「早期退職って得なの? それとも、損なの?」

昨年、三越伊勢丹ホールディングス(HD) <3099> の早期退職制度の見直しが報じられました。このニュースは私たちFP仲間でも話題となり、その際に議論されたのが早期退職は「得か?」「損か?」でした。

ちなみに、三越伊勢丹HDは早期退職者の「退職金を加算する対象」を部長職で50歳から48歳に引き下げ、最大5000万円の増額を設定、さらに課長職の退職金についても最大2倍にする方針だそうです。

「5000万円の増額」は魅力的なようにも感じられます。もし、私が三越伊勢丹HDの部長だったなら……正直ちょっと心が揺らいでしまうかも知れません。読者のみなさんはいかがでしょうか? ライフスタイルは人それぞれであり、一概にどれが正解とは言えないと思います。しかし、これからの時代、「早期退職制度」を推進する企業が増える可能性も否定できません。三越伊勢丹HDが直面する問題も決して他人事ではないのです。

今回はFPとして「お金の問題とどのように向き合うか?」アドバイスする立場から、早期退職について考えてみたいと思います。

早期退職制度の背景にある「2020年問題」とは?

「2020年問題」をご存知でしょうか? 「人事の2020年問題」「企業の2020年問題」と呼ばれることもありますが、昨今の早期退職制度を推進する動きは、この問題と深い関わりがあると考えられます。

企業の人事採用は景気と連動します。景気が良いと企業の採用人数が増加しますが、悪いと減少します。

日本は1980年代後半にかけて「空前の好景気」に沸きました。いわゆるバブル期と呼ばれ、求職者にとっては圧倒的な売り手市場でした。この時期に新卒で大量に採用された社員が1960年代生まれを中心とする「バブル世代」です。

2020年代には「バブル世代」の大部分が50代を迎え、給与水準もピークに達します。企業にとっては人件費負担増という問題が重くのしかかります。それでも高い給与水準に見合った「責任あるポスト」を任せることができれば良いのですが、このままではその用意すべきポストも不足する恐れがあります。

上記の通り、バブル期に大量採用した社員の人件費負担増やポスト不足といった企業が直面する経営課題が「2020年問題」なのです。

もちろん、企業が「2020年問題」とどう向き合うかは様々です。新規事業などで新たな可能性を見出し、その新たな収益を生む「責任あるポスト」を用意することができれば、企業にとっては人件費負担増に見合った成長が期待できるかも知れません。しかし、現実は過酷です。むしろ、退職金を上乗せしてでも「早期退職制度」を推進する道を選択する企業が増える可能性もあるのです。

【合わせて読みたい「老後・年金」シリーズ】
働くほど損をする。現在の年金制度とは
人生100年時代 老後に何が必要か
「つみたてNISA」と「iDeCo」 どちらを選ぶべきか
米国では高齢者の3割が「老後の蓄え」に後悔

「退職金5000万円上乗せ」は得なの?

一方、社員も難しい選択を迫られます。その判断基準の一つとして重要なのが「退職金がどれだけ上乗せされるか?」でしょう。

「退職金5000万円上乗せ」は、とても魅力的な金額に感じられます。しかし、それまで年間500万円で暮らしていた人が、その生活水準を維持しようとすると10年でなくなってしまいます。定年退職まで働いて得られる収入と比較すると5000万円は必ずしも魅力的な金額とは言えないのではないでしょうか。早期退職を選択するにしても、再就職や起業を視野に入れる必要があるように思います。

では、どれだけの退職金があれば、一生暮らしていけるのでしょうか? 50歳で早期退職し90歳まで生きるケースを想定してみましょう。

夫婦2人に必要な生活費を年間400万円、65歳から受け取れる年金額を年間222万円(夫150万円、妻72万円)とすると……9000万円の退職金(※早期退職の増額分を含む)があれば、生活費を取り崩しながら残りの資金を「年4%で運用」することで、なんとか90歳まで暮らすことは可能となります。ただし、これはあくまで計算上の話で旅行や介護、住宅のリフォーム等の出費は含まれていません。それにどうやって「年4%で運用」するのかも検討する必要があります。方法は色々あるのですが、いずれにしても90歳までギリギリの生活になりそうです。

現在バイアスの「ワナ」にご注意を!

私がFPとして読者のみなさんに伝えたいのは「目先の金額」に惑わされないことです。たとえば、行動経済学の世界では「現在バイアス」という言葉があります。現在バイアスとは目先の利益を優先し、将来の利益を小さく評価してしまう傾向のことです。多くの人がこの現在バイアスの「ワナ」に陥りがちです。

たとえば、読者のみなさんは「今日1万円」もらうのと「1年後に1万1000円」もらうのとどちらを選択するでしょうか? 「今日1万円」を選択した人は現在バイアスの強い人です。現在バイアスが強い人は将来得られる利益や目的達成(可能性)よりも、目先の利益を優先しがちな人です。スタンフォード大学の心理学者、ウォルター・ミシェル氏は現在バイアスについて「目先の欲求を辛抱したほうが、将来の成功につながる」と自制心、セルフコントロールの重要性を指摘しています。

早期退職については様々な意見があると思いますが、私は単純に生涯給与(お金)という意味で「得か?」「損か?」と問われれば、損だと考えます。将来の可能性よりも目先の利益を優先してしまうのはもったいないように感じるのです。

もちろん、早期退職を選択し、本当に自分のやりたかった仕事を始めることができれば、その人にとっては最良の判断だったと言えるでしょう。すべての物事が「お金」を基準に判断できるものではありません。これは本当に人それぞれなので、一概には言えませんよね。

ただし、繰り返しになりますが「本当に自分のやりたい事」を明確にできずに、目先の利益を優先すると現在バイアスの「ワナ」に陥りかねない点には注意したいものです。どのような選択をするにしても、一人でも多くの人が笑顔で「最良の判断だった」と言えることを願わずにはいられません。

長尾 義弘 (ながお・よしひろ)
NEO企画代表。ファイナンシャル・プランナー、AFP。徳島県生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。1997年にNEO企画を設立。出版プロデューサーとして数々のベストセラーを生み出す。新聞・雑誌・Webなどで「お金」をテーマに幅広く執筆。著書に『コワ~い保険の話』(宝島社)、『お金に困らなくなる黄金の法則』『保険はこの5つから選びなさい』(河出書房新社)、『保険ぎらいは本当は正しい』(SBクリエイティブ)。監修には別冊宝島の年度版シリーズ『よい保険・悪い保険』など多数。 http://neo.my.coocan.jp/nagao/

【合わせて読みたい「老後・年金」シリーズ】
働くほど損をする。現在の年金制度とは
人生100年時代 老後に何が必要か
「つみたてNISA」と「iDeCo」 どちらを選ぶべきか
米国では高齢者の3割が「老後の蓄え」に後悔