画像1
(『西尾さん』の店主・西尾尚さん)

人間とは飽きっぽい生き物である。流行りの店があればミーハー気分で訪れ、ひとしきり味わえばもう満足、二度と足を運ばない……なんてことも多々ある。しかし、世の中には行けば行くほどその魅力にハマり、また訪れたくなる居酒屋やレストランがあるのも事実。そこには一体どんな秘密が隠されているのだろうか?

今回ご紹介する新宿三丁目のおでん屋『西尾さん』は、「おそい、せまい、暑い」が売り文句なのに1年先まで予約が埋まっていたという人気店(現在は当日予約制を採用)。その秘密を探った。

画像2
(ガラッと引き戸を開けると、どこか懐かしい昭和の空間が。お店のしつらえについては「好きなものを集めたらこんな風になった」と語る西尾さん。椅子には座り心地も良く、なかに荷物を収納できる茶箱を採用し、空間を無駄なく使っている。席は、全部で16席)

一人で切り盛りしているからこそ考案されたシステム

「オープン当日のお客さんは1組4名様だけでした。『いつオープンしたんですか?』と聞かれ、『今日です』とお答えしたらビックリしていましたね。それから徐々に口コミが広がり、またメディアにも取り上げられるようになり、お客さんが来るようになったんです」

そう話すのはこの店の店主・西尾尚(にしおひさし)さん。店は一人で切り盛りしているため、にこやかに話をしている間も、無駄のない動きで料理の下ごしらえを進めている。

「荷物は椅子の中に入れてください。食べ物の注文は、紙とペンが置いてあるのでそちらに記入をお願いします。お通しは、奥にサラダがあるのでご自由に。もしいただかれない場合は、ちょっと安くなります。梅茶漬けのもとをかけて食べると美味しいですよ。静岡おでんはセルフでお願いします。おでん鍋の横に食べ方を案内していますが、汁は入れずに、最後にダシ粉をかけて食べてくださいね」

来店すると西尾さんからこのような説明がある。他の店との違いに驚きながらも「これはこれで面白そう!」という気持ちになってくる。

画像3
(店のいたるところに貼ってあるポップ。西尾さん手書きの文字も味があって良い。「暑いなら、先にそうお伝えしておいた方がいいんです」と西尾さん)

この独特なオーダーシステムは西尾さんにとっても客にとっても大きなメリットがある。客は自分のペースでメニューを選ぶことができ、西尾さんもオーダーを取る必要がなくなるので、その分を他の作業に充てられる。また客自身に食べたいメニューを書いてもらうことで注文ミスもなくなるというわけだ。

「お通しも、食べたい方とそうでない方がいらっしゃいます。だったら、その判断はお客さんにお任せしようって思ったんです。初めていらした方にはもちろん丁寧にご説明します。勝手知ったる常連さんは『サラダ取るね』ってご自分の家のようによそわれていますよ」

画像4
(お通しのサラダが入った冷蔵庫)

温かい交流が生まれる店内

店の営業は17時から。まだ夕方にもかかわらず次々と客が訪れ、にぎやかさが増していく。一人で切り盛りする西尾さんの忙しさもそれに合わせ加速する。

「忙しいときでも、絶対に下を向いて仕事をしないようにしています。お客さんが『今、西尾さん忙しそうだな。注文しないほうがいいかな』って思ったら申し訳ないじゃないですか」

テキパキと調理しながらも常に客の様子をうかがう。しかし、客のドリンクがなくなっていることに気づいても「次の飲み物、どうしましょう?」とは聞かない。

「お客さんによっては、飲み物がなくなったからといって、すぐに次をオーダーしたくない方もいらっしゃると思うんです。なので、ドリンクがないのは頭に入れつつも、そのままにしています。お客さんがドリンクメニューを眺め始めたら“そろそろ注文が来るな”と準備をします」

画像5
(画像=「西尾さん」自慢の静岡おでん。なんと一人で全部食べきってしまったお客さんもいるのだとか)

ちなみに『西尾さん』は、2011年より全面禁煙となっている。それもかなり徹底的で、店の外に出て喫煙することすら禁じている。

「うちは地下にあるんで、どうしても臭いがこもってしまうんですよ。そこで一度禁煙にしてみたら『喫煙だったから来たくても来れなかった』というお客さんにも通っていただけるようになりまして。これまでのお客さんの多くも変わらず通ってくださるので、お客さんの数は増えましたね。はじめは店外で吸えるようにしていたのですが、変な酔っぱらいに絡まれてしまわないか、何か事故にあったりしないかと心配で、思い切って全面禁煙にさせていただきました」

セルフサービスのお通しにおでん、オーダーも客自らがメモに書いて西尾さんに渡す。一般の居酒屋とは随分違うシステムだが、この不自由さも含めて『西尾さん』の魅力なのだろう。ときには客同士が教え合いながら焼酎のおかわりを作る。そうこうしているうちに店には不思議な一体感が生まれ、“良き酒場”としての温かな雰囲気が醸し出される。一人で切り盛りするために施された工夫は、居心地の良さを作り出すためのシステムとしても機能しているのだ。