(本記事は、小林 尚氏の著書『開成流ロジカル勉強法』クロスメディア・パブリッシングの中から一部を抜粋・編集しています)
「聞く」は非効率なのか?
みなさんは小学校、中学校をはじめ、今まで先生の授業を「聞く」ことをしてきているので、聞いて勉強すること自体に抵抗感はないでしょう。むしろ大学を卒業した方であれば、小さい頃から学校や塾に通い、大学を卒業するまでずっと授業で先生の話を聞きながら人生を送ってきたというパターンも多いのではないでしょうか。私自身、小学校から塾に通い、高校受験、大学受験を経る中で人並み以上に「授業を聞く」時間が長かった人間です。
しかし最近ではこの「授業を聞く」というあり方が変わってきています。私がかかわっている大学受験業界では授業をしない(講師はスケジュール管理や教材選定を行う)スタイルの塾が登場したり、生徒の意識としても授業を重視していなかったりする様子が見受けられます。
とくに私はYouTubeで受験関連の情報を発信しているので、動画に寄せられるコメントを見ていると「授業を受けるより参考書を読んだ方が効率的」だとか「授業は周りのペースに合わせないといけないから非効率」といった声がかなり見受けられます。こういった考え方の背景には、授業をただ聞いているよりも独学(自学自習)した方が効率的であるという見方が存在します。
同様に、学校教育もその姿を変えつつあります。近年では先生が一方的に生徒に話しかける形式の授業ではなく、アクティブラーニングと呼ばれる生徒主体の、もしくは双方向的な授業が登場しています。もちろん実際には教師の負担増加、カリキュラムが終わらないといった課題や、生徒が消極的だとか、学習レベルの不一致による議論の不成立といった問題も発生しており、まだまだこれから改善・改良していかなければなりません。
しかし少々極端な言い方をすれば、教師の方に話を聞けば、二言目にはアクティブラーニングの話題になるくらい、新しい学び方が広がっています。
では、これらの事象が意図するように「聞く」というスタイルはもはや非効率なのでしょうか。私はそうは思いません。その理由は自分が知らない視点を得ることができるからです。たとえば、まだ高校範囲の学習が終わっていない高校1年生に対して「あなたが東大受験をするために必要な学習はなんですか?」と質問して、的確な答えが返ってくるでしょうか。なんとなく英語のこの分野、数学のこの分野をやる必要があるという知識は持っていても、具体的にそれを実際の学習計画や内容に落とし込むことは困難です。授業という形式であるか否かはともかく、もしその生徒に東大受験までの具体的な道標を示せる人間がいるならば、迷わずその人間の話を聞いた方がいいでしょう。
もちろん、時と場合を選ぶことは重要です。先ほど挙げたような事例が示すのは、なんでもかんでも授業形式で処理することに対する否定であり、「聞く」ことそのものの否定ではないことに注意すべきです。受験勉強にせよ、学校教育の現場にせよ、勉強の効率を最大化させるためには状況に応じて有効な手立てを用いることが重要です。授業を受けずに参考書で勉強した方が捗る状況があることも真実ですし、学校教育において主体的な学びを提供することが喫緊の課題であることも真実です。どんな場面で「聞く」べきか、そうでないのか、理解を深めていただき、そして最終的には効率的に、そしてロジカルに「聞く」ことができるレベルまで達成いただければ幸いです。
「聞く」勉強の使い途
「聞く」という勉強方法は場面に応じてとても有効です。逆に、あまり効率的ではない場面も存在するため、状況に応じて「聞く」ことが大切です。ここでは、その使い分けの場面について説明していきましょう。
向いている状況「初学者の段階」
勉強を始める際にいきなり上級者としてスタートする人はいませんので、誰でも初学者というステップから始まります。初学者の特徴としては「自分がこなすべき勉強の全体像が把握できていない」ことや「どのように勉強を進めればよいかわからない」ことが挙げられます。人によっては「とりあえず始めてみるけれど、そこまでモチベーションが高くなっていない」状態の人もいるかもしれません。そういった初学者にとって、「聞く」という行為は有効です。「聞く」という形式には「1対1」か「1対多」かの違いがありますが、この場合は形式にこだわる必要はないでしょう。
勉強を始める際は基本的に「読む」から入ることを推奨すると述べましたが、ずっと読んでいるだけでなく、タイミングを見て「聞く」を導入するとよいでしょう。自分が相対すべき勉強の全体像や勉強の進め方について、勉強に慣れている場合は独力で把握できるかもしれませんが、慣れていない場合は人の話を聞くのが有効です。その際の注意点は、「いったん多くの人の話を聞き、その中から選ぶ」ということです。どのような分野でもそうですが、教え方というのは多様です。講師や先生によってかなり違いがあると言えます。初学者だと話を聞かないうちにどの人の話が優れているかを判断するのは困難です。そのため、まずは多くの人の話を聞いて、情報を収集し、その中からスタンダードなものを選ぶとよいでしょう。
向いている状況「質問」
学習がどの段階に到達しているかは問わず、「質問できる状況」というのは非常に貴重です。なぜなら人によって疑問に思う部分が異なるからです。どのような勉強でもそうですが、「普通の人がつまずきやすいポイント」というものが存在します。学習者に対して無関心でない限り、教える側の人間はつまずきやすいポイントを知っているので、教える際に工夫をしたり、じっくりと時間を割いたりします。これは書かれた形式(本・教材)でも、話す形式(授業・講義)でも同じです。しかし学習者からすれば、「重点的に説明されたところは理解できたけれど、他の部分がわからない」とか「重点的に説明されてもまだわからない」など、いろんなパターンが出現するわけです。
この場合、ひたすら読んで勉強し、「1対多」で話を聞いていても、効率的な疑問の解決にはつながらないケースが多いのです。ですから、疑問を持つ状況の場合は1対1で「聞く」ことができる環境が貴重です。もちろん私たちは教材やインターネットを活用できますので、「appleは日本語で言うとなにか?」のような、単純な情報を知りたいという疑問であれば独力で調べた方が効率的です。しかし、調べられないような具体的な疑問(特定の問題や事象に対する疑問)や、世に出ていないニッチな(狭い分野の)疑問の場合、他人に質問するのは非常に有効です。
向いている状況「初めから教えてくれる人がいる場合」
最後に説明するのが、初めから教えてくれる人がいるケースです。自分が勉強したい分野について、教えてくれる人が身近にいるのであれば積極的に話を聞いた方がよいでしょう。高校生や大学生であれば先生や同級生、社会人であれば同僚。もちろん先輩や後輩、どこかで知り合った友達でも構いません。自分が勉強したい分野について、詳しい人は意外と身近にいるものです。なぜプロではない人にわざわざ聞くのかと言えば、自分と同じ環境にいる人こそ、自分に的確な助言をくれる可能性があるからです。もちろん、そういった方は教え方のプロではありませんし、善意で教えてくれる人の時間を奪い過ぎてはいけませんが、自分に似た環境の人の話は、「聞く」側としても腑に落ちやすいことも事実です。とくに、勉強を始める際の大雑把なノウハウや経験談、勉強途中で悩んだ際の考え方などは意外と役に立つものです。また、当たり前のことですがそうやって協力してくれた方には、きちんと適切なお礼をすることも忘れずに。
「聞く」勉強の危険性
「聞く」勉強が有効な状況を説明しましたが、逆に「聞く」ことが効率的ではない状況、もっと言えば勉強を阻害する可能性がある状況について解説します。
危険な状況「勉強した気になる」
どのような勉強でもそうですが、本当に勉強していないのにもかかわらず、勉強した気分になってしまうというのが一番よくないことです。勉強をしていないのはあくまで自分自身の努力の問題ですが、勉強になっていない行為を続けながら「勉強した気分になる」のは危険な状況です。なぜなら自分で努力をしていると思い込んでいるのに成果が出ない状況が続いてしまうからです。
そういった状況に陥りやすいのが「聞く」という状況です。「書く」「話す」であればなんらかアウトプットをしていますし、「読む」であっても一応読み進めることができるわけですが、「聞く」場合、なにも考えず吸収せず、ただ漫然と「授業」という形式の中で時間を過ごせてしまいます。そして大概の場合、こういった授業には料金・費用が発生しており、「お金を払っているのだから勉強になっている」という固定観念が働いてしまいがちです。
そのような場合に有効なのは「1対多」ではなく、「1対1」形式を活用することです。1対1であればコミュニケーションが発生しますから、ひたすら頭を働かせず時間をやり過ごすことは不可能です。
危険な状況「なんでも聞かないと気が済まない」
危険な状況として2つ目に挙げられるのが、なんでも聞かないと気が済まないというものです。これは恵まれた環境の方に多いのですが、学校や予備校、専門学校のような場所で学習していると、クラスメイトや先生、チューターといった周りの人に質問できる環境が存在します。質問できるという環境そのものは恵まれているし素晴らしいのですが、学習者によってはわからないことをすべて他人から教わらないと気が済まない人がいます。
先ほどの質問は非常に有効であると述べましたが、当然それにも限度があります(具体的な質問の有効的な活用法については後述します)。自分で調べればわかること、小さな努力で補えることを質問したり、それこそ他人に聞いた方が時間がかかって非効率になることを質問したりするのは、もはや思考の放棄です。勉強とはただ特定の分野の知識を蓄えるだけでなく、その知識(情報)の扱いを通じて、思考力や論理力を鍛えることです。それなのに他人から情報を与えられるだけで勉強を成立させようというのは、非常に危険な考えです。
本人からすれば真っ当に勉強している気になっているので、これは場当たり的な方法で解決するのは難しいといえます。仮に受験勉強のような1日1時間を大幅に上回るような勉強であっても、毎日質問しているようであれば注意が必要です。
危険な状況「『聞く』勉強の割合が大き過ぎる」
最後に指摘するのは「聞く」勉強の割合です。勉強というのは最終的には自分が手を動かしたり、覚えたりすることで、なんらかの能力を身に付けるものです。「聞く」という行為は話してくれる人間が用意したレールに乗って勉強を進められるという気軽さや安全性があるぶん、それとは別に自分で手を動かす時間、覚えるべきこととしっかりと向き合う時間が欠かせません。受動的な勉強のすべてを否定はしませんが、能動的な学習も必要であるということです。 とくに受験や資格試験といったフォーマットが決まった学習の場合、一般的には「講義を聞いて理解」→「自分で演習」といったプロセスを想像する方が多いのですが、これらは必ず並行してこなすべきです。講義の活用方法は後述しますが、手を動かしてなにかを身に付けるというのは、みなさんの想像以上に時間がかかることであり、これに早期に着手しないと後々「間に合わない」ということになりかねません。
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