(本記事は、Testosterone氏の著書『ストレスゼロの生き方』きずな出版の中から一部を抜粋・編集しています)
過小評価を、受け入れる
相手から過小評価されたら、まあ普通はあまりいい気分がしないよな。
だが、相手から過小評価されることは、「バカにすんじゃねえ」という怒りや、「見下されてる……」という悲しみの感情をうまく統制できるのであれば、じつはけっこうラッキーな状態だ。
相手の期待値が低いということは、相手の予想を上回る成果を簡単に出せるということだ。自分の実力以上の期待をされて、一所懸命やっても期待外れだと思われるよりも100倍良い。
それに、もしも過小評価してきた相手が自分の競争相手だったりしたら、ウサギとカメの物語よろしく、相手が油断しているうちにぶち抜いてやることだってできる。なんてラッキーなんだ。
世間や特定のだれかがあなたを過小評価して気持ち良くなってるうちに、あなたはコツコツ努力を続けて圧倒的な結果を出せばいい。
結果を出せば一発で黙る。
バカにされた?見下された?ラッキーじゃん!
自分の欠点を、受け入れる
自分の欠点から目を背けるな。
欠点を認識すると、ついつい自分のことが嫌になってしまうが、自分の欠点がわかっているなんて最高の状態じゃないか。
欠点がわかっているとはすなわち、その欠点に対してなんらかの対策が打てるということだ。
一番ダメなのは自分の欠点がどこにあるのかすらわかっていない状態だ。それだと対策のしようがない。
欠点ってのは言い換えると伸びしろだ。
欠けている部分を満たしてやれば大きな成長に繋がる。だから、自分に欠点があることはむしろ喜ぶべきことだ。
企業は自分たちの欠点を見つけて改善したいがために、コンサルタントや専門家に莫大な金を払う。欠点を明確にすることはそれほどに価値のあることってわけだ。
正しい欠点さえ認識できれば、問題解決の半分が終わったと考えていい。
頭が良くないなら勉強すればいい。容姿に自信がないなら整形なりダイエットなりすればいい。
世の中には解決できない問題もあるが、改善できない問題はない。欠点を改善しようという意志のあるものの前に欠点は無力だ。黙って消されるしかない。
さて、欠点を葬り去っちゃおうか。
嫉妬の感情を、受け入れる
嫉妬は人間ならだれしも持つ感情だ。ほかの人に嫉妬してしまう自分を責めたり、自己嫌悪に陥る必要なんてまったくないぞ。「嫉妬してしまう自分が嫌い……」だなんて思うなよ。
問題は「嫉妬」という感情とどう向き合うかだ。
嫉妬ってやつはものすごいエネルギーを生む。そのエネルギーを使って他人の悪口をいったり、嫌がらせをしたり、最悪の場合は犯罪に走る人間もいるし、逆に「チクショウ!自分だって!」と思いながらメチャクチャ勉強や仕事をがんばったりして、自分をすごい勢いで成長させる人間もいる。
嫉妬という燃料をどちらの方向に燃やすか決めるのは、あなた自身だ。それだったら、嫉妬をバネにして自分を成長させたほうが良いと思わないか?
だれかの足を引っ張るよりも、自分を磨いて自分が上に行くほうが圧倒的に健全だ。悪口をいっても、嫌がらせをしても、下がっていくのは相手の評価ではなくあなた自身の評価だけ。なんとくだらないことか。
加えて、何かに嫉妬するということは、何かを羨ましいと思うということは、自分の目指すべきゴール、欲するものが見えている状態といっても良い。目標やほしいものさえわかれば、あとはそれに向けてがんばるだけだ。嫉妬はそれらをあなたに教えてくれるありがたい存在だ。
嫉妬はエネルギーにもなるし、自分の目標を見つける指針にもなる。避けるどころか、大いに歓迎すべき感情なのだ。
どんどん嫉妬していこうぜ。嫉妬するたびに進化していこう。
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