パキスタン出身。国際物流業界でのキャリアは35年におよぶ。現在は、ドイツポストDHLグループのDHL Express日本法人社長を務める。
これまでに、グローバルネットワークで中核的役割を果たす香港のハブ拠点の統轄、また日本でも数々の基幹施設のオープンや拡充を指揮し事業の発展に大きく寄与するなど、特にアジア地域を拠点に要職を歴任。
日本在住は通算23年におよぶ。日本語および中国語にも堪能。
これまでの事業変遷と組織拡大の沿革
当社DHLは、3人の創業者が1969年にカリフォルニアで設立した会社で、エイドリアン・ダルシー(Adrian Dalsey)、ラリー・ヒルブロン(Larry Hillblom)、ロバート・リン(Robert Lynn)の頭文字をとってDHLと名付けられました。設立のきっかけは、船舶が到着しても船荷書類の遅れから荷揚げが出来ないことに困った大手船会社からの相談を受けて開始した、世界初の書類緊急輸送サービスでした。サービス開始からすぐに、船会社に加えて銀行や商社などからの引き合いが急増し、アメリカで成功を収めた後、1972年にはアジア市場への拡大を図り、日本をはじめ、香港、シンガポール、台湾にネットワークを広げました。日本初の国際エクスプレスサービスを開始したのが1972年、その7年後の1979年8月に高輪に事務所を開設しました。 現在の日本での事業規模は、集配拠点が27ヶ所、成田・関西・中部国際空港を拠点とした貨物便ネットワークを活用し、従業員は約1800名と、業界トップ企業として日本市場で圧倒的なシェアを持つに至っています。
なぜ約50年でここまでの成長を達成できたのか ― まず他の企業には負けないパッションがあったからだと私は考えています。当初は人も資金もない中で、お客様のためにいかに早く確実に配送するかにこだわって運営していました。その結果、銀行や商社を始めとする時間にシビアなお客様からの信頼を勝ち取って、取引を拡大することができました。
今のDHLにおいて、私が一番重要視しているのはパッションを持って仕事を行うことで、特にそれをどう従業員に落とし込むかに力を注いでいます。その理由は、DHLのブランドイメージは、お客様との接点となる配送員やカスタマーサービスの一人ひとりの姿勢によって決まります。そのため、私個人よりも、従業員一人ひとりがパッションを持って仕事に取り組んでいる方がインパクトは大きいのです。だからこそ、従業員の教育や働く環境の向上に注力し、さまざまな取り組みを行なっています。
従業員をモチベートする方法
私は従業員と話す際に、DHLはやる気と実力の会社で、「これさえあればどんどん将来の道は開ける」と伝えています。 これは私のキャリアが裏付けていることで、入社まもない頃に日本語もままならない中で日本赴任のチャンスを得て、精一杯努力し結果を出して、その後、海外に戻ってまた実績を積み、今では日本法人の代表を務めています。 これは誰にも負けないやる気と努力があったからこそ実現できたと思っています。
また、日本法人の役員8名のうち、5人が現場出身者で、中には30年以上前の新卒入社時にドライバーからスタートした者もいます。加えて、現在約280人いるDHLジャパンのマネージャー職のうち、95%以上の従業員が現場から上がっています。
これを従業員に伝えると、「なるほど、誰にでもチャンスがあるのだな」と納得してくれます。実際にやる気と実力があってキャリアの道を切り拓き、日本から海外へ行って活躍している人材はたくさんいます。例えば大阪出身の従業員は、アジアにおけるグローバルハブがある香港でアビエーションのNo.2を務めていたり、5年前に日本で入社した女性が今ではシンガポールで従業員教育を担当したりしています。
人材育成について
世界中で共通の、DHLパスポートと呼ぶ手帳を従業員全員に配布し、これで従業員のトレーニング履歴を管理しています。これまでに誰がどのようなトレーニングを受けたかが一目瞭然で確認できるため、参加者からパスポートを受け取ったトレーナーは、その個人の履歴に心を配りながらパッションを持ってトレーニングを行っています。
社内で上司や前任者から受け継いだパッションをチーム内や部下にも引き継ぎ、さらにその想いをお客様まで伝播させることが可能になっているのは、こういった仕組みが作用しているに他なりません。 また、DHL社内のトレーニングシステムの特徴として、全世界の従業員に公平にトレーニング機会が提供されています。通常、企業では、マネージャー層向け専用の研修や選抜されたメンバーを対象としたトレーニングが一般的だと思われますが、当グループでは、全従業員が同じトレーニングプログラムを受講できるようになっており、この規模の企業では珍しいと言えるかもしれません。
またキャリアに関連したDHLグループ内のユニークな取り組みとして、入社後のポジションから2年経てば、全世界のDHLで働けるチャンスを得ることができます。 もちろん、実際に海外赴任ができるかどうかは、その人の実力とやる気次第ですが、興味があれば手を上げることができる環境が整っています。つまり、それだけDHLグループ全体を通して、教育に対してはプライドとパッションを持って取り組んでいるということです。
ブレイクスルーとなった出来事
2000年までのDHLジャパンは少しずつ組織規模を大きくしていたため、それほど大きな組織の壁にはぶつかりませんでした。アジアにおける主要マーケットとして、DHLは日本への投資を加速し、従業員採用の強化や拠点の増設、エリア拡大を急スピードで進め、2007年には現在の規模と同程度まで集配エリアを拡張しました。その結果、売上やブランド力、新卒応募数等が増加し、プラスの影響が多くありました。
拡大期には、2005年に開港した中部国際空港にも拠点を設け、日本国内第三の空港として活用を開始しました。当時は競合他社も参入していましたが、2008年のリーマンショックの際に撤退し、結局DHLだけが残りました。もちろん、当時はDHLも取扱い貨物が減少し、とても苦しい時期を過ごしました。が、荷物を届けたい相手がいれば最後まで運び続けるという気概で逆境を乗り越え、今日まで拠点を維持してきました。現在では、北アジアにおけるDHLの重要なエアネットワーク拠点として、中部国際空港におけるDHL貨物便の運航本数は週におよそ50便ほどに上ります。
当時の苦境を乗り越えられた要因として、やはり人との関係性が大きかったと思います。従業員との関係性ももちろん大切にしていましたが、それだけではなく、お客様、空港関係者、地域の人や企業、取引先といった、たくさんのステークホルダーとの関係性を良好に保って、危機を一緒に乗り越えられるよう協力したことが良かったのだと思います。現在のDHLジャパンがあるのは、頑張っている姿や想いやパッションが人から人へ伝播したからこそであり、今後も人と人との関係性を大切にしていきます。
社会課題に対して
DHLでは、社会課題の解決に貢献するため、「GoHelp(災害現場や弱者への支援)」、「GoTeach(教育支援)」、「GoGreen(環境保護)」、「GoTrade(国際貿易やビジネスの支援)」の4つのテーマに基づいた「Goプログラム」を実施しています。
例えば「GoHelp」の活動では、地震や津波といった自然災害が発生した地域への支援を行なっており、実際に2011年の東日本大震災の際には、福島県で当社の飛行機のコンテナを一時的な仮設住宅や店舗運営用に提供しました。また「GoGreen」の活動では、自動車メーカー各社と協力しながら電気トラックや電動バイクの導入を進め、「GoTeach(教育支援)」の一環として千葉県の南房総地域で数トン単位のお米を作って、子ども食堂に提供したりしています。
そしてこれらの活動を通して、多くの人へパッションやDHLのハートを伝えることが重要と考えています。また、従業員に対しても、これらの活動により、DHLの掲げるパーパス「人と人をつなぎ、生活の向上に貢献する」の重要性を再認識してもらい、業務やその他の活動にもプライドを持って取り組んで欲しいと思います。 実際に従業員にインタビューすると、入社理由として「地域や世界に貢献する活動を行いたい」という言葉が多く聞かれ、直近のコロナ禍ではマスクやワクチンの配送で世界的な危機の解決に自分達が貢献するという意識で業務に取り組んでくれました。
今後の従業員への期待について
私は、DHLで働く従業員を家族のように思っていて、彼らにはDHLを通して自己実現や成長を実感していただきたいと思っています。そのため学生への有償インターン実施や、役員を巻き込んだキャリアメンタリングを実施しています。また海外へチャレンジする機会もDHLにはたくさんあります。
その他にも従業員へ多くの取り組みを実施しているので、やる気と実力さえあれば活躍できるこの環境を生かして、みなさん自身の幸せを是非実現して欲しいと考えています。
- 氏名
- トニー・カーン
- 会社名
- DHLジャパン株式会社
- 役職
- 代表取締役社長