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株式会社和音人 代表取締役社長 狩野高光氏(画像=Foodist Media)

2015年、東京・三軒茶屋に『和音人 月山』を開業して以来、繁盛店を次々と生み出し、現在同エリアに7店舗の飲食店を経営する狩野高光氏(株式会社和音人・代表取締役社長)。店舗運営のみならず、若手の育成や地方活性化にも力を注ぎ、外食産業の未来を牽引するキーパーソンとして、その活躍ぶりは常に業界の注目の的となっている。

経営する店の中でも、狩野氏の今を築くターニングポイントとなったのが『華舞㐂屋 ろんど』だ。開店当初の経営不振から業態変更を決意、見事再起を図り、現在の氏の理念を確固たるものにした。

今回、同店のこれまでの経緯を辿るとともに、焼鳥店の大将でありながら第5世代のエースと呼ばれる凄腕経営者の視点の先に迫った。

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三軒茶屋のドミナント展開の3店舗目としてオープンした『華舞㐂屋 ろんど』(画像=Foodist Media)

成功で見失った自分、失敗で取り戻した自分

「ノウハウのないまま、時流に乗ろうとしてしまったんですよね。僕の慢心です(笑)」

そんな反省の言葉から、『華舞㐂屋 ろんど』の開店当時を振り返る狩野氏。店がオープンしたのは、大衆酒場ブームが沸き起こった2016年。前年にオープンした『和音人 月山』と『GYOZA SHACK』が立て続けに繁盛店となり、その波に乗って当時のブームに合わせた大衆酒場をコンセプトに『ろんど』をスタートさせた。しかし、持ち前の食への強いこだわりを貫きつつ低価格を実現することは、思っていた以上に厳しかった。

「当時はノウハウもなく、とにかくこだわったものを低価格で出せば繁盛するだろうと考えていました。ただ店は繁盛するのですが、売上に対する利益が妥当なのかどうか、それで社員を幸せにできるのかどうか、という視点で考えると少し難しかったということでしょうか。それで業態を変えていかないと、と思いました」

そう思い悩んでいたときに背中を押してくれたのが、これまで自分を身近で見てくれていた親しい人の言葉だった。

「妻と一緒に、前の会社でお世話になった常務の方に相談したとき、こう言われたんです。『今まで価値があると思ったものを時代に関係なく世の中に提供してきたのに、どうしていきなりそうじゃない方向に行ったのか。お前のいいところはそこじゃない。もう1回お前がつくりたいもの、表現したいものを考え直してみたらどうか』って。それで、『やっぱり自分がかっこいいと思うものをつくろう』と思い直して業態を変えました」

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やりたいことを貫くために業態転換を決意(画像=Foodist Media)

原点回帰で再起。理念をもとに、既存の概念にとらわれない新しい焼鳥を確立

とはいえ、自分の実力を誇示する気持ちから、失敗をなかなか受け入れられず、業態変えには約9か月の時間を要した。しかし、この失敗をきっかけに自分の力の無さを痛感し、謙虚になれたという狩野氏。新たに身につけた謙虚さと本来の自分の中にあった理念を武器に、業態変更へ向けて舵を切った。

「僕が何を目指していたかを改めて考えると、とにかく世界一の焼鳥屋をやりたいと思っていたんです。だから僕が思う最高の焼鳥を出そうと決めました。最初に考えたのは部位ごとに美味しい鳥だけを使うことです。モモだったら東京しゃも、せせりだったら宮崎の日向鶏、皮だったらやまがた地鶏、部位に合わせて違う鶏を使う。とにかく1本1本にこだわって、焼鳥というものをガストロミー風に落とし込むことをまずやりました」

『ろんど』は「焼鳥という概念にとらわれない新しい焼鳥」という独自性を打ち出して再スタートを切る。狩野氏のこだわりは、肉だけではなくスパイスにも及ぶ。

すると会社として求めている理想の客が集まり出し、客数が増加。それに釣られて、客単価も7,000円から8,000円に上がり、業態変更前と比べて売上は倍増した。失敗から再起まで、起伏の激しい一連の流れの中で狩野氏が得た学びは何だったのだろうか。

「やっぱり理念からぶれないことが大事だということです。当社の企業理念のひとつに「肝胆相照(かんたんそうしょう)」という言葉があります。肝臓と胆嚢は近い位置にある臓器ですが機能はまったく違って、どちらか一つが止まってしまうと体が動かなくなってしまいます。2つの臓器がしっかり働いているからこそ、体は元気になれるのです。それと同じように、まったく違う価値観の人間は一杯いますが、お互いに照らし合えば1個の中に共存することができます。僕たちが目指しているのは、そういう企業です。その実現のためにも理念からぶれないように経営をしていくことが一番大事だと考えています」