(本記事は、河本真氏の著書『働かない働き方。』パブラボ、2019年1月11日刊の中から一部を抜粋・編集しています)
イエスもノーも言わ「ない」
「日本人は断ることが苦手」と言われている。
たしかに忖度が得意な私たち日本人は、個人の意見より組織の意見を優先することが望ましいと考えてしまうため(ハイコンテキストカルチャー)、なかなか断れないのも事実である。
かといって、「ノー」とはっきりと告げ、あなたはスッキリするかもしれないが、それは何かを拒み、断っていることでもあるので、「働かない働き方」を実現することは難しいだろう。
私自身は「イエス」も「ノー」もあまり言わないようにしている。
もちろん、自分や組織にとって「良い選択」と判断した場合は、どちらかを答えるようにしているが滅多に使うことはない。
つまり、「イエス」と「ノー」の回答だけでは意見を伝えられないのだ。
では、「イエス」と「ノー」の代わりに何を使っているかというと、新しい提案だ。
つまり、新しい選択肢をつくり、提案している。
Aという選択肢とBという選択肢しか存在しないとき、私はあえてCという選択肢をつくりだし、それを提案するようにしている。交渉しているのだ。
このCという選択肢がある(Cという選択肢も提案して良い)ことを覚えておくことで、無理に「イエス」と「ノー」だけで答えなくても良くなる。
実は「イエス」と「ノー」でしか答えられない質問や提案というのは、二極論で返事をすること自体が難しいのだが、あらかじめ用意された「イエス」や「ノー」だけでどうしても答えようとしてしまうのが私たちだ。
少し話はそれるが、なぜ、私たちは「ノー」と言えないのかを考えてみたい。
これは、戦後、大きく時代が変化したためだと私は考えている。つまり、時代の変化に、私たちの心や身体が追いついていないのだ。さらに言えば遺伝子さえも。
私たちは食べられなくなることを恐れているし、種の保存ができなくなることを遺伝子は恐れている。
そのため、生か死かの瀬戸際で日々生き抜いていた時代(狩猟時代など)は、目の前に獲物があったら、「イエス」「ノー」などを考える暇もなく、即、本能が反応し、ハンティングしていた。
「イエス」を本能レベルで選択しないと生きていけなかったのだ。
つまり、「ノー」と答えられないのは当然だ。「イエス」と言ったほうが「生存確率は上がる」とどこかで思っているため、どうしても「イエス」と言いたくなってしまうのだ。
つまり、自分や家族が死なないために、ありとあらゆるものを取り入れ、キープするように(保存するように)プログラミングされてしまっているのだ。
闇雲にお金を貯めたくなるのも、この本能から来る司令だ。
だから、食べ物については時代がどれだけ変わり、技術が発達したとしても溜め込みたくなるし、「ノー」と答えるのは難しい。
知人に「おいしい黒毛和牛をご馳走するよ」と誘われれば、ダイエット中であっても「ノー」と即答できる人はいないだろう。
つまり、餓死することと無縁と分かっていても、遺伝子は反応してしまうのだ(ダイエットに成功できない理由もここにある)。
このことは、食べ物ほどではなくとも他にも通じることだ。
たとえば、戦後、焼け野原の時代の日本にはモノがなかった。情報なども今では溢れているが、当時はまるで状況が違う。
つまり、飢えている状態だ。
本能レベルで何かをほしい時代なので、「ほしいか、ほしくないか」と聞かれたら、迷わず「イエス」と答えていたのだ。
合言葉は「もったいない」であり、「もらえるものはもらっておこう」根性だったので、「自分に必要か不必要か」などは考えることもなく、「イエス」と即答していたのだ。
身近にないもの(手に入りづらいもの)には、とくに価値を感じるのが私たち人間なので、どんどんモノが売れた。
しかし、時代は変わり、現在社会ではモノもあって、触れることもできる。ついには、情報も溢れる時代にシフトした。
SNSの登場により、情報だけでなく、簡単に人と出会えるようにもなったので、「自分の人生に登場する人の数」も急激に増えているのだ。
遺伝子だけでなく、かつての時代の「もったいない」根性に従った生活をしていては、どんどん自分の中がカオスになる。
ところが、ここ数年、日本人が苦手な「ノー」を発言しようというメッセージが横行しているようだ。うまく断って「自分を大事にしよう」という個人主義を主張するメッセージだ。
「イエス」ばかり回答していると、脳内がカオスになり、人からの誘いばかりで忙しくなり、最終的に自分が疲労してしまうから、ほどよく断ったほうがハッピーになれるという提案だ。
ないものに委ねるのが私たち人間の性なので、これらを取り入れる人も増えていった。断捨離などもこのひとつの流れだろう。
これは、たしかに自分を守るために、自分らしい人生を送るために大事なメッセージに違いないが、「ノー」という回答は、本書のテーマである「働かない働き方」を実現する際には、少しばかり足手まといな提案だ。
私たちは極力働かないで働く方法を目指している。
限りあるチャンス(あなたの代わりに働いてくれるもの)を最大限に活かして、そのチャンスに働いてもらうことが目的なのだ。
「ノー」と断ることで、あなたの時間や心のゆとりは増えるかもしれないが、「働かない働き方」を実現することは難しくなる。
なぜなら、それはチャンスを拒む姿勢であり、「ノー」と断ったその相手は、おそらく二度とあなたに提案してくることはないからだ。
しかし、この世界は、あなただけのタイミングで成り立っているわけではない。あなたのタイミングが悪かっただけで断ってしまうのは非常にもったいない。
それでも今はチャンスが四方八方からやってくる時代でもある。遺伝子が常に刺激される環境にさらされている。
かつてないほど意思決定の機会も多いので、非常に疲れる。いちいち判断しなければいけないわけだが、かといって「イエス」「ノー」を即答しなくても良いはずだ。
だから、私は午前中にしか決断しない。
午後以降にやってくる選択は、冷静に判断できないことが多いため、大事なこと以外は「保留」だし、後回し(翌日の朝)だ。
そして、もっとも冷静な判断ができる午前中にだけ、判断する。
それも、反射的に断捨離したり、「ノー」と断ったりするのでなく、お互いにとってベストな(かつ自分が働かないで働けるような)提案をするようにしている。
つまり、交渉をしている。
和を大事にしてきた私たち日本人にとっては、あまり馴染みがないスキルかもしれない。人によっては多少の罪悪感を持ってしまうスキルかもしれない。
しかし、新しい第三の提案をするスキルであり、あなたを働かないようにしてくれる最大のスキルでもある。
この交渉というもっとも重要なスキルを身につければ、「イエス」と即答して、無理矢理に自分をつらいほうに向かわせる必要もなくなり、「ノー」と自分を守る返答を恐る恐るして、チャンスを棒に振ることもなくなる。
あなたにとって都合の良いような、そして、相手にとっても都合の良いような新しい選択肢をつくり出し、それを提案すればいい。
将棋やチェスなどと違って、テーブルの上に存在するだけの「駒」から選択をする必要はない。それで良い場合もあるが、ほとんどが第三の選択肢をつくって良い状況ばかりだ。
だから、あなたにとって、そして、相手にとっても良い答えを考え、その第三の選択肢を提案すればいい。
相手だけでなく、あなたにとってもおいしい交渉術を身につけるためには、次の2つを覚えておくといい。
1.テーブルの上にない選択肢もテーブルに乗せて良いと知ること(AかBしか選択肢がない場面でもCをつくり出して良い)
2.相手の気づいていないメリットと、あなたの隠れたメリットを必ず探し出して、それらが重なり合う提案をすること
ひとつ目は前述した通り、「イエス」と「ノー」だけで答える必要がないと知っているので、これからそのような選択を委ねられる場面に遭遇したときには、このことを思い出せるだろう。
一方でふたつ目は、練習が必要だ。日頃から相手の気づいていないメリットと、自分のメリットを発見する練習だ。
たとえば、大好きな恋人とのデートも、このスキルはどんどん磨かれていく。デート先を選んでいくことは、あなたの好きな場所と相手の好きな場所を一致させる作業だ。
もちろん、相手に100%委ねるのもアリだが、最初は良いとしてもやはり長期的な関係を築いていくときには、やがて我慢している状態になりかねない。
だから、相手(恋人)が気づいていないけれど実は好きなデート先を探して、そして、あなたの好きなデート先も見つけ出すのだ。
もしかしたら、海が好きな恋人は公園も好きかもしれないし、静かな落ち着いた場所が好きなあなたも公園が好きかもしれない。
ただし、ここで「公園に行こう」と提案するだけでは寂しい。相手がスタバ好きで話し好きであれば、それもデートコースに組み込む。
「スタバでおいしい新作のドリンク買って、公園でちょっと散歩しながら、最近のお互いの好きなところを話さない?」
こう提案する。
両者の気づいていないメリットを瞬時に見つけ出し、それを提案するスキルがあれば、そのセンスの良い提案でお互いの未来はより輝いていく。
ビジネスであれば、その提案によってさらに働く必要がなくなっていく。
日常的にする判断を楽しみ、そして提案する癖をつけていただきたい。
こんな時代だからこそ、「イエス」と「ノー」だけで決めずに、それなりの提案をすれば、時代の波を活かせるようになる。