戦後、自動車業界は、すぐに大発展したわけではない。焼け野原になった日本では、あらゆる物資が不足していた。当然、鉄なども欠乏し、自動車をつくったり、買ったりする余裕はなかった。

日本の自動車メーカーは朝鮮戦争特需などでようやく復興の兆しを見せ、戦後10年目の昭和30(1955)年には1万3354台を生産した。これは当時の世界11位である。1位はアメリカで80万台近くもつくっている。日米の自動車メーカーの間には、このとき60倍近くの差があったのだ。

(本記事は、大村 大次郎氏著『 お金の流れでわかる日米関係 元国税調査官が「抜き差しならない関係」にガサ入れ 』KADOKAWA (2017/6/1)の中から一部を抜粋・編集しています)

日本自動車業界復活の兆し―アメリカへの輸出2台

大村大次郎,税,日米関係
(画像=Webサイトより)

しかし、その後、日本の自動車メーカーは、急激な発展をする。昭和45(1970)年には317万9000台となっており、15年間で実に240倍に膨れ上がっているのだ。高度成長期により、日本人の所得が増え、自動車を購入できるようになったのである。

昭和30(1955)年には、わずか2台ではあるが、アメリカへの輸出が始まり、昭和42(1967)年には、西ドイツを抜き、世界2位の自動車生産国になっている(もちろん、1位はアメリカ)。

なぜオイル・ショックが日本車の追い風になったか

このように急成長した日本の自動車業界だが、アメリカは長く世界最大の自動車大国に君臨しており、すぐにアメリカの自動車産業を脅かすまでになったわけではなかった。

日本の生産台数が増えたといっても、まだアメリカに追いつくほどではなかったし、日本の輸出台数も、アメリカのメーカーを慌てさせるほどのものではなかった。

日本車が、本格的にアメリカ市場を席巻するのは、1970年代以降である。1970年代に入ると、アメリカ経済に翳りが見えはじめる。また、1972年にはオイル・ショックが起きる。それまでアメリカではガソリンが"水"のように安かったが、このオイル・ショックにより、ガソリンの価格が大幅に値上がりした。

アメリカの自動車市場は、これまで大型車、高級車志向だったが、小型の低価格車を求めるようになる。燃費のいい小型車が求められるようになったのだ。

ところが、アメリカの自動車メーカーは小型車の分野に非常に弱かった。それまで、アメリカの自動車市場では、大型車が主流であり、またメーカーとしては大型車のほうが利益率が良いこともあり、小型車の開発が遅れていたのである。

日本の自動車メーカーの「急激な」発展

一方、日本の自動車メーカーにとって小型車は"超得意分野"だった。

戦後の日本は国民に経済力があまりなく、低価格で燃費のいい小型車が売れ筋だったため、小型車の分野では、アメリカの自動車メーカーよりも、はるかに開発が進んでいたのだ。

オイル・ショック以降、日本車のアメリカ輸出が激増する。

前ページ下表のように、昭和45(1970)年の段階では42万台だったものが、10年後の昭和55(1980)年には、236万台になっている。10年間で、5倍強である。

もちろん、これはアメリカの自動車メーカーへの大きな打撃となった。アメリカの自動車メーカーは軒並み巨額の赤字を記録し、1980年代半ばには、自動車業界全体で40%の失業者を出すことになってしまった。

以降、日米の"自動車摩擦"が本格化していくことになる。

アメリカによる「ひがみ」と「言いがかり」

日本車の大輸出攻勢に対し、アメリカの自動車メーカーは、「技術力による敗北」を認めたくなかった。それはアメリカの議員たちも、同様だった。

そのため80年代のアメリカ議会は、「日本の自動車市場は閉鎖的である」として、猛烈に批判するようになっていった。

「日本市場が閉鎖的なために、アメリカ車は日本で売れないのだ」
「にもかかわらず、日本はアメリカで車を売り続けるので、日米の自動車貿易で深刻な不均衡が起きている」

アメリカはそう主張したのである。アメリカの高官や財界人たちは、こぞって日本に対して「なぜアメリカ車を買わないのだ」と責めたてた。

だが、アメリカ車は車体が大きく燃費が悪い上に、左ハンドルである。そんな"不便"な車は、アメ車マニア以外は誰も欲しがらない。

この当時、筆者はテレビのニュース番組で次のような場面を見たことがある。

日本の記者が、アメリカの自動車メーカーに対して、

「なぜ日本向けの車を右ハンドルにしないのですか」

と聞いた。すると、アメリカの自動車メーカーの担当者はこう答えた。

「日本は道が狭いから左ハンドルのほうが有利なはず」

この問答こそが、当時のアメリカの自動車メーカーの姿勢を象徴するものだった。アメリカの自動車メーカーは「自分たちは、良いモノをつくっているはずで、買わないほうが悪い」という考えにもとれるものだったのだ。

「日本は道が狭いから左ハンドルのほうが有利」というのは、アメリカ側の考え方であって、日本人の考え方にそれはないのだ。日本の車のほとんどは右ハンドルであり、日本人は右ハンドルに慣れている。有料道路や駐車場の料金支払い場所も、右ハンドルを想定しているところが多い。そういう現実を無視し、自分たちの考えが正しいと信じ、買わないほうに責任がある、という無理な注文をする姿勢だ。

そして、実はこの姿勢は今もさほど変わっていないように思える。

教えます「アメリカ車が世界で売れない理由」

現代のアメリカの自動車メーカーも、1980年代の姿勢とほとんど変わっていない。

アメリカの自動車メーカーというのは、ほぼアメリカ市場だけを想定して、車種を開発しており、アメリカでの売れ筋の車が、主要商品となっている。

そして、実はアメリカの自動車市場というのは、今の世界の自動車市場とは、ちょっと傾向が違っている。

世界の多くの国の自動車市場では、小型車が売れ筋になっている。軽自動車とまではいかないが、2000㏄前後の車が売れ行きの中心になっている。ヨーロッパでも中国やアジアの新興国でも、似たような傾向がある。

一方、アメリカでも小型車の売れ行きは伸びているが、一番の売れ筋は昔ながらの大型車である。GMのシルバラード、フォードのF150のようなピックアップトラックと呼ばれる「トラックと乗用車の中間のような車」が、売れ行きの上位を占めるのだ。排気量は5000㏄近くになるものも多い。

こうしたマーケットの違いに対応できるかどうかが、自動車産業での生き残りにかかわってくる。

日本の自動車メーカーは、アメリカに非常に多くの車を売っているが、それは小型車ばかりではない。日本の自動車メーカーは小型車を得意としているが、アメリカで売上を伸ばすためには、大型車も必要であるということを認識している。そのためトヨタはカムリを、ホンダはアコードなどをアメリカ向けのモデルとして開発しているのだ。

つまり、アメリカでの売れ筋をきっちり狙ってきているのだ。その結果として、日本の自動車メーカーは、アメリカでの大きな売上を持つことができている。

一方で、アメリカの自動車メーカーはどうか。そういった工夫はほとんど見られないのではないだろうか。

アメリカは、長い間、世界一の自動車マーケットだったので、アメリカの自動車メーカーは、アメリカ市場だけを見ていれば良かった。しかし、現在の世界一の自動車マーケットは、中国である。中国での売れ筋は、大型車ではなく、小型車なのだ。

また、アメリカの自動車メーカーにとって主戦場であるアメリカの自動車市場にも、日本やドイツなど外国車が数多く入ってきている。だから、アメリカの自動車メーカーも、世界への輸出を増やさなければ、太刀打ちできなくなる。にもかかわらず、アメリカの自動車メーカーは、世界販売向けのモデルを開発するようなことはほとんどない。アメリカの売れ筋の車を、そのまま世界市場にも出しているのだ。もちろん、それでは売れるはずがない。

大村大次郎(おおむら・おおじろう)
元国税調査官。国税局に10年間、主に法人税担当調査官として勤務。退職後、ビジネス関連を中心としたフリーライターとなる。単行本執筆、雑誌寄稿、ラジオ出演、『マルサ!!』(フジテレビ)や『ナサケの女』(テレビ朝日)の監修等で活躍している。ベストセラーとなった『あらゆる領収書は経費で落とせる』をはじめ、税金・会計関連の著書多数。一方、学生のころよりお金や経済の歴史を研究し、別のペンネームでこれまでに30冊を超える著作を発表している。

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