特集「令和IPO企業トップに聞く 〜 経済激変時代における上場ストーリーと事業戦略」では、IPOで上場した各社のトップにインタビューを実施。コロナ禍を迎えた激動の時代に上場を果たした企業のこれまでの経緯と今後の戦略や課題について各社の取り組みを紹介する。
1. 創業時からの事業変遷
―― 現在までのJapan Eyewear Holdingsの変遷について、1958年に創業されてから順調に拡大されてきたと思いますが、上場前・上場後やターニングポイントなど、いくつかのポイントがあったと思います。中でも特に印象に残るものをピックアップしてご紹介いただけますでしょうか?
金子 そうですね。当社は私の父が1958年に創業し、当時は家族経営で父と母が二人で卸業を営んでいました。この状況が1980年近くまで続きました。その後、1981年に私が手伝いを始め、1986年に個人事業から株式会社に変更しました。この5年間は修行の時代で、業界のイロハや営業スキルを学んでいました。
1986年以降、私たちは自社で企画した商品を全国のメガネ屋さんに販売する方向に変化しました。そして、2000年頃までその路線は堅調でした。当初は年間売上が7,000万円程度で利益はほぼゼロでしたが、徐々に売上が十数億円まで上がってきました。
その後、2000年以降、デザイン一辺倒の時代から価値を重視する方向にシフトしました。これは、安いメガネ屋さんが出始め、日本のものづくりの価値を伝えることが難しくなってきたためです。そこで、私たちは匠の技を重視する方向に変化し、自社での直営店展開を始めました。
そして、2009年頃から、自社でメガネを作る方向に転換しました。これにより、私たちは本物のSPA(※製造小売業)として、高級品のSPAを展開することができました。これが、これまでの基本的な変遷になります。
―― 最初の卸業から企画販売に移行されたとき、社長の中でもかっこいい商品を作りたいという思いが一番強くて転換されたという理解で合っていますでしょうか?
金子 そうですね。戦略とか大げさな話は何もなくて、私自身がユーザーとしてかけたい商品を、見よう見真似でデザインし、地元のメーカーさんに作っていただきました。最初はイケていると思っていたけど、意外と東京の渋谷などでダサいと言われることもありました。そこでいろいろ鍛えられたのが最初の5~10年間だったと思います。
2. 上場を目指された背景や思い
―― そもそも上場を目指された背景について教えていただけますか。
金子 そうですね。私はもともとあまり肩書にこだわらないタイプで、2010年以降のビジネスをしっかりと進めてきました。しかし、会社が成長するにつれ、次なる課題や自分の年齢を考えるようになりました。中小企業では親子間の承継が一般的ですが、私はそれを選びませんでした。なぜなら、私自身が親から戻らないとダメだと言われて渋々家業を手伝った経験があり、それが心の傷になっているからです。私は自分の子どもに同じことをさせたくないと思いました。
そこで、上場という選択肢が浮上しました。ただ、売り上げが30億円程度だった2014年頃には、上場なんて遠い話に思えました。しかし、2017年や18年に売り上げが40億円、50億円近くになり、さらに伸びる可能性を感じたことで、上場が現実的な選択肢になりました。
私にとってIPOは単なるキャピタルゲインを得る手段ではなく、事業承継のあり方を考えた結果の選択です。2018年後半から、いろいろなコンサルやファンドとコミュニケーションを取り、最終的には現在の株主である日本企業成長投資さんと資本提携しました。その際には、一緒に上場を目指すことを条件に話し合いました。2019年10月の資本提携は、まさにIPOへのキックオフだったと思います。そこから2、3年間、粛々と上場に向けて努力しました。
私にとって上場はゴールではなく、会社や一族のあり方を考える上での一つの選択肢だったわけですね。
3. 今後の事業戦略や展望
―― 今後の展望としては御社の成長イメージだったり、御社が解決していくべきテーマみたいなところがあれば、教えていただいてもよろしいでしょうか?
金子 そうですね。やはりもう2000年代に入って、日本はいよいよ人口減少の時代に突入して、そもそもマーケットはあまり大きくならないということを前提に商売しなきゃいけないという一つの時代の中で、やはり、まずガラパゴスなブランド企業では、おそらく10年後、20年後は生き残れないだろうというのが、私の基本的な考えです。
あと、もう一つは鯖江のブランド、鯖江の産地としての認知度はここ20年で劇的に向上しましたが、やはり人口減少もそうですが、職人さんの高齢化などにより、以前にまして産地全体の生産力は年々縮小している状況です。したがって、販売力を伸ばし、販売量を増やして、企業として成長しなければならない一方で、それを作っていただく産地状況を克服しなければならないこの2つの課題が、私自身の今後の事業の危機感、あるいは問題意識としてあります。
それに対してどう取り組むのかが今後5年、10年の取り組みのメインになると考えています。
―― 地方における人材不足の課題に対して、上場時は東京のPEファンドを活用することを決断したと、別の記事で拝見しましたが、この課題に対して今後はどのように取り組んでいきますか?
金子 今お話しされたように、IPOにおける一つの超えるべきハードルは、決してメガネのデザインでもなくて、売上だけじゃなくて、上場企業としてふさわしい基準に達するガバナンス体制の構築やコンプライアンス体制の確立でした。さすがに福井県の鯖江ではその要件をクリアできる人材はなかなかいませんでした。そのため、まさしくPEファンドの知見とコネクションによって、今まで不足していた部分はしっかりと短期間で作っていただいたのかなと思っております。
それらが実現できて上場したわけですが、今までメガネ業界の上場というと、ほぼ東京資本の低単価の店が多かったため、地場産業である鯖江からの上場は、業界においてもかなりのインパクトで捉えられています。業界全体が非常に注目している存在であるという意味では、今回のIPOは今後の人材獲得においては、やはり追い風になるのかなと思っています。
さらにIPOを目指す過程でフォーナインズという東京の会社・ブランドを経営統合してグループ化しました。これにより鯖江からの一辺倒の事業展開ではなく、福井からの事業展開と東京からの事業展開ができる状況になり、そういう意味では人材の確保も含めて、今後はシナジーを活かせるのかなと考えています。
4. 今後のファイナンス計画や重要テーマ
―― 今後のファイナンス計画についてお話を伺いたいのですが、まずは今後のM&Aの戦略について教えていただけますか?
金子 今後は、オーガニック成長とM&Aによる非連続成長の二本立てで進めていきたいと考えています。ただ、M&Aに関しては積極的に手を挙げてもらうようなアプローチはしていません。むしろ、ブランド力や企業信用が向上したことで、M&Aの話は向こうからアプローチしてくるパターンが多いと思います。
―― 今後の事業におけるファイナンス計画については、どのような方針をお持ちですか?
金子 もちろん、成長を支えるために自前での強化をおこなうことが大切ですが、同時に外部からのエネルギーも吸収して成長していくことが重要だと考えています。また、私自身も上場までは株価や資本コストを意識した経営について十分に考慮できていなかったと感じています。今後は戦略とは別に、市場関係者に伝わるような形で資本コストを意識した経営を展開していきたいと思います。
5. ZUU onlineのユーザーに⼀⾔
―― ありがとうございます。では、ZUU onlineのユーザーさんに向けて、御社の今後注目してほしいポイントや、まだ市場に伝わりきっていない魅力についてお話いただければと思います。
金子 上場前も上場後も、私たちの基本的な事業に対するフィロソフィーは、世界中の方に私たちの眼鏡を提案し、かけていただくことで、さまざまな社会や生活を豊かにし、気分を高めるという商売をおこなうということです。外部の協力メーカーやさまざまなステークホルダーと共に栄えるという結果を目指していくのが私たちのこれまでの考えであり、今後もそれを意識して取り組んでいきたいと思っています。
ただ、市場の評価では見えづらい取り組み、特に鯖江での製造事業というものは、数字としてすぐに提示できるものではなく、視覚的に捉えることができないものです。しかし、実はこれが消費者や海外マーケットでの取り組みの根元であり、派手に見えるわかりやすいプロジェクトと地道な取り組みの両方で、これからもビジネスを展開していきます。
長期的に見ても安定し、不安のないインフラを自ら整えながら、業績を10年後、20年後も支えていけるものを築き上げていきたいと思っています。ぜひその点をご理解の上、引き続きご支援いただければと考えております。
―― 本日はお時間いただきありがとうございました。
- 氏名
- 金子 真也(かねこ しんや)
- 社名
- Japan Eyewear Holdings株式会社
- 役職
- 代表取締役社長
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■取材対象者 金子 真也 代表取締役社長