(本記事は、河本真氏の著書『働かない働き方。』パブラボ、2019年1月11日刊の中から一部を抜粋・編集しています)
多動力になりすぎ「ない」
最近、「多動」という言葉が流行っているようだ。読んで字のごとく、多く動く力であり、マルチタスキングな力のことである。
Aというプロジェクトをこなしつつ、Bというプロジェクトもこなし、さらにCもはじめる。たしかに、世の中の流れが早い現代においては、たくさん仕掛けておくことは大事かもしれない。
ただ、ここで提案する「働かない働き方」を実践する際には、多動はあまりオススメできない。
なぜなら、多動になりすぎると、脳内で管理できる許容範囲を超え、すべてが中途半端になる可能性があるからだ。また、それぞれに割ける意識や想いのパワーも半減してしまい、目の前にある重要なことへの意識が薄れてしまう。
マザーテレサは、次のような名言を残している。
「大切なのは、どれだけ多くをほどこしたかではなく、それをするのに、どれだけ多くの愛をこめたかです」
この言葉は大好きだ。実際に、私の仕事観や人生観に大きな影響を与えている。
昔、先輩に「なぜ、愛妻弁当はおいしいかわかるか」と聞かれたことがある。その理由は、シンプルに「愛」がタップリこもっているからである。
綺麗ごとに思われるかもしれないが、これは「働かない働き方」を実現するうえで、非常に大事なテーマと考えている。
それだけ愛のパワーは大きいし、その愛のパワーを複数に分散すればするほどに、一つひとつへの愛は減ってしまう。
さらに多動になると、ひとつのものをしっかり愛を持って手がけていくよりも、形になるまでの時間がかかってしまう。
何より、これは多動の盲点だが後始末が増える。起こる結果についての問題処理に、時間とエネルギーを奪われてしまうのだ。
何かをはじめたりするのは、その瞬間はワクワクする。しかし、実は何かをはじめるということは、それなりに何か問題も起こるということだ。
はじめるという行動の延長線上には、それなりのケアとフォローの必要性が待ち構えている。
「今度、みんなでトレーニングをして、プロテインをガブ飲みする『朝プロテインの会』をやろう」
たとえば、このようなノリで新しいことをはじめてみたとする。一見楽しそうだ。
しかし、このプロジェクトをはじめたらはじめたで、さまざまなことを処理していく必要が出てくる。
「会場を借りたとして、当日寝坊して来なかった人の会場費はどうしよう」
「いつもプロテイン忘れてくるアイツ、どうしよう」
「AとBは仲が良くないから、2回に分けたほうがいいかも……」
などなど、あなたも経験したことがあるような懸念が多々出てくるものだ。
朝たった30分だけの企画だったとしても、これによって脳内はフル回転状態になる。
このようなプロジェクトが、1日あたりひとつ程度ならまだしも、数個、人によっては数十個ともなると、脳内はもはやカオス状態だ。
多動によって自ら蒔いた種だが、その種によって自分を苦しめることになる。
もちろん、このような状態が好きな人もいるので否定はしないが、新しいことをはじめれば、想定外の何かが起こることは忘れてはいけない。
その新しいことが、ときには身近な人たちとの信頼関係を壊すことにもなりかねないと肝に銘じておく必要がある。
仮にこの状態で家族と食事に出かけたら、幸せな時間を過ごすことはできるだろうか。家族のみんなの状況を把握し、それぞれが何を考え、どこに向かおうとしているのかを理解できるだろうか。
答えは、ノーのはずだ。
成功者と呼ばれる人たちや起業家は、新しいもの好きが多い。いつも新しいクリエイティブなことをおこなうし、それによって大きなものを得ているのも事実だ。
ただ、私たちが想像している以上に失っているものも多い。とくに家族関係だ。
複数のことを同時並行で熟していく生き方は、それなりに脳を酷使するし、言い換えると、それなりのケア(フォロー)を要する。
私にはこの働き方は向いていないし、合っていない。だから、多動をオススメしていない。「働かない働き方」は多動ではなく、愛動力だ。
一つひとつのプロジェクトに十分な愛を注ぐからこそ、「働かない働き方」を実現できる。
大量にプラスのことを受け取るのと同時に、大量のマイナスのことも受け取る人生ではない。少しずつだが、確実にプラスのことを毎日毎日増やしていく生き方だ。
あなたが愛すべきものや人に、とことん愛を注ぐ時間を過ごしてほしいと思う。