中国の地方紙がキューバ・カストロ前議長の死去を大きく報じた。1面トップに加え3面にわたる特集記事を組んだ。これまでに見たこともない特別扱いである。ただしネット上での熱気はほとんど感じられない。長年にわたる“同志”の死は中国に何をもたらしたのだろうか。まず新聞の報道ぶりから見てみよう。

中南米で初めて中国と国交

第一面の見出しは、「雄鷹死す。理想不朽」、サブは“精神永存”米国の50年にもわたる封鎖をものともせず、キューバ社会主義の道路を走り続けた。“中国情誼”米国勢力圏の中南米で最も早く中国と国交結ぶ。“不死老兵”生涯で638回における暗殺危機を切り抜けた伝説の持ち主、精神的防弾衣を有していた。

続いて老兵不死と題する特集が3ページ続く。

中国との国交--1960年9月2日、首都ハバナの革命広場で、キューバ人民全国大会が挙行された。カストロは突然群衆に向け、キューバ人民は中華人民共和国との外交関係を樹立すべきか?と発言した。現場の100万人の群衆は、積極的にこれに答えた。そして26日後、中国は初めて中南米国家と国交を結んだのである。これを現在に至るまで中国は高く評価している。

教師・毛沢東と暗殺危機

毛沢東は教師--1964年、カストロは毛沢東に1つの贈り物をしている。それはスペイン語で毛沢東の名を刻印した拳銃だった。キューバ革命で使用されたもので、現在は中国軍事博物館礼品室に陳列されている。

キューバ革命の山岳ゲリラ戦を戦う中、カストロとその戦友たちは、毛沢東を仰ぎ見ていた。彼が最も愛読したのは、毛沢東の「持久戦論」である。その中から戦略、戦術技術的経験を吸い上げた。そして毛沢東の著作を小冊子にして各部隊長に配布していた。彼は毛沢東の偉大な軍事思想を、キューバに作用させたのである。

638回の暗殺危機--敵対者にとってカストロは暴君、独裁者である。しかしキューバ人民の心中では領袖、救星としてある。超大国・米国と対抗した50年の社会主義政権の歴史には、638回の暗殺危機があった。それをすべて乗り越えた雄鷹であった。

最期にカストロの死は、キューバと中南米の左翼陣営にとっては大きな損失だが、その影響は精神的側面にとどまり、実質的な重大影響はないと結んでいる。

ネット世代と分断された国民

中国の40歳以上の世代には友好国・キューバとそのカリスマ指導者・カストロの名は、度重なる報道を通じて広く浸透している。しかしネットの反応は並み以下のレベルだった。ネットニュースの騰訊新聞を見ると、最初のニュースでも275コメントしかない。芸能ニュースの10分の1以下である。後追いニュースはいずれも2桁だ。内容はまっとうな追悼コメントが一般的で、カストロと毛沢東を重ね合わせるものも多い。しかし、コメントを追っていると、「カストロって誰?俺知らない。」といったコメントも散見され、カストロを知らずに大人になった人もいるのがわかる。ネットコミュニケーションの中心、20代、30代の人と40代以上は明らかに大きなギャップがあり、それぞれ世界に対する認識でも大きく異なっている。

ただでさえ自分勝手な国民が2種類に分断されている。確かに統治するのは大変だろう。しかしそれが、さらに体制の引き締めへと走ることにならないよう、祈りたい。(高野悠介、中国貿易コンサルタント)

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