情報に振り回されない

ネットが普及して、本当に多くの情報が溢れている。個人ブログなど誰でも情報を発信できる時代なので、世の中に溢れている情報は玉ぎょく石せき混こん交こうだ。間違った情報にコントロールされていることも多いので、自分が得る情報には本当に気をつけた方がいい。そんな情報過多な時代に、どう情報と関わるといいかを考えてみよう。

Q :必要な情報をどうやって見極めますか?

まずは、基本的に「疑う」ことをした方がいい。世の中はウソばかりだ。本当に間違っている事実を述べていることもあるし、わざと勘違いするような表現がされていることもある。また、あなたにとって正解ではない情報もある。

そこで、正しい情報を見抜いていく方法をお伝えしたいのだが、まずは、情報には「事実」と「主観」があることを知り、これらを分けて考えることが大切だ。事実とは、「100人が聞いたら、全員がそうだと賛成するもの」だ。主観とは、「1人でもそうではないと言う可能性があるもの」を言う。

例えば、「今日の東京は暖かい」は主観だ。寒いと思う人もいるかもしれない。「東京駅前の温度計は、今、23・5℃を指している」は、誰が見てもそうなので事実だ。

「仕事は楽しい方がいい」「お金はたくさんあるといい」「仕事をする上で大切な心構え」なども全部主観だ。その人がそう思っているだけで事実ではない。ちなみにこの本も完全に主観だ。主観だから悪いと言っているのではない。情報としての質の違いを話しているのだ。

✓事実との向き合い方

目の前にある情報が「事実」であるのであれば、その信しん憑ぴょう性せいを疑おう。それは間違った情報ではないか。創作されたり、捏造されたものではないか。いつ、どこで、どうつくられた情報なのか。そんなことをちゃんと吟味(ぎんみ)しよう。新聞だって間違った事実を掲載している時もあるだろう。

また、情報の中には、わざと勘違いするような表現がされていることもある。例えば、「この本を読んで、売上が10倍になった!」と書かれた広告があるとする。それは数字ではかれるものだから事実だろう。しかし、月に1000万円が1億になるのも10倍だし、1000円が1万円になるのも10 倍だ。1000万円を1億にするのはとても難しいだろうが、1000円を1万円にするのは簡単だ。「今、売れています!」なども同じだ。日本全国で売れているのか、その地域やそのお店で売れているのか、はたまた、売れていない別の商品と比べて売れているだけかもしれない。そういうイメージ操作がされていないか、きちんと疑おう。

✓思い込んでいるだけの情報もある

今度は「主観」の話だ。目の前の情報が「主観」であれば、もっと注意した方がいい。主観とは「私はこう思う」という1つの意見でしかないのだから、どんな時にも「本当にそうだろうか?」と疑って、「私だったらこう考える」「私ならこうする」ということを考えよう。主観に「正解」はない。主観は、あなたにとっての答えではなく、物事を考えるためのヒントやきっかけとして使っていくといい。

また、主観をたくさん知ることには良い面もある。主観は「立場」によって変わってくるから、主観を知ることで、より多角的に物事を見られるようになる。

ある村に目の不自由な男が3人いた。3人は、「今触っているものが何か」という話をしている。1人は、「これはゴツゴツしているから、岩だ!」と主張している。もう1人は、「これは薄くて大きいから、扇だ!」と答えた。最後の1人は、「ザラザラしているし棒のようだから、木の枝だ」と話している。この3人が、お互いに自分が正しいという主張を繰り返していたら、正解にはたどり着けない。お互いがお互いの言い分を受け止めていくことができれば、多角的に物事を見ることができ、触っているものは「ゾウ」だという答えにたどり着ける(実際3人は別のものを触っており、岩と思ったものは足、扇と思ったものは耳、枝と思ったものは鼻だった)。

このように、いろいろな主観を知ることで、より深く物事を理解することができる。

この時に「どれが正しいか」という話をしてはいけない。先の3人が「どれが正しいか」という話し合いをしても、絶対に終わらない。なぜなら、どれも正しいからだ。

「ヒーローと悪」というのも、同じく一方的なものの見方だ。桃太郎は村人にとってはヒーローだろうが、鬼の家族にとっては悪になる。鬼の子どもは復讐を考えるだろう。主観の話をする時には、「どちらが正しいか」という話をするのではなく、お互いがお互いの意見を受け止め合うことが大切になる。そうすると、お互いに多角的に物事を捉えることができるようになり、全体を知ることができる。

自分が食べたもので自分の体ができているように、自分に入ってくる情報であなたの考えもできあがっていく。いつもいつも入ってくる情報を疑い、吟味できればいいのだが、無意識に入り込んでくるものもあるので、どんな情報を入れていくかはちゃんと選別をした方がいい。入ってくるもの自体も選別した方がいい。また、入ってきた情報を見極めるためには、自分の中に「選択基準を持つ」ことも大切になる。それは、次に紹介していく。

世界を広げる

とにかくいろいろな経験をした方がいい。持っている経験が増えてくると、情報の良し悪しも判断できるようになっていく。また、経験がないと持っている情報を活かすこともできない。

知識と知恵は違う。知識とは「食材」のことで、知恵とは「料理を作る」ことだ。どんなに良い食材をたくさん揃えていても、料理できないのであればうまく活用できないだろう。ただ腐っていくだけだ。逆に食材が少なくても上手に料理できる人もいる。まずは知恵、そして知識を得ていくといいだろう。

そして、知恵は経験の中で育っていく。まずは行動してみることだろう。行動してみれば何が足りないかがわかるから、それを知識として学べばいい。ここを勘違いしてはいけない。たくさんの知識があるから行動できるのではなく、行動するからこそ足りない知識がわかり、学んでいけるのだ。これを逆に捉えている人が多い。だから、学ぶことばかりに夢中になって現実が変わっていかないのだ。

Q :どんな経験をしてみたいですか?

僕は、「やったことがないこと」をやるようにしている。そして、その時には「できるだけ美しいものと、できるだけ醜いもの」を体験したいと思っている。その幅の広さが人間力を磨いていくのだ。キレイなものだけを味わう方がラクだし、楽しいだろう。しかし、それでは薄っぺらい。醜いものを知ることで、人としての厚みが生まれるし、一見すると醜いものの中に、本当は美しいものが隠れていたりする。それを見つけていく力もまた大切なものだろう。

やったことがないことであれば、良し悪しの判断をせずに何でも経験してみるといいのだ。つい、心地よいアドバイスは素直に聞きたくなる。しかしそれは、もうすでにあなたの中にある価値観が共感しているだけのことなので、経験は増えていかないし、何の学びにもならない。逆に、耳が痛い反対意見や、イヤだなとか、つまらないなと感じることにこそ意味がある。そうやって拒絶してきた部分にこそ、成長の余地があるのだ。あなたがダメだと思っているだけで、もしかすると、それをダメだと思っていることがダメなのかもしれない。「良薬は口に苦し」とも言う。良し悪しを言わず、まずは受け止めてみよう。

「受け止める」と「受け入れる」は大きく違う。「受け止める」とは、自分とは違う意見でも「いいね、そういう意見もあるんだ」と聞くことで、「受け入れる」とは、「僕もそう思う」ということだ。僕は猫が好きだとして、相手が「犬ってかわいいよね」と言ってきた時、「全然かわいくないよ! 猫の方がかわいい」というのが拒絶。「受け止める」とは、「僕は猫が好きだけど、それと同じようにあなたは犬が好きなんだね」と聞くことだ。そうなると、「犬って、どんなところがかわいいの?」と話が広がり、あなたも犬のかわいさに気づくかもしれない。こうして世界は広がっていく。そして「僕も犬が好きになった!」が「受け入れる」だ。はじめから受け入れる必要はない、まずは受け止めることをしていこう。

悩みが武器になる働き方
河田 真誠(かわだ・しんせい)
1976年生まれ。答えを教えるのではなく、相手に問いかけることで、企業の問題を解決に導く「しつもんコンサルタント」。指示命令ではなく質問をすることで、自ら考え行動する部下を育てていく「しつもんマネージメント」や、売り込むのではなく質問をすることで、買いたい気持ちを引き出していく「しつもん営業」などをテーマに、全国の企業や業界団体などで講演や研修を行い、これまでに約10万人に影響を与えてきた。
主な著書に、『革新的な会社の質問力』(日経BP 社)、『私らしく わがままに 本当の幸せと出逢う100の質問』(A-Works)、『人生、このままでいいの?最高の未来をつくる11の質問』(CCC メディアハウス)がある。

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