1975年に兵庫県で生まれ。高校中退後、父の喫茶店「カサノバ」の経営難に直面する。19歳でラーメン屋台を開始し、初月に240万円の売上を達成し、5年で借金返済。2000年に「らーめん八角播磨本店」を開店し、チェーン展開を進めたが、2008年のリーマンショックによる岡山県の店舗閉店を経験。これを契機に経営アプローチを変更し、2010年に「株式会社八角」へ組織変更、翌年には全店舗黒字化。兵庫県でトップの飲食店を目指し、「らーめん八角」では手作りにこだわり、他店舗では最高の鉄板料理を提供。その成功は、柔軟な経営姿勢と強い意志によるもので、多くの本を出版し、他の経営者にインスピレーションを与えている。
2000年には「らーめん八角 播磨本店」を開店。
同年12月に有限会社八角を設立し、2010年12月には株式会社へと移行。
現在では店舗数も増加し、「らーめん八角」や「うまいもん横丁」の商標登録も取得しブランド展開。
事業の強みについて
——業績が伸びている理由や強みについてお聞かせいただけますか。
大西 強みは他社様と比べてコスパが良いことです。ボリュームにも自信があります。私は常にお客さん目線で考えているため、お客さんが喜ぶ方を優先して今まで走り続けて参りました。その点が弊社の強みです。
——どのようにしてコストを抑えているのでしょうか?
大西 餃子や唐揚げなどの値段を88円に設定していますが、これは業者さん(仕入先)に協力していただいています。大量入荷を実施するなど業者さんと相談の上で今の価格を何とか維持しております。ただ、直近は材料費が高くなっているため非常に厳しい状況ですね、、、
ぶつかった壁やその乗り越え方
——壁にぶつかった時期があったと思いますが、その時のお話をお伺いできますか?
大西 辛かった時期はリーマンショックとコロナショックです。資金繰りが苦しかったため、とにかく数字と向き合い、原因を見つけ出すためにデータ分析を徹底して実施しました。各店長たちと話し合い、現状と今後の目標を共有しました。
——データを活用し店舗の改善に取り組んだ結果、どのような変化がありましたか?
大西 徹底的に数字を見える化し、各店舗の弱点や無駄を明らかにしました。それを各店長に共有し、進むべき方向の目線を合わせました。また店舗ごとの良いポイントを店長に伝えることでモチベーションを高め、意識改革から進めていきました。
——コロナ禍では、どのような苦悩があったのでしょうか?
大西 コロナ禍では、営業時間が制限された(20時までの営業を余儀なくされた)ことが最も苦しかったです。アルバイトも雇えなかったため、リーマンショック時と同様に正社員へ状況を伝えました。「今は耐え時だから我慢しよう」と伝えたのを覚えています。
——現在の状況は如何でしょうか?
大西 コロナ前と比べてラーメン業界は良くなっていますが、原材料の値上げに悩まされています。それでも、弊社はイベントで餃子や唐揚げを88円で提供し、集客力を維持しています。社名が八角ですので、「8」には拘りを持っています。お互いに支え合っている業者さんには感謝しかないです。
今後の経営・事業の展望
——今後の展望についてお伺いしたいのですが、どのような姿を目指していきたいと考えていますか?
大西 今後は海外展開を考えています。日本の将来を考えると、人口減少が著しく明るい未来が見えてこないので、海外に目を向けています。特に東南アジアのマレーシアやインドネシアなどが、日本の30年前ぐらいの状況でこれから伸びてくる国だと考えています。
最近はベトナムからの技能実習生が増えていて、修行してもらっています。将来的には母国に戻った際にフランチャイズ展開をしていただきたいですね。
ZUU onlineユーザーへ一言
——最後に読者の方々に向けて一言お願いいたします。
大西 僕がずっと目指しているのは、「兵庫といえば八角」という存在になることです。そのために30年の壁を乗り越えて老舗と言われるまで歩んで参りました。
次のステップは「兵庫から世界へ」という目標を掲げて取り組んでいきたいと考えています。
——本日はお時間いただきありがとうございました。
- 氏名
- 大西 慎也(おおにし しんや)
- 会社名
- 株式会社八角
- 役職
- 代表取締役