吉田氏が安全性確保の困難さを真に理解したのは2006年だった。ノロウィルスが大きく取りざたされた影響で、火を通していない食品は忌避されるようになり、一時閉店の危機まで追い込まれたのだ。同社は分水嶺に立たされることとなった。
「ノロウィルス問題までは安全面に関しては各産地の生産者任せでした。産地で浄化された牡蠣を直送で仕入れればいいのだと。しかし、この問題を機に自社で徹底した安全管理が必要なのだと目を開かされました」
生牡蠣は河豚ほどの強い毒性は無いものの、「あたる」食品だ。東京都福祉保健局の定めによると、取扱には保健所への届け出が必須であり、仕入れたものは翌日に持ち越さないよう努めるなどの細かい遵守事項がある。また厚生労働省の定める食品衛生法規格「生食用かきの規格基準」では細菌数や大腸菌最確数など、明確な規格基準も制定されている。
2006年9月、吉田氏は広島県の呉市に牡蠣浄化専門の子会社日本かきセンターを設立した。
施設での浄化作業は紫外線で殺菌した海水を48時間吸わせることで完了する従来の方式だったが、安全基準には、「生食用かきの規格基準」と比較し1グラム中の細菌数30%(15000)、100グラム中の大腸菌60%未満(130)、1グラム中の腸炎ビブリオ10%(10)、自主的な検査項目としてノロウィルスは検出なしという国が定めるよりも厳しい基準を設けることとなった。
背水の陣で望んだ安全管理だったが、社内に経験のあるものはゼロ。設備はすぐに整ったものの、ノウハウやデータは一から取っていく必要があった。牡蠣がアタルというのは、海水中の汚れが蓄積されることが原因で、仕入れの段階から汚れの蓄積が少ない海域を選定する必要があるからだ。
かきセンターは全ての牡蠣が必ず通過する性質上、物流センターの機能も有していた。発注や廃棄でのロスが抑えられる。結果として利益率の低下は軽微で済み、信頼の回復と共に収益性も回復をみせた。2006年から行っていなかった新店舗の出店も2010年に再開された。
人行かぬ道だからこそ手付かずだった牡蠣市場
2011年に震災による一時的な業績の落ち込みはあったものの、翌12年は対2010年比で売上高5億円増、経常利益2500万円増と業績も堅調に推移していた。このとき別の事業が存在感を示し始めていた。それが卸売事業だ。
需要があったのは個人経営など小型の飲食店。牡蠣は前述の通り扱いの難しい食材であり安全基準は厳しい。鮮度の問題で仕入れたその日に売り切らなければ廃棄する必要もある。魚市場等で仕入れると最小単位でもダース(12個)で使い切れないものも出てくるため、コストに合わない。同社には各店舗を通じて、小ロットでの販売を求める声が上がっていた。
当初善意で販売に応じていただけだったが、卸売の利益だけでかきセンターのコストを全てまかなえる程に成長、2013年には事業として正式に立ち上げ人材の確保を始めた。同社のノウハウが持つ、新市場開拓の可能性の一端が見出された瞬間だった。
「2006年以降、我々が追い続けてきたのはお客様への安全でした。それが信頼へと繋がり卸売事業という新事業につながりました。加工品に関しても、より牡蠣の魅力を引き出せるよう可能性を見出しています」
大槌町で生産する加工品は、牡蠣の新しい可能性をご提案できると考えています。
また、牡蠣の陸上養殖は海洋深層水を使用して養殖することで人体に影響を及ぼす二枚貝にリスクの高いウィルスや貝毒プランクトンに一切触れさせず育てる(ウィルスフリー)ことでアタルリスクを完全に遮断するのだが、これにより牡蠣を取り巻く市場環境が一変する可能性がある。日本の大手小売店には生牡蠣が置いていない、あたった際の責任を嫌ってのことだ。
ウイルスフリー化が成功すれば、未開拓の市場が待ち受けている。(記事提供: 株主手帳 )
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