(本記事は、ローレンス・レビー氏の著書『PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』文響社の中から一部を抜粋・編集しています)

業界の概要は、ヴォーゲルの本で理解できた。だが、細部はよくわからない。ピクサーの映画にまつわるお金がどこにどう流れるのか、詳細も必要だ。映画からどのくらいの収益が上げられるのかわからないままでは、事業の先行きを見通すこともその計画を立てることもかなわない。地図もなしに宝探しをしているような気分だ。

そうこうしているうちに1995年6月になった。『トイ・ストーリー』の封切り予定は11月で、スティーブは株式公開の準備を始めたくてそわそわしているが、いろいろな数字の算定根拠は得られないままだった。

この少し前、サラ・スタッフが入社し、経理部長として私の下に入ってくれた。会計や財務を担当する右腕だ。足が治るまで通勤の送迎もしてくれた。頭の回転が速く、よく気がつくし、それでいて謙虚な女性である。背が高く、ブロンドのストレートが目を引く。物腰は落ちついていて上品だ。そして、仕事は徹底的にプロフェッショナルである。彼女の執務室は総務関係が集まる一角にあり、私もよく顔を出した。

「サラ、映画収益の予測に使えそうなモデルをみつけられたなんてこと、あるかい?」

「だめですね。古巣の会計事務所にも尋ねてみましたし、そこ経由でロサンゼルスの事務所に問い合わせてももらったんですが、そっちにもないそうです」

こっちも行き止まりかぁ。映画スタジオなら持っていて当たり前の数字なのに、それが手に入らない。

「そうだ。サム・フィッシャーに聞いてみたらどうだろう。ほら、ハリウッドの弁護士だよ。手に入る当てはないかって」

その日のうちにサラから報告があった。

「いいニュースとは言えますが、いまいちでもあります。サムと話をしました。なんと、モデルなら彼らのところにあるそうです。ただ、社内で使う資料であって、社外には出さない、と。必要なら試算して結果をお知らせする、でも、モデルそのものは出せないというんです」

なんだよ、金張りの財務モデルってか?秘密にする必要がどうしてあるんだ?―そう思ってしまった。

「それじゃだめだ。自社で持たなきゃ意味がない。ぼくからもサムに頼んでみよう」

サムの説明は、彼らの予測モデルはクライアントにいろいろとアドバイスするためのものであり、社外の人には教えられない、だった。実写映画用でアニメーションには使えないという話もあった。

「だめな理由はわかりました。ごもっともだと思います。でも、八方ふさがりなんですよ。あっちに聞いてもこっちに聞いても社外秘だと言われてしまって。でもでも、自社でモデルを用意できなければピクサーは前に進めません」

ほとんど泣き落としだ。

「お気持ちはわかります。ですが、モデルを社外に提供したことはないのです」

実のところ、実写映画の情報が欲しいわけではない。作りたいのはアニメーション用モデル、それは実写用と違うものになるはずだ。必要なのはたたき台である。

そう思った瞬間、ひらめいた。

「さっき、モデルは実写用だと言われましたよね? アニメーション用にしか使わないと約束してもだめですか? こちらでアニメーション用に進化発展させます。我々はアニメーションですから、そちらのデータをそのまま使うことはありません。結果はそちらにも還元しましょう。アニメーション用モデルをお返しするわけですよ」

「アニメーション用のデータはどこから手に入れるのですか?」

「モデルは渡せないけど、手は貸すとディズニーに言われています。お宅のモデルとディズニーの支援があればなんとかなるはずです」

サムはしばらくだまって考えていた。

「そうですね。そういうことならいいんじゃないでしょうか」

返事を聞いた瞬間、電話の向こうにワープして彼をハグしたいと思ってしまった。表計算ソフトのファイルでこれほどぞくぞくする日が来るとは思ってもみなかった。モデルを渡さないのは当然のことだ。それを渡してくれるのは、なんとか助けようと思ってくれたからである。ありがたいことだ。

サムの会社からファイルが送られてきて、映画からどういう収益が上がるのかがようやくわかるようになった。少なくとも、興行収入のうち、どのくらいが配給会社に入るのかはわかった。マーケティングにいくらぐらいかかりそうなのかもわかった。ビデオやテレビなどに提供されるのがいつごろで、どのくらいのお金になるのかもわかった。制作予算や利益配分によって実際の利益がどうなるのかもわかった。そのほか、事業をきちんと理解するために必要となる細かなことがあれこれわかった。このモデルをアニメーション用にカスタマイズするために必要な情報は、ディズニーに尋ねた。

ほどなく、アニメーション映画の財務モデルができあがった。粗削りとしか言い様のないものだったが、自分たちのモデルだ。じっくり学んで、完成度を上げていけばいい。出発点としてはこれで十分だ。サラも私も小躍りした。ひっそりとした小さな勝利がびっくりするほどの喜びをもたらしてくれることがある。我々にとってはそういう勝利だった。ほかの人にはささいなことだと思えるかもしれないが、これでようやく、映画事業というものを語れるようになった―そう思えたのだ。いつの日か、裏も表も知り尽くした人になれるかもしれないと思えたのだ。

だが、このモデルから得られた数字を並べてみると、ハロルド・ヴォーゲルが、なぜ、映画会社が株式市場を通じて資金調達するのは困難を極めると言ったのかがわかってきた。投資家好みの安定した利益を出すのはまず不可能。それどころか、興行成績が少し変わっただけで利益が出なくなるなど、リスクがすさまじい。アニメーションには「持越費用」というやっかいな問題もあった。

持越費用とは、制作の作業をしていない社員にかかる費用だ。たとえばアニメーションの作業が終わり、アニメーターの仕事がなくなっても、給与は払わなければならない。ピクサーのように会社が小さいと、持越費用で利益など吹っ飛んでしまう。これはウォルト・ディズニーの時代から続く問題で、アニメーションへの参入障壁になっている。この問題は、実写映画では発生しない。プロデューサーや監督から、俳優、カメラ、エキストラなど関係者を制作のたびに集めるからだ。彼らにお金を払わなければならないのは制作にかかわっている間だけで、あとの面倒は見る必要がない。

アニメーションスタジオはやり方が違う。アーティストもほかの関係者も、全員がスタジオの従業員で、キャリアの初めから終わりまで同じ会社で仕事をする人も少なくない。彼らには映画を制作しているか否かにかかわらず給料を支払わなければならず、制作で忙しくしている期間以外に支払う従業員給与の負担が大きい。上手に計画して暇な期間を作らないようにしないと、ヒットを飛ばしても、その利益が持越費用に消えてしまいかねないわけだ。

私は心配になり、電話でスティーブに訴えた。

「持越費用の問題が心配です。会社が大きくなればなるほど、暇になったとき、持越費用が大きくなります。仕事がなくて暇している人がそれこそ何十人もいて、その給料を払わなければならないかもしれないのです」

「パイプラインの問題だな。全員が忙しく働けるよう、パイプラインに仕事をずらり並べればいいじゃないか」

「それが難しいんですよ。ストーリーが順調に作れればいいんですが、そこが当てにならないわけで。ストーリーパイプライン以外にも選択肢があったほうがいいと思います」

エドにも相談してみた。

「おっしゃるとおり、それは気がかりな点です。でも、やることはあると思うんです。肌のアニメーションや水のアニメーション、風、髪の毛、人間のアニメーションなど、取り組むべき技術的課題がたくさんあります。小さなチームに分かれてそういう課題に取り組めばいい。監督をはじめとする人材を育成するため、短編も作り続けるべきです」

「つまり、映画を制作していないときは、基本的に、未来の映画に向けて研究開発を進める、と?」

―スティーブが確認する。

「そのとおりです。もちろん、みんなに仕事が行きわたるよう、映画制作のパイプラインをうまくコントロールするのは大事です。それを一番の目標にすべきです。でも、それがうまくできないとき、やることはあるわけです」

私としては、やはり、お金の問題が心配だ。

「ただ、それ、事業計画的にはよくない話なんだよね。給料は払わなきゃいけないから。映画制作から研究開発に移しているだけで、コストが発生することに変わりはない。売上につながる製品を作ってもらえれば助かるんだけど」

「ビデオゲームを作ったらどうかとパムが言ってます。映画から派生させる形でゲームを作ったらいいんじゃないかというアイデアがあるんです。何人分かの仕事にはなるんじゃないでしょうか」

対策はいくつかありそうだが、持越費用は致命的な弱点になるかもしれない。映画がヒットしてもそのせいで事業が立ちゆかないことも考えられる。

1995年6月が終わろうとしていた。数カ月後には『トイ・ストーリー』の公開が迫っている。アニメーション事業の可能性は把握できた。と言っても、独立系のアニメーション映画会社が事業として成立するという資料を作ることはできるかもしれないが、ピクサーの場合、利益の大半がディズニーの懐に入る契約に何年も縛られてしまう問題がある。その上に、持越費用の問題だ。

多角化せずアニメーションのみで投資家と渡り合うのはすごく難しいだろうと思う。どうせ無理だと一蹴されるのが落ちだ。新しい会社がハリウッドに参入し、ディズニーに匹敵するアニメーション映画スタジオに成長するなど夢物語にすぎない。何十年もどこもなし得ていないわけだし、ディズニーは大昔に多角化を実現しているのだから。

だが、スティーブからの圧力は高まる一方で、いつ株式を公開できるのかとせっついてくる。まるで、それが最終的な詰めである、株式さえ公開できればすべてうまく行くと考えているんじゃないかと思えるほどだ。私の考えは違う。株式を公開すれば、すさまじい圧力がピクサーにのし掛かってくるだろう。小さなミスまでウの目タカの目で探されることになる。少しでもやり損なえば、やいのやいのと騒がれるはずだ。事態は好転するかもしれないが、裏目に出る可能性も高いのだ。

それに、エンターテイメントの会社という旗をいったん掲げたら、後戻りできない道を進むことになる。レンダーマンソフトウェアの販売をやめる、コマーシャルグループを廃止する、ウォールストリートをはじめとする世界に対し我々はエンターテイメントの会社だと発表する、映画の制作に資源を集中するなどの施策を進めることになるのだ。この道を進みはじめたら後戻りはできない。やりなおしなどできない。だから、資金的にも戦略的にも、精神的にも、万全を期す必要がある。

『トイ・ストーリー』完成にむけてすさまじい圧力がかかっている状態で、それが可能だとはとても思えない。

それでも、あらゆる角度から検討は行った。アニメーション映画専業のエンターテイメント会社となる以外、道はないからだ。スティーブもエドも私もそう思っていた。道がどれほど険しくても、山頂がどれほど遠くても、この山を登るしかない。重い気持ちをひきずり、登り始める以外にないのだ。

PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話
ローレンス・レビー
ロンドン生まれ。インディアナ大学卒、ハーバード・ロースクール修了。
シリコンバレーの弁護士から会社経営に転じたあと、1994年、スティーブ・ジョブズ自身から声をかけられ、ピクサー・アニメーション・スタジオの最高財務責任者兼社長室メンバーに転進。ピクサーでは事業戦略の策定とIPOの実現を担当し、赤字のグラフィックス会社だったピクサーを数十億ドル規模のエンターテイメントスタジオへと変身させた。のちにピクサーの取締役にも就任している。
その後、会社員生活に終止符を打ち、東洋哲学と瞑想を学ぶとともに、それが現代社会とどう関係するのかを追求する生活に入った。いまは、このテーマについて文章を書いたり教えたりしている。また、そのために、ジュニパー基金を立ちあげ、創設者のひとりとして積極的に活動を展開している。
カリフォルニア州パロアルト在住。いまは妻のヒラリーとふたり暮らしである。

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