おそらく、インダストリー4.0のアーキテクチャーや手法そのものを直接参照していることはないと思うのですが、一方で同期しているようなビジネスはありますね。象徴的な事例としては、読影ソリューション(✳︎)を提供している医用画像情報システムのPACSが挙げられます。

✳︎読影・診断レポートの記入や参照、印刷、全文検索など、レポーティング作業全体を支援するシステム

福本 インダストリー4.0では、デジタルファクトリーからデジタルエンタープライズ、デジタルエコシステムを経て、デジタルエコノミーに向かう、ということが当初から言われていました。インダストリー4.0は最初から工場の中だけの革新を目指したものではなかったと感じています。

東芝 福本氏
「インダストリー4.0は、デジタルファクトリーからデジタルエンタープライズ、デジタルエコシステムを経て、デジタルエコノミーに向かうということが当初から言われていました。」(東芝 福本氏)

日本企業では、データを用いた工場の中の諸問題の解決に視野が行きがちでしたが、工場の中だけの話に終始すると、企業はどうしても自社の事業ポートフォリオを小さく見てしまいます。御社はおそらく、事業ポートフォリオを広く見えているからこそ、ビジネスチェンジができたのでしょうね。

下堀 そういう意味では、事業におけるインダストリー4.0が間接的に実現したのだと思います。PACSにおいては、診断支援のための画像解析やAIを載せていくことでワークフローが大きく効率化し、そこで生み出される時間によって医師の仕事のやり方や患者さんとの向き合い方が変わってきます。そしておそらく、その変化が病院内のシステムに閉じることなく、医療または医療機関といったエンタープライズシステムの変革につながるようになると考えられます。

つまり、仕事のやり方が変わっていくと、医療機関の業務効率化だけではなく、医師と患者さんとの関係が変わってきます。当社は疾患の診断・治療に加え、健診センターの運営などこれからの社会の健康そのものに関わっていく存在になっていきたいと考えています。

福本 工場の中だけではなくて事業全体、さらに社会全体を見ているわけですね。

下堀 そうですね。医師が患者さんとどう向き合っていきたいかを考える際に、当社も事業を通じて協力させていただきたいと考えています。

さらに、個別のワークフローの最適化から、病院における全体最適、さらには社会課題の解決に貢献するソリューションへと発展させるためにはスケーラビリティを備えたプラットフォーム化を進める必要があります。1つの病院という現場から、さらに複数の医療・健康の現場に価値を広げていけるのかが大事です。その際はある程度、プラットフォーム化をしたシステムを様々な現場に持ち込んでいき、個別のカスタマイズをするよりは組み合わせによる機能実現をするような、柔軟性を持ったアルゴリズムやアプリケーションをプラットフォーム上に提供していきたいです。そのためには改めて、プラットフォームのアーキテクチャを洗練させていく必要があります。

福本 たとえば、ほとんどの医師が見たことがない極端に知見が少ない症例などについては、人から人への伝承だけでは伝承が難しいので、デジタルの力を借りる必要が出てくるようなケースもあるでしょうね。

下堀 はい。たくさんの方の強みを補完し合うような仕組みが、プラットフォーム上では可能になってきます。今までは誰かの頭の中にあり、特別な知識やノウハウがなければ対応できない場合、その能力がその時間と空間の中にとどまってしまいます。これをいかにアンロックして、強み同士を組み合わせていくために、それぞれの能力をデジタル化し、プラットフォームに実装可能にしていくことで、多様なソリューションを実現できるようになります。

医療データを扱える、信頼できるプラットフォーム構築

福本 定量データと定性データを組み合わせ、解析することで、インサイトがより深くなるといったことは以前から言われていましたが、以前はこれらを実現するためのテクノロジーが追いついてきていなかったと思います。現在、テクノロジーが追いついてきたことでこれらが可能になってきたと言えるのではないでしょうか。

下堀 そうですね。かつてはデータの持ち腐れになっていた面がありましたよね。当社では、健診で取得されたデータを、ブロックチェーン上で利活用可能な状態にしていく取り組みを始めています。

たとえば、インドやモンゴルで展開している健診センター「NURA」における健診サービス事業では、健診で得られた情報を製薬会社やその他の研究機関でも活用し、新たな創薬や治療、がんの早期発見、予防などに活かしていくことを目指しています。診断や医療そのものというよりもデータを広く共有することで、その先のソリューションを、自社だけではなく他のパートナーさんともに見出していく取り組みです。この基盤となるのが、当社が進めるデジタルトラストプラットフォーム(下図)です。

富士フイルム

福本 医療分野でも、まだつながっていない、様々なデータがあるのではないでしょうか。

下堀 はい。同プラットフォームでは、相互の信頼をプラットフォームで担保することによって複数のステークホルダー間でデータを共有・連携していきます。また、複数のプラットフォーム上にある同一人物のデータを連携して把握できれば、データを統合することによって様々な観点での分析や利活用が可能になります。インドやモンゴルでは、こうしたヘルスケア領域のデータエコシステム構築を進めています。

福本 ただ、人の健康に関するセンシティブな情報ですから、データの使い方に間違いがあってはいけませんね。

下堀 はい。特定の方に不利益を生み出すようなデータ、AIやテクノロジーの活用を社会全体で防いでいく合意形成がセットであるべきですね。

福本 ヘルスケア以外の領域を含め、御社のDXをこれから進めていくうえで、どのような課題を捉えていますか。

下堀 ビジネスケースを今後もどんどん増やしていくことと、実績を積み上げていくことが課題です。我々が「DXロードマップ(下図)」と呼んでいる「ステージI、II、III」のうち、IIからIIIの間には、「死の谷」があるかもしれません。事業のダイナミズムや顧客との関係に、大きな変化が必要な可能性もありますので、死の谷に落ちないように対処しなければなりません。

富士フイルム

現在は、多くの事業がステージIからII に上がってきている状況です。ステージIではモノの継続販売(リカーリング・サブスクリプション)、ステージIIではDXを通じた価値の継続的な最適化を行いつつ事業を成長させ、ステージIIIではエコシステムを形成するサステナブル社会基盤としての社会実装を目指しています。

福本 そのためには、やらなければいけないことがたくさんあるのでしょうね。

下堀 我々の部署はどちらかというと、 応援団の意味合いも強いのかもしれません。うまくいかない施策も当然たくさんありますが、ある意味、「いい失敗はどんどんやっていきましょう」を後押しする役割として応援団が必要だと考えています。

誰ひとり取り残さない、全員参加の変革

福本 応援団は大事ですね。さきほど文化や風土の話が出ましたが、富士フイルムの文化を感じた具体例があれば、お聞かせいただけますか。

下堀 インテル時代に、わりと意識せずに使ってきたIT関連サービスの言葉が、通じないことがあります。たとえば、福本さんと私が話すときによく使う「プラットフォームが…」や「アーキテクチャが…」、「ビジネスモデルで…」などと言うとスッとは通じず、一つ一つ「それって何なの?」となります。そのときに、自分でも説明できないことは結構あるなと気づきました。それから、社内でわからないことをちゃんと言ってもらえますね。

福本 わかったふりをしないことも、大事ですよね。

下堀 はい。言葉の問題というよりも、実践を伴った知識なのかと改めて問われているような気がします。「それは本物なのか?」と問われながら、それに応えながら学び考え、一緒にやっていくことが大切なのかもしれません。

福本 自らが持っているケイパビリティーを昇華、あるいは抽象化する能力はとても大事ですよね。既存のケイパビリティーを活用して、新しいビジネスを構築できるかどうかを考えるために必要な能力だと思います。富士フイルムさんはきっと、それができているのですね。そんな気がします。

下堀 新たなケイパビリティーに変える、あるいは拡張していくことがまさにコアケイパビリティーであると言うならば、福本さんがおっしゃるように、抽象化思考とでも言うのでしょうかね。当社は応用可能なケイパビリティーの幅広さを持っているのかもしれません。

福本 御社の取り組みを、主力事業を大幅に転換した例として見習いたいと考える企業は多くあると思います。文化や風土は一朝一夕には変えられませんが、もし何か変革のポイントがあるとすれば、どんなことだと思いますか。

下堀 リーダーシップのあり方やイニシアチブの方向性は、経営トップから現場の従業員にとっても重要です。トップダウンで「変わることに期待している」と伝えることが多いですが、同時に、そのメッセージを受け止めた人がすべて、変革に参加できる状態であることも大切ですね。その中で各々が新しい役割を作り、担っていくのではないでしょうか。

富士フイルムホールディングス 下堀氏
「リーダーシップのあり方やイニシアチブの方向性は、経営トップから現場の従業員にとっても重要です」(富士フイルムホールディングス 下堀氏)

福本 なるほど。

下堀 最近、感じていることがあります。我々はとかく、日本的な仕事の進め方は堅くて古いのではないかと考えがちなのですが、見方を変えると、仕事の哲学や一貫性を持った姿勢といった特徴にもつながる気がしています。「こういうことを私たちはできるのだ」と、素直に皆で言えるようになれたらいいなと。

福本 よくわかります。目先のLTV(顧客生涯価値)やROI(投資収益率)だけではなくて、長期的視点でゴールを定義し、バックキャストして、そのゴールに向けて市場や投資家が評価してくれるまで徹底的にやりきることも大事なのでしょうね。

下堀 周りを見て相対化することも大切ですが、自分たちがやろうとしていることがいいことなのだから、素直に自信を持って、全力を発揮していけるようになるといいですね。

【関連リンク】
富士フイルムグループのDX https://holdings.fujifilm.com/ja/about/dx>
株式会社東芝 https://www.global.toshiba/jp/top.html

(提供:Koto Online