1年前、銀行が抱える問題を凝縮した本として話題になった『捨てられる銀行』 (講談社現代新書)。多くの銀行員が先を争うようにこの本を購入した。経営幹部の中には頭取に感想文を提出したとの噂まで囁かれたものだ。当コラムでも 「銀行員が『捨てられる銀行』を爆買いする理由」 で取り上げたが、この本が我々銀行員に与えたインパクトは決して小さくはなかった。

あれから1年、続編『捨てられる銀行2 非産運用』 (講談社現代新書)が刊行された。ところが、私の周りでは「あの時」ほどの盛り上がりは見られない。それどころか、金融商品販売の最前線に立つ銀行員の反応は冷ややかだ。この違いは一体何を意味するのか?

問題の本質を見落としている『非産運用』

前作『捨てられる銀行』は融資の視点から銀行の問題を追求したものだった。そして、今回の『捨てられる銀行2 非産運用』では資産運用の視点からの問題が指摘されている。金融商品の販売に従事する銀行員としては、読まないわけにはいかない。

その内容は前作よりも説得力がある。銀行の窓口で行われている不毛なノルマ営業、地方銀行を襲う人材の枯渇、そして保険会社との馴れ合いの構造……どれもかねてから当コラムで私が指摘してきたことばかりであり、著者の言い分は納得できるものが多い。

しかし、残念ながら部分的には「本質を見抜けていない」と思われる記述もある。

たとえば、著者は貯蓄型の保険商品について批判的な捉え方をしている。貯蓄型保険といえば高い手数料がネックで、顧客は利益を得ることが難しいとの見方があることは確かだ。著者もこの点を問題視しており、とりわけ「豪ドル建保険」を批判の的としている。

日本の「金融商品を歪めた」のは誰だ?

だが、貯蓄型保険が有するもう一つの側面「税制の問題」について触れられていない点が何とも残念と言わざるを得ない。

私は「豪ドル建保険」を始めとする貯蓄型保険が、必ずしも顧客利益に適わないとは思っていない。実際、私はこれまで数多くの外貨建保険を販売してきたが、その販売経験で言わせて頂くと、決して金融知識の乏しい「情弱」な高齢者がこうした商品に飛びつくわけではない。実はかなりの投資経験がある「強者」もこうした商品を求める傾向にある。なぜなら、貯蓄型保険は「税制」が有利に働くからだ。

貯蓄型保険は、相続税の非課税枠はもちろんのこと、一時所得による課税を上手く利用すれば、株や投資信託よりもずっと「税制面でのメリット」が大きいのだ。それを目当てにこうした貯蓄型保険を購入する顧客は実に多い。

そもそも、相続増税があれほど話題になったにもかかわらず、保険の非課税枠の見直しに手をつけなかった点に、私は強烈な違和感を覚える。マスコミもそれを問題視しなかったのはなぜか? もし、そこに手が加えられていたならば、手数料の高い貯蓄型保険は絶滅したはずだ。

相続増税の背景で保険商品のメリットの温存……「問題の本質」はそこにある。そこにどのような意図が潜んでいるかは想像するまでもないだろう。法律をつくっている者にも「日本の金融商品を歪めた」責任はあるはずだ。

銀行や保険会社を批判の対象にすることはたやすい。しかし、この本では「問題の本質」が法律にもあることに言及していない点が何とも残念に思えるのだ。

金融庁の掛け声も現場には届かず

金融庁はついに資産運用改革に乗り出した。キーワードは「フィデューシャリー・デューティー」である。つまり、日本語で「受託者責任」とされるが、金融庁はあえて「真に顧客本位の業務運営」とその定義を見直し、金融行政の最重要施策として取り組む姿勢を示している。

しかし、金融庁の真意は、残念ながら金融商品販売の最前線には届いていない。現場は何も変わっていないのだ。

金融商品販売の現場では、相変わらずとてつもない目標が割り当てられる。支店の窓口や外回りの担当者であれば、当然他の業務だってたくさん抱えている。日々の業務に追われる最前線では、金融庁が掲げる「真に顧客本位の業務運営」を実現する体制づくりなど考える余裕すらない。

懸念されるのは、このまま金融庁と銀行の金融商品販売の最前線で「認識のギャップ」が広がり続けることである。

本来であれば、銀行経営者は金融庁と連携して「真に顧客本位の業務運営」の構築を最重要課題として取り組まなければならないはずだ。金融商品販売の最前線に「フィデューシャリー・デューティー」の思想を浸透させることを何よりも優先しなければならないはずだ。

にもかかわらず、銀行経営者は適当にお茶を濁しつつ本音では「収益至上主義」から抜け出せていないのが実態である。私の周りの銀行員の多くが、『捨てられる銀行2 非産運用』に冷淡な理由がそこにあるように思えてならない。どうせ何も変わることはないのだ……そんな諦めにも似た空気が最前線には広がっているのだ。

銀行の「理想を歪める者」がそこにいる

私には『失敗の本質 日本軍の組織論的研究 』(中公文庫)で旧日本軍が犯した過ちが再び繰り返されようとしているように思えてならない。

昭和17年、ミッドウェー海戦で日本海軍は大敗を喫し、太平洋戦争のターニングポイントとなった。敗因については諸説あるが、作戦の目的の曖昧さと指示の不徹底が大きいとされている。いま、日本の銀行ではこれと全く同じことが起きているように感じられるのだ。

銀行経営者は、金融庁が掲げる「フィデューシャリー・デューティー」を正しく理解し、それを実践しようと本気で考えているのだろうか。最前線で戦いながら、私は指揮官に対し不安を感じずにはいられない。彼らは金融庁の立案した作戦の目的と構想を十分に理解したうえで、我々に突撃命令を下しているのだろうか。そもそも、金融庁はそれを銀行の最前線まで浸透させるための努力をしているのだろうか。

金融庁の「資産運用改革」は、ミッドウェー海戦と同じ重大なターニングポイントを迎えているのかも知れない。一つの判断ミス、連携の乱れが取り返しのつかない事態を招く危険性を内包しているのだ。(或る銀行員)