年の瀬が近づくと、年内に仕事の区切りをつけようと普段より職場が慌ただしくなり、一息つくはずの我が家でも、大掃除や年賀状の準備など、何かと時間に追われがちになってしまう。

1分1秒が惜しく感じる時期だが、普段の生活を規則正しくコントロールしてくれる一方、切迫感も生み出す「時間」という概念は、どのように誕生したのか。時間との闘いを迫られる年末だが、歴史を紐解きながら、その起源に迫ってみる。

太陽が照らす影で時間の概念が誕生

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(画像=PIXTA ※画像はイメージです)

1日24時間、1年365日の暦が世界中で共通する基準として定着する現代からは、この基準が存在しなかった時代の生活を想像するのは困難かもしれない。時間の概念がなければ、待ち合わせの時間を設定することも、自分が何歳かということも把握できない状況になる。

決められた出勤時刻、会議の時間、子供の送迎など分単位での管理を求められる現代人にとっては、時間の概念が存在しなかった時代は、時間に縛られることなくゆったりとした時が流れていたに違いないと、羨望の眼差しを向けてしまうだろう。しかし、古代人にとっては、時間の概念を生み出し、正確に測定することこそが、食糧の安定生産に繋がり、生命の危機から脱却して文明を発展させる鍵ともなった。

世界4大文明に掲げられるメソポタミア・エジプト・インダス・黄河文明は、それぞれ豊かな水源が肥沃な大地を生み、農業が発展したことで文明の隆盛を迎えた。その農業の発展に欠かせなかったのが、季節の概念を確立させ、その周期性を把握することだった。時計も暦も存在しなかった時代、古の先人たちは、太陽や月、星といった天文学を駆使して、季節を把握し、時間の概念を作り上げていったのだ。

地球が太陽の周りを回る周期を元に、1年365日という暦の概念を生み出したエジプトでは、この暦を活用してナイル川の氾濫時期を把握することで農作物の栽培をコントロールしていたという。紀元前約3500年頃、エジプト人は方位碑となるオベリスクを建て、碑が太陽に照らされてできる影の位置を基にして午前と午後に分割。これにより、歴史上初めて、1日が分割され、時間の概念が誕生したとされる。

さらに、紀元前1500年頃にエジプトで使用されていたとみられる世界最古の日時計が発掘された。このT字型の日時計は、日の出から日没まで、影ができる範囲を12個に分割した。太陽が沈んだ後は、星を観測することで、夜の時間も日照中と同様に12の単位に分割。エジプトでは12進法が採用されていたことから、この分割数に落ち着いたとみられる。

1日を24の単位に分割したエジプト人だが、太陽が照らす影と星の動きに頼ったこの方法では、季節によって日照時間と日没後の時間に差があるのが問題点だった。それにより、24個で構成する1つ1つの単位は、現在のように均等な1時間の長さには揃わなかった。分割された24を構成する1つ1つが、均等に同じ1時間という長さを持つようになるのには、14世紀の機械時計の誕生を待たなければならなかった。

大型の機械式時計から小型・軽量化で時間の意識が普及

14世紀のヨーロッパでは、祈りの時間を鐘の音で住民に知らせるため、教会のほか大聖堂や修道院の塔に、時計の文字盤が登場するようになった。現存する最古の機械式時計はイタリアのパドヴァの大聖堂に設置された天文時計とされる。響き渡る鐘の音が、人々に時刻を知らせ、生活の中で時間を意識するようになっていった。

教会や大聖堂に設置された時計は、歯車を一定の速度で回転させることで、時間を刻んでいた。これらの機械時計は、そのサイズが数百キロにも及んだことから、一般家庭に普及することはなかった。その後、動力をゼンマイとする時計が発明され、持ち運びのできるサイズの時計の製作が進んだ。貴族の間で持ち運びできる時計が持てはやされ、ヨーロッパに時計産業の発達をもたらした。

さらに、イタリアのガリレオ・ガリレイは、振り子が時計の速度を調整することができるアイデアを考案し、オランダのクリスチャン・ホイヘンスが振り子時計の製作に成功。教会などに設置された大きな機械時計から小型、軽量化が進んだ時計は、一般家庭にも普及していき、時刻を意識しながら行動する生活への変化を遂げていったのだ。

かつては、空を見上げることが時間を知る唯一の手段だったが、技術や学問の進歩で、一般家庭にも時計が普及し、私たちの生活は時間を意識するスタイルへと変貌した。時間に追われがちな現代人だが、時間を意識する概念が確立したことで、生産性が向上し、文明の繁栄が築かれた過去から、時間と向き合い方を学ぶことを求められているのかもしれない。(ZUU online 編集部)