印刷技術を核に、エレクトロニクスやメディカルヘルスケアなど幅広い分野に事業領域を拡大し、成長を続けている大日本印刷株式会社(以下、DNP)。「Printing & Information」という印刷で培ったコアバリューを中心に据え、DX戦略によって新しい価値を生み出そうと、さらなる新チャレンジに取り組んでいます。
「ものづくりDXのプロが聞く」は、Koto Online編集長の田口 紀成氏が、製造業DXの最前線について各企業にインタビューするシリーズです。今回は、150年近くに及ぶ長い歴史を持つDNPのDXの取り組み、感じている課題や今後の構想などについて、同社の技術・研究開発本部ICT統括室室長の大竹 宏之氏、技術開発センター生産革新研究所所長の吉澤 貴正氏にお話を伺いました。
技術・研究開発本部 ICT統括室 室長
1991年入社。情報システム部門で主に製造部門におけるITシステム企画・設計・開発・運用に従事。2019年より現職。人材育成やガバナンスにも携わり、DXによる新しい価値創出を目指し、DX推進役を担っている。
技術開発センター 生産革新研究所 所長
1997年入社。パッケージ関連の事業部門にて、プリプレス(印刷の前工程)部門向けの効率化システム開発及び導入などに従事。2012年より技術開発センターにて、生産革新、業務革新につながる全社を対象としたフロー改善、改革テーマ等を推進している。
2002年、株式会社インクス入社。3D CAD/CAMシステム、自律型エージェントシステムの開発などに従事。2009年に株式会社コアコンセプト・テクノロジー(CCT)の設立メンバーとして参画後、IoT/AIプラットフォーム「Orizuru」の企画・開発等、DXに関して幅広い開発業務を牽引。2014年より理化学研究所客員研究員に就任、有機ELデバイスの製造システムの開発及び金属加工のIoTについて研究を開始。2015年にCCT取締役CTOに就任。先端システムの企画・開発に従事しつつ、デジタルマーケティング組織の管掌を行う。2023年にKoto Onlineを立ち上げ編集長に就任。現在は製造業界におけるスマートファクトリー化・エネルギー化を支援する一方で、モノづくりDXにおける日本の社会課題に対して情報価値の提供でアプローチすべくエバンジェリスト活動を開始している。
印刷で培ったコアバリューで、新たな価値創造を目指す
田口氏(以下、敬称略) 最初に改めてとなりますが、御社の事業内容について教えてください。
吉澤氏(以下、敬称略) 当社は総合印刷会社として、印刷技術を核に成長してきた会社で、2026年に創業150年を迎えます。
印刷プロセスから培った技術は、例えば、インキを薄く均一に塗ることから始まった「精密塗工」の技術や、製版のデジタル化や大量のデータを安全かつ適切に扱うことに伴い発展してきた「情報処理」の技術など多岐にわたります。私たちは、このような基盤技術を活用し発展させることで、異なる機能を持つフィルムを多層に貼り合わせて新しい機能を持たせたり、メタバース空間でのコミュニケーションを実現させるなどのメディア変換技術に深化させたり、さまざまな新たな技術を生み出してきました。現在は「スマートコミュニケーション部門」「ライフ&ヘルスケア部門」「エレクトロニクス部門」の3つの領域で多様な事業を展開しています。
田口 大竹様、吉澤様それぞれのご経歴、現在の業務のご担当についても、お聞かせいただけますか。
大竹氏(以下、敬称略) 私は現在、技術・研究開発本部 ICT統括室の室長を務めており、DNPグループ全社のDXを推進することがミッションです。人材、ガバナンス、事業の進め方、どの領域にチャレンジするかを含めて、行政部門として全社のDX戦略をコントロールしている部署になります。
この部署ができたのが2019年です。デジタル化やDXの必要性が急速に高まるとともに、環境問題をはじめとする社会課題への対応について、企業はさらに求められるようになりました。これらに対応するためには、経営ビジョンそのものに関連づけて、DXを全社的に推進する必要があると考え、技術・研究開発本部にICT統括室が出来ました。
吉澤 私は本社の研究開発体制のひとつである技術開発センター 生産革新研究所の所長を務めています。どちらかというと実行に近いほうですね。当社は事業部制になっているのですが、全社戦略に基づきそれぞれの事業部門を横断して製造DXを支援する、そして推進する役割を担っています。
私はもともと、パッケージの製造をしている事業部門に長くいました。2012年にこの研究所に異動し、全社の生産革新、業務革新を行政部門と連携しながら展開するというのが現在の職務になります。
私が所属する研究所自体の歴史は15年程度ですが、その母体となる研究部門は歴史が長く、その活動から派生して、この研究所が設立され、現在に至ります。
――御社のDX戦略の全体像、概要について教えていただけますか。
大竹 当社は「未来のあたりまえをつくる。」というブランドステートメントを表明しています。このステートメントは、社会課題を解決するとともに、人々の期待に応える新しい価値を創出し、その価値を人々の身近に常に存在する「あたりまえ」のものにしていく、というものです。「より良い未来」を実現するためには、常に変革に挑戦し、イノベーションを起こすことに努め、新しいビジネスモデルを構築し続けていくことが大切だと考えています。DX戦略もこのステートメントに込められた想いに沿って、DXによる価値創造が「より良い未来」につながるという考えのもとで立てています。
DX戦略の概要をご説明します。戦略の中心にあるのは、「Printing & Information」という印刷プロセスで培ったコアバリューです。そして、DXによる価値創造の土台となるのが、実行力であるケイパビリティの向上です。組織や社員一人ひとりのマインドセット、人材育成など、社内のあらゆるところにメスを入れ、新しい価値を生むための基盤とすべく変えていく必要があります。
「価値の創出」としては、私たちの事業の特性や強みを生かし、DXの観点でデジタルを活用した製品・サービスを提供することにより、社会に対して新しい価値を提供していきます。これは既存事業を変革することでもあり、新規事業を創出することでもあります。
「経営基盤の強化」としては、会社の情報システムインフラである社内の経理や人事労務システムの変革、工場のスマート化による生産性の向上なども目指します。
この、「価値の創出」と「経営基盤の強化」の両輪で、デジタル技術とデータを組み合わせたDXによる価値創造を推進しています。これが当社として目指すDX戦略の全体像です。
既存システムの変革、新たなチャレンジ、それぞれの難しさとは
吉澤 この全体像の中で、受注・納入業務や工場のスマート化などによる生産性の向上が私の担当領域です。
国内の製造業では、労働人口の減少による人手不足は大きな課題です。DNPの工場においても、DXによる生産性の向上に取り組んでいます。既存ビジネスのさらなる効率化を図りつつ、成長牽引事業にリソースを集中することでポートフォリオ変革を進めています。単に効率化するだけではなく、例えば顧客のオーダーに沿って生産する形から、社会課題を解決する提案を基にサプライチェーンに参画するような形へと業務プロセスの変革を行い、収益の向上につなげることができればと考えています。
田口 実際に我々もシステムインテグレーションする際、既存のライン、工場の中を変えていくのは簡単ではないなと実感することが多々あります。新規でラインをつくるならば、企画から入ることができるので比較的やりやすいのですが、既存のものに対して何か手を入れる場合は、かけられるコスト、そもそも今動いているのに対して手を入れるというリスクなどさまざまな問題がありますよね。そういったものに対してどのように手を打っていらっしゃるのでしょうか。
吉澤 コストに関しては経済合理性を考えて、ドラスティックに対応するしかないと考えています。それをやることでどれだけのアウトプットが得られるのかについて、研究開発部門として主体的に行動し、ステークホルダーを巻き込みながら推進しています。
既存の仕組みに手を入れるのは、特に品質の観点から、難しいと感じています。私自身、もともと事業部門でシステム開発に従事していたことがあるので、基本的に「既に動いているものをいじりたくない」というリスクヘッジの感覚が強くありました。しかしながら、昨今の変化の激しい状況を踏まえると、既存の仕組みにも手を入れていく必要があり、まさに今、全社的にその変革が始まっている段階です。例えば、先ほど出てきたDX戦略の中の経営基盤強化という点でも、業務系の仕組みをモダナイゼーションし、抜本的に変えていかなければなりません。最近の世の中の動きは非常に早いので、それに合わせた柔軟に対応できる仕組みに変えていかなければ、取り残されてしまいます。そこについては、まさに取り組んでいる最中ですね。
田口 既存の仕組みの変革については、まさに今、取り組み中なのですね。価値の創出のひとつ、新規事業の創出について何か特徴などはありますか。
大竹 特徴的なのはコトづくりに注力して新しいことにチャレンジする「ABセンター」という組織です。組織の中に企画・営業メンバーからなるビジネス開発部門と、エンジニアを中心としたICT研究開発部門を設置して、ビジネス側とICT開発側が相互に密に連携することで大きな成果を生み出せるようにしています。具体的には、多くのアイデアに対して「事業創出」「事業化」「事業育成」のステージでゲートを設けて事業化を目指しています。
例えば、三重県桑名市や東京都江戸川区の行政DXとしての「メタバース役所」の取り組みや、東京都「バーチャル・ラーニング・プラットフォーム事業」での不登校や日本語の指導が必要な児童・生徒に3Dメタバースで居場所と学びの場を提供することなど、DNPはいろいろと新しいことにチャレンジしています。これらはABセンターでの事業創出が基になっています。ここは新しいものを生み出し続ける機関なので、事業の拡張が望める段階になると事業化し、その後、事業部門にて推進していきます。そうやってどんどん新陳代謝を繰り返して、会社全体で新しいものを生み出し続ける体制にしています。
確かな技術をいかにビジネスにできるかが大事
田口 社内の製造DXの具体的な事例、サービスに発展させたものなどがあれば、お伺いできますか。
吉澤 シミュレーション技術を活用した最適な人員配置や設備レイアウト設計といった自社の工場設計については、シミュレーション技術にAIやデータ分析の技術も掛け合わせることで、デジタルツインにつなげることにも取り組んでいます。数理最適化の領域においては、データ分析とAI技術を掛け合わせた生産計画や生産ラインの予定組の最適化・自動化に応用するほか、MI(マテリアルズ・インフォマティクス)への応用としても、実験計画の最適化につなげています。その他には、エッジデバイスと画像処理AI技術を掛け合わせることで人の動きを検知し、製造職場の危険部位に人が入った際にアラートを出すような、製造職場の安全面に関わる仕組みの開発などの事例もあります。これらの施策は、自社工場の業務プロセス改善として適用し、効果を確認していることから、サービス化も検討しています。
また、当社の強みを活かしたデザインやクリエイティブ方面でもDXの展開を考えています。例えば建材の絵柄の生成、紙面・誌面やパッケージのレイアウト設計などでも活用できると考えています。
それから、色調再現の最適化技術、色の技術を使った取り組みも当社ならではの大きな特徴と言えると思います。カラー印刷する時は基本的に、CMYK(Cyan、Magenta、Yellow、Key plate(黒))の4色を掛け合わせるのですが、求める色を印刷で再現する際のいわゆる「色合わせ」の技術があります。印刷を核としてきた当社が蓄積してきたこのノウハウを活かすことができないか、さまざまな領域でチャレンジしています。
コロナ禍以降、ディスプレイ越しでのコミュニケーションが非常に増えたと思いますが、例えば、カタログなどを作成する際に、掲載商品の色を適切にリモート先の相手に伝えるコミュニケーションサービスや、トマトの色から熟しているかを判断するというような、農業や医療分野に向けた色判定・色診断のサービスなどが挙げられます。今後、さまざまな領域において、サービス化に向けてPoCを進め、新しいサービスによる利益獲得につなげられればと考えています。
田口 画面越しでのコミュニケーションが「あたりまえ」になってきている現在、ニーズもありそうですし、印刷会社としてのノウハウが活きるところですね。実用化に向けた難しさというのは、どのような点にあるのでしょうか。
吉澤 例えば、光源の違いで色が異なって見えてしまわないように、室内の光源やディスプレイ設定を標準と合わせるなど、厳密に言うと細かい調整が必要になってきます。ただ、色合わせをどこまで求めるかは、その目的によって違います。品質・コスト・利便性のどれが、顧客の最も解決したい問題なのかを想定しつつ、ビジネスとして成り立つかどうかという視点も入れて考える必要があります。さらにいうと、顧客からの課題に対応する“点”の課題解決にとどまらず、顧客の問題を拡張して捉え、“面”の解決施策まで展開していきたいと考えています。
田口 全社的にDXに取り組まれる上で、人材についてはどのように考えていらっしゃるでしょうか。人材育成はどこの企業でも皆さんが「難しい」とおっしゃっていますが、人材不足と言われ始めて数年経ち、ある程度の人員が育ってきているのか、それともまだまだ課題が残っているのか、いかがでしょうか。
大竹 人材育成については、DX基礎人材とDX推進人材を定義し、リテラシーと専門性の両面で教育を行っています。リスキリングによる育成や、即戦力として外部から採用する方法もありますが、いずれにしても企業のケイパビリティとしてアウトプットできるようにするのは、簡単ではありません。
<DNPグループとしてDX人材を再定義した図>
例えばクラウドやAIに詳しい、新しいデジタル技術を使える人材は育っていて、レベルも上がっています。しかし一方で、そういった人材が、現状をどう分析するか、新しい価値をどう創出するか、どのようにビジネスにするかといった視点を併せ持っているかというと別問題です。営業職や技術職で培った強みも活かしながら、多様な職種において、デジタル技術とデータを活用してビジネスを組み立てることができる人材を育てていくことは、一番の課題だと思います。この課題解決に向けてDNPは、DXリテラシーやデザインシンキングの講座を開いたり、アイデアソン、ハッカソンを開催したり、いろいろな機会をつくっています。
田口 やはり人材は、DXを進める上で重要になってくるんですね。最後に、インタビューの総括として、今後のDX戦略で注力したいポイントや読者へのメッセージがありましたら、お願いいたします。
大竹 製造業のDXを推進していて感じるのは、ITとOT(Operational Technology:工場などに使われる制御・運用技術)の間が、抜け落ちてしまうのではという危機感です。OT側、装置を扱っているような方たちは、例えばいろいろなソフトウェアを装置とどうつなげようかという発想はあっても、そのソフトウェア自体がどんなものであるべきかまでは考えが及びづらい。逆にIT側の方たちは、実際の装置や働く人たちへの配慮が欠けてしまうことがある。全てをAIがコントロールしたオートメーションシステムができて、装置が自律的に動くような工場になっても、想定外のリスクやさまざまな意思決定など人間のオペレーションは必要だと思います。これから力を入れるべきことのひとつは、ITでできることを見極めた上で、ITとOTの隙間を埋めていくための取り組みかなと思っています。
吉澤 私たちのDXの取り組みは道半ばであると感じています。やはりDXというのは、組織の風土、人々の考え方を含めて変えていく必要があり、単純にデジタル化してプロセスを変革して終わりということではないということを痛感しています。同じような課題を感じている企業の方たちがいらっしゃいましたら、是非、協力してお互いの課題を解決できるような取り組みができれば嬉しいですね。それから、お伝えしたようにこの分野は人材が非常に重要です。就職活動をする学生さんをはじめ、私たちが取り組むDX戦略に興味を持った方には、どんどん仲間になっていただき、一緒にいろいろな挑戦ができたらと思います。
田口 チャレンジできる現場は貴重ですし、そういう意味で、もともとアセットが多い御社は、それを武器にさまざまな挑戦ができる魅力的な職場ですよね。本日は、ありがとうございました。
【関連リンク】
大日本印刷株式会社 https://www.dnp.co.jp/
株式会社コアコンセプト・テクノロジー https://www.cct-inc.co.jp/
(提供:Koto Online)