中川戻し_15-2-4-小川-フィリピンはモノづくりの国となりえるか_VERSION1.00-600x330

2014年末の円安を背景に、日系家電メーカー、電子メーカーが中国から日本への生産移管を行う、国内生産比率を高めるといった記事をちらほらと見かける。
去年までの円高期、1ドル=120円前後となる前は、中国の人件費高騰、政治的摩擦を背景として、「脱中国」「チャイナ+1」といったバズワードが誌面をかざり、新たな生産拠点としてベトナム、インドネシア、そしてフィリピンが注目された。

実際、フィリピンへの直接投資額は増加している。いまでも当地では、明るい未来が語られることが多い。一方で悲観的な見方をしつつ、日本や中国、極東アジアや他のアセアン諸国の拠点とバランスを取りながら、フィリピンの生産拠点を活用していこうとする、中道的な方法を取る動きもある。
とかく、マスメディアではセンセーショナルな内容が飛び交うことが多い。「中国は終焉し、これからはアセアンだ、国内回帰だ」と騒がれるなかでの、フィリピンでのモノづくりについて考えてみたいと思う。


フィリピンのモノづくり

フィリピンのGDP内訳をみると、サービス業が50%以上を占めており、製造業は毎年20%程だ。他のASEAN諸国と比較しても製造業に対する割合は低い。

代表的なフィリピンの製造業は電子産業だ。70年代は欧米半導体メーカー、90年代にはラモス政権が日系企業の誘致活動を積極的に行い、日立や東芝、富士通、NECがフィリピン進出を図った。

これら外資系企業は経済特区に立地している。当地区では輸入品を調達するためのルールが非常に簡潔明瞭であり、多くの企業が他国から部材を輸入し、後の工程を中心に生産を行ってきた歴史がある。金型や中間材、ちょっとした副資材についても海外から取り寄せるケースが非常に多い。

さらに、熟練工を必要とする製造業の現場において、フィリピン人のように給与が高ければすぐに海外へ出て行ってしまう国民性を考えると、手間隙をかけてエンジニアを育成し、現地生産化をしようとするよりは、輸入品を取り扱ったほうが手っ取り早いと考えるのが自然だろう。

フィリピンの製造業は、中国や韓国、台湾のように、外資から技術移転を受け、地場メーカーが製造業の発展を遂げていく歴史を歩むことができなかった背景には、経済特区の輸入品の調達しやすさと、フィリピン人の国民性にあったのでは? と考えられる。