切迫した米国留学の理由
中国では1978年から改革開放政策が始まり、1984年には4つの経済特区と14の対外開放都市を設置して、海外からの投資を誘引し始めた。「総設計師」鄧小平の指揮のもと経済成長を開始したが、まだ中国の未来は不透明だった。
そんな中の1986年9月、共産党中央委員・上海市長の江沢民は、長男夫婦にアメリカ行きを命じた。アメリカで子供を産み、アメリカ国籍を取得するまで帰ってくるな、ときつく言い添えた。最高幹部だからこそ、政権崩壊リスクへの保険が必要だった。
後にこの市長が共産党総書記にまで昇進したのは偶然に過ぎない。「友好国」アメリカは、共産党幹部にとって最高の駆け込み寺と映った。こうして幹部の子弟たちがまずアメリカ留学の先鞭をつけた。
90年代に入り、中国の経済成長は加速した。外国人ビジネスマンの来訪が増え、世界の情報が急速に流入した。さらにインターネットが普及し始めると、外国情報の流入は加速する。世界に目を見開いた新興企業家たちは、中国の学校教育の後進性を痛感せざるを得なかった。次代に事業を継承するため、子弟には英語をはじめ、欧米スタイルのビジネスツールを身につける必要があると確信し、続々と子弟を送り込み始める。
科学技術、経済金融、軍事、芸術・スポーツなど何もかも備えた強大な「友好国」へ。中国人は自らを大きく立派に見せることにこだわる。形式にこだわる儒教的習性だ。友人も強大なほうがよいのは言うまでもない。
留学目的はあいまいなまま まとわりつく存在に
2010年を過ぎると、もはや明確な目的はなく、猫も杓子も海外留学を目指すようになった。単なる流行である。それほど裕福でもない中間管理職レベルの人たちも、借金をしてまでこれに参戦した。留学サイトは花盛りとなった。現在533もの紹介サイトがあるという。
某サイトをのぞいてみると、美国、英国、豪州、カナダ、ニュージーランド、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ドイツ、フランスの後に日本、韓国という順に記載されている。日本は英語圏、旧ソ連圏、欧州の下という扱いで、その他大勢の一つでしかない。
目的もなく、学力も並み、親のプライドだけが異様に高く、子供に現地アルバイトは禁止している。親しい友人もできない……。こうした子供たちは帰国しても、英語はモノになっておらず、斜に構えてプライドのみ高く、役に立たない遊民のようになっているという。こんなことなら行かないほうがよいのではないかとすら思える。アメリカもはた迷惑なだけだろう。
こうして考えてみると、結局中国の現代史とは国家から個人に至るまで、単にアメリカが好きでまとわりついていただけ、のようにも見える。(高野悠介、現地在住の貿易コンサルタント)
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