2024年7月に設立した一般社団法人 製造DX協会の代表理事に就任した林 英俊氏。製造業DXに関するスタートアップ企業の代表として製造業に携わる立場であるなか、協会設立の背景にはどのような思いがあるのか。日本の製造業をどのように見て、将来に向けどのような理想を描いているのか。
製造DX協会について伺った前編に続き、後編では製造DX協会の代表理事と合わせて株式会社エスマット 代表取締役CEOを務める林氏が考える、日本の製造業の魅力と課題、スタートアップ代表として製造業の未来に対して抱く思いについて、お伝えします。
【前編】
日本の製造業はなぜDXが進まないのか--
新たに設立された「製造DX協会」が目指す未来とは?
株式会社エスマット 代表取締役CEO
コンピューターサイエンス修士、製造業中心の戦略コンサル(ローランド・ベルガー)、ECのプロダクトマネジメント(アマゾン)を経て、2014年にスマートショッピング創業。代表取締役として経営全般を舵取りしつつ、IoT x SaaSビジネス、Webメディア・D2Cビジネスの事業立ち上げなどグロース中心に実務も担う。製造とデジタルの交差点に立ち、製造DXを業界レベルで進めるための外部協業、日本全国のコミュニティ活動も積極展開。DX・IoT・在庫関連の講演・執筆・メディア発信も多数。ICCカタパルト優勝。重さの男。製造DX協会代表理事、三重大学リカレント教育の講師。
目次
Amazon時代に感じた課題をきっかけに起業「製造とデジタルの交差点」に立つ
--林様のこれまでのご経歴、携わってきたお仕事などについてお聞かせください。
林氏(以下、敬称略) 私は大学と大学院で、ずっとコンピュータサイエンスを学んできました。学生時代はひたすらプログラムを書き、Webサイト制作などのアルバイトもよくやっていましたね。
そうしたデジタル漬けの学生時代を経たものの、卒業後はローランド・ベルガーというコンサル会社に入社し、エンジニアではなく戦略コンサルタントとして社会人のキャリアをスタートしました。当時のローランド・ベルガーは自動車を中心に製造業に強く、半年ほどの単位でお客様である製造業の会社に常駐させていただきながら仕事をしていました。
7年ほど勤務し、やはりデジタルの世界で仕事をしたいと考え、Amazonに転職しました。Amazonではエンジニアリングの知見を生かして取り組んだのが、ソフトウェアのプロダクトを立ち上げるような、いわゆるゼロイチの仕事です。プロダクトマネージャーという肩書で、エンジニアと一緒になってプロダクトを作り上げるのが役割です。新規事業の企画から事業計画の作成、それから事業のスタート後はデザイナーやエンジニア、ビジネスチームを巻き込んでプロダクトを作るなど、いわゆる「ミニ社長」のような立場でした。
--現在、代表取締役を務める株式会社エスマットでは、どのようなサービスを手がけているのでしょうか。
林 当社では、重量から実際の在庫をリアルタイムで把握することによって、在庫管理やDXを推進するソフトウェアを提供しています(下写真参照)。当初はeコマースを中心に事業を考えていたのですが、医療や飲食店へと広がり、現在は製造業のお客様の在庫管理をメインに事業を展開しています。
--ご自身で会社を立ち上げようと思ったきっかけなどは、何かあったのでしょうか。
林 Amazon時代に、eコマースのいわゆる負の部分、特に定期購入サービスの課題に気が付き、これが解決できたらビジネスになるのではないかと考えたことが最初のきっかけです。
具体的に言うと、例えば、シャンプーのボトルを何日間で使い切っているか、ほとんどの人は正確に把握していないですよね。でもeコマースでシャンプーを定期購入しようと思うと、何ヵ月に1回購入するのか決めなければなりません。聞かれて答えたところで、ユーザーからしてみると当たるはずがないんです。そのため、不要なときはスキップしたり、今すぐ欲しいときはまた手続きのボタンを押したりする必要があり、すごく面倒くさい作りになっていました。世の中で定期購入が一定数利用されているのは、割引のバリューが評価されているからです。必ずしも「ユーザーにとって便利だから」というわけではないんですね。
これはネットショッピングの姿としてあまり良くないのではないか、もっと便利な買い方ができるのではないかというのが、私の起業の原点ですね。
--具体的には、どのような仕組みで在庫管理をしているのでしょうか。
林 最初はAIを使って予測データから便利な買い方ができないか、検討しました。購買履歴が5月1日、6月1日、7月1日だったら、次は8月1日だろう、といったやり方です。しかしこれがまた当たらない(笑)。AIも万能ではなく、リアルな世界において意外と予測できないことが多いんです。
例えば、日本全体でお茶のペットボトルが何本飲まれるかはある程度当たるんです。指標やデータがたくさんあるマクロな数字ですね。しかし、今日五反田にあるこのオフィスでお茶が何本飲まれるか、そうしたミクロな数字はすごく難しいんです。たまたま飲み会があって出社が5人増えましたとか、風邪が流行って休みが多いですとか、いろいろな理由で数字が大きく変わります。製造現場も一緒です。作り損ねが大体100個に1個程度なので、1%だけ余分に部品を供給していたのに、いきなり100個に10個ミスが出たりする。原因を調べると、現場の作業員の方が「実は昨日、妻とケンカしまして……」なんてことがあるんです(笑)。そんな理由は、AIにはわかりませんよね。
実際の世の中にはそうした予測不可能な出来事が多いということがよくわかり、予測するよりもありのままを測って重量で在庫を見える化する、そして必要に応じて補充する、さらには人の目による在庫管理から解放される仕組みを作ろうと考え、事業化しました。
私のキャリアを振り返ると、製造とデジタルの交差点に立っている、そんな感じですね。
ものづくりの思想も動きも異なる欧州と日本、日本の良さを生かした製造DXをすすめたい
--製造DX協会の代表理事として、「日本式の製造業DXを作り上げたい」とおっしゃっていました。改めて欧州と日本のDXの違いについて、ご説明いただけますか。
林 最初のキャリアであるコンサルとして仕事をしていた際、勤めていたローランド・ベルガーがドイツの会社だったので、ドイツの製造やインダストリー4.0などの考え方を直に肌で感じていました。
例えばドイツと日本の自動車メーカーは、作り方からまったく違うんですね。ドイツは既存のブロックを組み上げていくようなやり方で、最高ではないかもしれないけれど、効率的に良いものを作ろうという考え方です。対して日本の場合は、やはり一つひとつの部品に徹底してこだわる。在庫管理をさせていただく関係で工場の現場に行くことも多いのですが、例えばタイヤのホイールにつける重り一つとっても、2〜30もの種類があるんです。なんでそんなにいろいろな種類を揃えているのか理由を尋ねると、その日のホイールの出来によって傾きが微妙に異なるので、今日の傾きだったら300gがベストだ……といった具合に、最後の最後まで調整して最高のものを作れるようにそれだけの数を揃えているんです。
このようにものづくりに対する思想が根本的に違う上、製造業の現場で働く方たちのタイプも同じではありません。欧州はいかに効率よく仕事をして時間通りに帰るかという価値観が強いのに対して、日本では、もっと良くできないか、もっと質を上げられるのではないかと創意工夫せずにはいられないという方が多い印象です。
機械の生産ラインの組み方もまったく違っていて、欧州では必要なラインを社外からセットで大金を払って購入するんですよ。日本の場合は生産技術という日本の宝のような技術を持つ方たちがいて、50年前の機械でもチューニングして上手く組み合わせ、最高のラインを作り込み、下手したら内製もしています。
--ものづくりに対する思想も実際の動きもかなり異なっているんですね。
林 そうですね。欧州のやり方は効率も良いし生産性も高いし、DXの仕組みも今の欧州の現場にすごくフィットしたものが出来上がっています。それ自体は素晴らしいことですし、見習うべきところもたくさんあると思います。ただし、それをそのまま日本に持ってきたときに、合わない人も一定数いるのではないかというのが、私の考えです。日本の経営者の方々も、変革の必要性を感じてはいるけれど、日本独自の工夫を積み重ねてきた中に欧州型のDXをそのまま導入することに日本ならではの良さが消えるという懸念を感じ、なかなか意思決定ができないのではないでしょうか。
欧州のやり方がマッチする企業は、ある意味完成形の欧州型をそのまま取り入れれば、うまく変革が進むのではないかと思います。しかしそれだとうまくいかない、という企業に対しては、もう少し変化させた何か日本独自の方法があるのではないかと私としては考えています。
--例えば、どのようなやり方を想定していらっしゃいますか。
林 一言で言うと、人が中心になるDXです。とはいえ、今まで通りまったく変えない、すべて人手にこだわって標準化できない形ではデジタルと相性が悪いので、例えばデータのレイヤーはある程度集約して標準化し、その上にアプリケーションのレイヤーを作るようなやり方です。アプリケーションレイヤー自体は業界すべてが共通ではなくても、データレイヤーでデータのやり取りさえできれば組み合わせて全体最適を作るのはあり得るのかなと思っています。
一つの例として、本物の職人芸はデジタルに置き換えできませんが、人手かデジタルかといった両極端ではなく、完全に自動にはできないまでも、デジタルの活用で簡単にするといった第3のチョイスがあるはずです。
例えば、建設業の現場で線と線をつなぐとき、以前は金属を溶かして人手でつないでいました。これだと材料費が一番安く済む一方で、高いクオリティで実践できる人が今は少なくなってしまいました。そのため現在は、2つにコネクタを付けて、カチャッとはめるやり方に変えたんですね。コネクタの分だけ材料費が上がりますが、高い技術は不要ですし、人材不足の中で採用コストや教育コストを考えたらプラスという判断です。
製造業も、人手不足で高い技術を持つ人材が高齢化しているという構図は建設業と同じです。人間や現場の能力が高いのであれば、それを生かしながらうまく新しいものを取り入れることで、生み出す成果が2倍になるような形を模索していきたいと思っています。
絶対的な正解はまだないと思うのですが、日本の製造業の現場の皆さんが大事にしてきたもの、積み上げてきたものを残しながらDXを推進する、そんな選択肢を作りたいですね。
強さを突き詰めた結果、こだわりを捨てられない課題も 日本の素晴らしさを未来に伝えるために
--林様から見て、日本の製造業が改善しなければいけない課題や弱さはどういう点にあるとお考えでしょうか。
林 まず、日本の製造業が誇る技術や工夫は、本当にすごいと思います。例えばネジの置き場所一つとってもセンチ単位で改善していて、タクトタイム(製造にかける時間)を0.1秒早めるために、右利きの人と左利きの人でレイアウトを変えるなどしているんです。工場に行くと、日本にいながら世界一のものが至るところにあふれていて、その背景にあるそうした細かなこだわり一つひとつを見ると、感動すら覚えます。
とはいえ、現場の方々が素晴らしい技術を持っているが故に、行き過ぎると、職人芸でやる必要がないところ、データを活用して標準化したほうが良いところまで人手でやろうとするところがあり、そこは時に課題につながると感じます。
もう一点、素晴らしいハードウェアを作ることができるがために、そこにすべてを詰め込もうとする傾向が日本は強すぎるのではないでしょうか。例えば日本の車とテスラの違いは何かというと、実際に乗車したときのユーザー体験です。もちろん、電動かガソリンかという点もサプライチェーンにとっては大きな違いですが、それよりもユーザーは、車に近づいたら勝手に冷房が付くとか、データ分析してどんどん運転しやすくなるとか、そうしたことに大きな魅力を感じています。今テスラに乗っている友人に聞くと、充電ステーションが少なくて不便なのでできればガソリンで動いてほしいけれど、その点以外の顧客体験が最高だとよく言っていますね。
--車体そのものの品質ではないところに価値があるんですね。
林 そうですね。テスラはハードには最低限のものしか搭載しません。そして自分たちの車を「走るスマホ」と呼んでいます。ハードではなくクラウドにたくさんのデータを置くことによって、どんどんアップデートできる。だから例えば、運転手がブレーキをどの道で何回踏んだかというデータを活用して、自動運転のアルゴリズムも早く良くなっていく。
カーナビなどもそうですよね。道路なんてコロコロ変わるので、地図データの入ったDVDを入れ替えるよりも、絶対にクラウドにデータを置いたほうが良い。リモコンも、Amazonに比べて日本のテレビのリモコンはネット配信サービスのボタンまですべて揃えていますが、どこかが撤退したらどうするんだろうと思ってしまいます。
賢いクラウドとシンプルなハードといったIoTの思想がまだまだ日本には弱いと感じていて、ソフトウェアの世界にいる立場としては、日本の製造業に対してその点がもったいないところだと感じています。
素晴らしい強みを突き詰めた結果、ダントツにすごい技術を持っているけれど、それ故の弊害が何個か出てきているという印象ですね。それでも、やはり世界に誇れるものをたくさん持っていることには違いないですし、その点は心からリスペクトしています。
--最後に、製造DX協会の代表理事として、日本のものづくりの未来に対する思いをお聞かせいただけますか。
林 僕の家系はずっとものづくりに携わってきていて、父親は製造業の大企業に勤め世界中を飛び回っていましたし、祖父は尼崎の町工場の経営者でした。父も祖父もすさまじいぐらいに働いていて、あの世代の人たちのおかげで今の日本があると思っています。
対して、僕らの時代はどうかというと、例えば2023年のデジタル赤字が5.5兆円、そんな数字を見ると当然悔しいですし、現役として情けなさも感じます。なんとか今の状況を打開していかなければいけない、日本の宝であるものづくりを次の世代に引き継いでいかなければいけない、そんな気持ちが強くあります。
製造DX協会では、日本ならではの強みを生かした日本版製造DXを作り上げたいと考えています。ゆくゆくはそれを世界に発信し、日本のすごさを世界に示したい、そして日本の製造業の素晴らしさを未来に伝えていきたい、そんな思いで、今後も日本ならではの製造DXの確率に取り組んでいきたいと思います。
【関連リンク】
一般社団法人 製造DX協会 https://manufacturingdx.org/
(提供:Koto Online)