一口に企業の不祥事と言っても、様々な種別のものがある。主なものを列挙すると、①贈収賄、②食中毒などの発生、③受注などを巡る談合、④食品の品質表示などの偽装、⑤計測データの改ざん、⑥不正な取引や不正な会計処理、⑦産業廃棄物の不法投棄や環境汚染、⑧リコール隠し、⑨反社会勢力との交際、⑩情報漏洩、⑪バイトテロのような不適切行為といったところだろう。

では、これまで日本企業の間ではどのような不祥事が発生してきたのか? 時代とともにその傾向にも違いが見られるはずだ。そこで、当連載の第2回では戦後における日本企業の不祥事史を駆け足で振り返ってみたい。きっと、その経緯からは何らかの教訓が得られることだろう。

早くも終戦から3年後に内閣総辞職を招く企業の不祥事が!

ビジネスパーソンの危機管理術
(画像=PIXTA,ZUU online)

1945年に終戦を迎え、焼け野原の中から企業活動がリスタートされることになったが、早くも1948年には日本中に激震が走る「昭電疑獄(昭和電工事件)」が明るみになっている。昭和電工の社長や常務が復興金融金庫(政府系金融機関)の融資を巡って、政官界への賄賂を贈っていたことが発覚したのだ。同社は設備投資のための資金として、同金庫から約26億4000万円の融資を受けていた。実はその裏では、融資を導き出すために約1億円の金品を同金庫の幹部や政府高官に渡しており、この事件が引き金となって芦田均内閣は総辞職に追い込まれた。

1955年に発覚したのは、西日本一帯の乳児・約1万2000人が被害に遭い、そのうちの131人の命を奪った「森永ヒ素ミルク中毒事件」である。ミルクに安定剤として投入していた第二リン酸ソーダ(リン酸水素二ナトリウム)に不純物のヒ素が含まれていたのが原因だ。一審は無罪判決だったが、差し戻し判決、最高裁による控訴審判決支持を受けてやり直し裁判が実施され、10年近い歳月を経た1973年に森永乳業の元製造課長に禁錮3年の実刑判決が下った。森永乳業はこの事件を機に業界最大手の座を明け渡すハメになった一方、食品衛生法が改正されるきっかけともなった。

だが、甚大な被害をもたらした中毒事件は60年代にも発生している。1968年にカネミ倉庫が製造する米ぬか油に猛毒のダイオキシン類が含まれていたことが判明し、福岡県を中心に西日本一帯の1万4000人以上がそれを摂取して皮膚炎や頭痛、肝臓機能障害などの症状を訴えていたことが明らかになった。「カネミ油症事件」と呼ばれるようになった騒動で、「美容と健康にいい」とのセールストークで販売されていた同製品が逆に人体を蝕んだのだから皮肉である。脱臭工程において熱媒体として用いていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)がパイプから漏れて油に混入していたことが原因だった。

大汚職事件で政官財が激震に見舞われた70年代と80年代

70年代に入ってからは、1973年の「滋賀銀行9億円横領事件」に1975年の「足利銀行詐欺横領事件」と、女子行員の個人的な犯罪による不祥事が続いたが、1976年にはグローバルな規模で繰り広げられた汚職事件が白日のものとなった。今日まで見渡しても戦後最大級の不祥事と言える「ロッキード事件」だ。

全日空の新型旅客機を導入する際、その選定に絡んで米国のロッキード(現ロッキード・マーチン)社が政財界に賄賂を贈っていたことが明るみになり、田中角栄元首相をはじめとする大物政治家や、商社の丸紅、全日空の幹部ら計16人が受託収賄、贈賄などの罪で起訴された。丸紅元社長については、1995年2月に最高裁で有罪が確定している。

2年後の1978年には、類似の贈収賄事件も発覚。防衛庁が導入を計画していた次期主力戦闘機の選定における汚職疑惑「ダグラス・グラマン事件」で、日商岩井(現双日)の副社長が実刑判決を受けている。これらの事件を機に政治家への世間の不満が膨らんだものの、それでも懲りない面々らしい。それから10年後の1988年には、「リクルート事件」というセンセーショナルな贈収賄事件が発覚しているのだ。リクルート傘下の不動産会社・リクルートコスモス(現コスモイニシア)の未公開株が賄賂として譲渡され、リクルート社の関係者や政治家、官僚が逮捕されたうえ、竹下登首相が辞職を余儀なくされた。

バブルの後遺症か、金融機関の不祥事が目立った90年代