(本記事は、西田一見氏の著書『ビジネスNo.1理論』現代書林、2014年7月15日刊の中から一部を抜粋・編集しています)
超一流のビジネスパーソンは、2つの成功を手に入れている
年商何百億の企業を一代にして築き上げ、業績は右肩上がりの一途。新規事業は次から次へとヒットし、新しい市場を創造。
世界各国に事業拠点を置き、どこへ行ってもVIP待遇で迎えられる。周囲の誰もがうらやむような富と地位と名誉を手にしたにもかかわらず、「私は幸せではない」という人がいます。
いったい、なぜでしょうか?それは、成功には2つあるからです。
その2つを、私たちは「社会的成功」と「人間的成功」と呼んでいます。
真の成功とは何か?
「社会的成功」でもなく、「人間的成功」だけでもない。2つをともに手にしてこそ、初めて人は「成功した」と感じられるのです。
「社会的成功」とは、「所属している社会で正しいとされている行いを追求した結果、手に入るもの」です。
これは時代や場所によって異なりますが、現代の経済社会であれば、「長期にわたってお金を稼ぐ」ということが代表例として挙げられるでしょう。
なぜなら、周囲からの高評価がお金を稼ぐという結果となって表れているからです。あるいは、お金はそれほどではなくても、科学技術や学問や芸術の分野などで認められて、高い地位や名誉を授かるという場合もあります。
その一方、「人間的成功」とは、「1人の人間としての幸せを追求した結果、手に入るもの」です。
「何かに縛られることなく自由に生きたい」といった思い、「健やかな心と身体で毎日を過ごしたい」といった感情、「家族やパートナーとの関係を大切にしたい」といった気持ちなどが、代表例として挙げられるでしょう。
富、地位、名誉。これらは「社会的成功」に属するものです。年商何百億の企業を一代で築いたのに、「私は幸せではない」という人物。その人は、「社会的成功」を手にしてはいるけれども、「人間的成功」を手にしていない。だから、不幸なのです。
社会的成功だけを手にしても、人生を心から楽しむことはできない
「業界No.1の地位に上り詰める」といった大きな目標を立て、そのイメージを達成し、社会的成功を手に入れることはとても大切なことです。なぜなら、社会的成功をしてこそできることがあるからです。
例えば、「次代を担う若き起業家を育てる財団をつくりたい」と思ったとします。そのとき、あなたに大きな富があれば、すぐにでも財団を設立することができます。渋沢栄一氏、松下幸之助氏、ビル・ゲイツ氏といった実業家が財団を設立していることはよくご存じのことと思います。
あるいは、「これからのエネルギー政策について提言したい」と思ったとします。そのとき、あなたに名声があれば、より多くの人が「そうだ、そうだ」と納得してくれるでしょう。
あなたが広く深く社会貢献をする上で、社会的成功は絶対に必要なことなのです。
ところが、この社会的成功を手にしようとがむしゃらになって働くあまり、もう1つの大切な要素である「人間的成功」をないがしろにしてしまうビジネスパーソンが実に多いのです。
例えば、家庭をまったくかえりみることなく、仕事一辺倒になった男性の場合。
運動会など我が子の学校行事には一度も顔を出したことがなく、妻とゆっくり話をする時間もないほどすれ違い、家族旅行をしたことなど一度もない。
あり余るエネルギーはあるものだから、よそに愛人をつくる……。成長した子どもからは「自分は父との思い出がまったくない。
そんな人を父とは呼びたくない」などと言われ、妻からはある日突然「これまでは目をつぶってきたけれど、子どもも成長した今、何の未練もない」と言われ、財産の大半を持って家を出てしまう。
それでもまだ十分な富が残っている。家族のことも笑い話にしてしまえば、地位も名誉も変わらぬまま。これから先、生きていくのに何も困らない。
けれども、それはただ生きているだけのこと。心の中は、大きな喪失感と孤独感だけ……。
あるいは、自分の健康には目もくれず、がむしゃらに仕事をしてしまう人の場合。起業した会社を何とか軌道に乗せようと、昼も夜も関係なく働く日々。夜は夜で接待をしまくり、飲みたくないお酒もあおりまくる。
おかげさまで会社は急成長し、すべてを手に入れた。けれども、無理したツケが回ってきてしまい、内臓もボロボロ、体力も衰退。あれほど大好きだった旅行に行けない身体になってしまった……。
「人間的成功」は、失ってみて初めて気づくもの。その時点で「いったい自分は何のために頑張ってきたのか?」と抜け殻のようになる人が、実は驚くほどたくさんいるのです。
2つの成功を目指して、幸せそうで幸せな人になろう
世の中には、「社会的成功」を捨てて幸せそうにしている人もいます。
例えば、組織から解放された自由な身で毎日を過ごしているホームレスさん。
この人は、社会からは「あの人、本当に不幸そうだな。まったく成功していないし……」と見られていますが、本人は幸せを感じているかもしれません。ただ、多くの人に大きな喜びを与えられる立場であるかというと、残念ながらその点では不自由な身だと言えます。
ですから私たちは、「社会的成功」と「人間的成功」について、次のような考え方を持っています。
・「社会的成功」だけを手にした人は、「幸せそうで不幸」な人。極端な例は、不幸な大金持ち。
・「人間的成功」だけを手にした人は、「不幸そうで幸せ」な人。極端な例は、幸せなホームレス。
私たちは、あなたにどちらかになってほしいのではないのです。両方の成功を手に入れて「幸せそうで幸せな人」になってもらいたい。そして、自分と、たくさんの人を同時に幸せにしてほしいと願っているのです。
また、「社会的成功」と「人間的成功」について、こんなふうにも思っています。
・「社会的成功」は、人生の環境。
・「人間的成功」は、人生の目的。
この2つの成功には、環境と目的の違いがあります。
わかりやすくするために、あなたのお葬式の場面を想像してみましょう。
斎場には、何万人という数の参列者たちがいます。あなたが直接会ったことのない人も、たくさん訪れています。
彼らは、生前のあなたのことをよく言ってくれています。その人たちが口にしてくれるのは「あのとき、○○さんにこういう声をかけてもらった。だから今も頑張れているんだ」「何もできなかった自分を雇ってくれて、定年まで勤めさせてくれた。
あの人を恩人と言わずに誰を恩人と言うんだ」といった、あなたとのつながりの深さについて語ってくれているのです。
決して、「あの人の会社は年商何百億円もあったなあ」とか「あの人はどこに行っても有名だったなあ」といった社会的成功に類するエピソードであなたを心から偲ぶ人はいないはずです。つまり、あなたの人生の評価は「人間的成功」の大きさで決まるのです。
けれども、そもそもなぜあなたのお葬式にこれほど多くの人たちが集まってくれたのでしょうか?
それはあなたが「社会的成功」を手に入れ、常に多くの人を喜ばせる環境を維持・発展させてきたからです。だからこそ、あふれるほどの人たちがあなたのために集まってくれたのです。
「社会的成功」は、あなたが自分と他人に喜びを与えるための環境だと言えます。もちろんこれは大きければ大きいほどいいのですが、目的ではない。ビジネスの世界で生きる人たちは、「社会的成功」、つまり富や地位や名誉を人生の目的ととらえてしまいがちです。
「人間的成功」こそが、人生の目的です。
人生の目的とは「あなたが自分と他人に、より大きな喜びを与える」ということに尽きます。人生の質は、人にどれだけの喜びを与えたかで決まります。
あなたが「社会的成功」と「人間的成功」の2つを目指し、手に入れ、真の成功者となることを願っています。