(写真=PIXTA)
人は、通常、日常の仕事や生活の中で、数多くの情報に接している。そして、それをいろいろな形で分析したり、解釈したりしながら、次に取るべき行動を決めている。その際、適切な意思決定を行うためには、情報は多いに越したことはない、という考え方がある。本当に、そうだろうか。
情報の量と適切な意思決定の関連性については、心理学の中で、多くの研究や実験が行われてきた。その中で、特徴的なものを紹介しよう。
ドイツにあるマックス・プランク研究所のゲルト・ギーゲレンツァー博士は、アメリカのシカゴ大学と、ドイツのミュンヘン大学の学生達に向けて、次の質問をして、その回答内容を分析した。
質問当時、正答は、サン・ディエゴであった。サン・ディエゴは、カリフォルニア州南部の有名な港湾都市である。一方、サン・アントニオは、テキサス州中部にある都市だが、サン・ディエゴほど有名ではない。歴史的には、テキサス独立戦争時(1836年)、アラモ砦のあった街として知られている。
この質問に対する両大学の学生の回答を見ると、アメリカの街の人口に関する質問であるにもかかわらず、シカゴ大学の学生よりも、ミュンヘン大学の学生の方が、正答率が高かった。シカゴ大学の学生は、サン・アントニオの街をある程度知っていたために、かえって迷ってしまったものと見られる。一方、ミュンヘン大学の学生は、サン・アントニオという街の名前を耳にしたことがなく、単に聞いたことのある街として、サン・ディエゴと回答していた。
※なお、現在では、サン・アントニオの方が、サン・ディエゴよりも人口が多い。(「世界の統計2015 2-6主要都市人口」(総務省統計局)より)
この学生達の回答から、情報が多ければ正しい判断ができる、とは必ずしも言えないことがわかる。情報の過多は、迷いや混乱を引き起こし、判断をミスリードすることがある。しかし、人は、情報が多い方が、正しい判断ができると考えがちだ。これは、心理学で「情報バイアス」と呼ばれている。
情報バイアスについては、次のような質問を通じた、医師の病理診断についての、アメリカの研究事例がある。
この質問に対して、多くの医師は、高額な特別の検査を受けさせたい、と回答したという。
病気がAであるかどうかの判定のために検査を受けさせる、もしくは、病気がAであるという8割の高い確率を見越してAの治療を始める、ということであれば、理解ができる。
しかし、仮に病気がAではないという2割の確率の場合に、高額の費用を支払ってまでして、BかCかがわかったところで、今後の検査や治療の選択には、大した意味は持たないだろう。しかし、それにもかかわらず、多くの医師が、少しでも手持ちの情報を増やしたいと考えて、BかCかを判定するための高額な検査を希望するのである。
このように、本当に役に立つかどうかはともかく、情報には安心材料の意味合いがある。つまり、人は、わからないことは不安であり、知ることに安心を感じるのである。そういえば、仕事で書類を捨てられずに、書棚や引出しが様々な資料であふれかえっている人がたまにいる。こういう人は、ある種の情報バイアスに捉われているのかもしれない。
しかし、情報は多く抱えていればいい、というものではない。情報がないことよりも、情報があり過ぎることで、かえって判断を誤ってしまうケースというのは、結構、多いのではないだろうか。
各種メディアで、ビッグ・データが取りざたされる昨今、確かに、情報収集を強化して、従来は考えられなかったような大量のデータをストックすることは大切であろう。しかし、情報の収集に明け暮れて、大量のデータを保有することに満足するだけでは、有効な行動の選択や、意味のある判断にはつながらない。
情報を収集することと併せて、その情報をいかに取捨選択して、分析を進め、適切な行動・判断につなげるかが、今後、ますます重要になるものと思われるが、いかがだろうか。
篠原 拓也
ニッセイ基礎研究所 保険研究部
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