(本記事は、ローレンス・レビー氏の著書『PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』文響社の中から一部を抜粋・編集しています)

PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話
ローレンス・レビー
ロンドン生まれ。インディアナ大学卒、ハーバード・ロースクール修了。
シリコンバレーの弁護士から会社経営に転じたあと、1994年、スティーブ・ジョブズ自身から声をかけられ、ピクサー・アニメーション・スタジオの最高財務責任者兼社長室メンバーに転進。ピクサーでは事業戦略の策定とIPOの実現を担当し、赤字のグラフィックス会社だったピクサーを数十億ドル規模のエンターテイメントスタジオへと変身させた。のちにピクサーの取締役にも就任している。
その後、会社員生活に終止符を打ち、東洋哲学と瞑想を学ぶとともに、それが現代社会とどう関係するのかを追求する生活に入った。いまは、このテーマについて文章を書いたり教えたりしている。また、そのために、ジュニパー基金を立ちあげ、創設者のひとりとして積極的に活動を展開している。
カリフォルニア州パロアルト在住。いまは妻のヒラリーとふたり暮らしである。

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ピクサー派、スティーブ派

比較
(画像=PIXTA)

ピクサーには1995年2月に着任した。スティーブからなにをしろという具体的な指示はなし。エドが出迎えてくれて、最初の2~3日、社内を案内しては中核メンバーを紹介したり私の役割を説明したりしてくれた。

みな、温かく迎えてくれ、「歓迎しますよ。困ったことがあったら言ってください」みたいなことをあちこちで言われた。ただ、どうもしっくりこないものがある。みな、愛想もよければ礼儀正しくもあるのだが、なんとなく距離を置かれている気がするのだ。最高財務責任者を得たのに盛りあがらないというか、受け入れの努力もあまりないように感じる。お昼を一緒にという誘いもあまりないし、カレンダーの予定もぜんぜん増えない。別に鳴り物入りの大歓迎を期待していたわけではないが、これはさすがに平常運転にすぎるだろう。前回の転職時、私のカレンダーはすぐに予定でいっぱいになった。私に早くなじんでほしいとみなが思ってくれたからだ。だがピクサーでは、警戒されているように感じる。なぜだろう。

理由はじきにわかった。きっかけはパム・カーウィン。バイスプレジデントで、社内のさまざまな業務を統括している女性だ。人当たりがよくて思いやりがあり、同時に、鋭い。年齢は私のちょっと上で40代前半、赤毛が目を引く。物腰が柔らかく、彼女の回りはいつもなごやかである。同時に、ピクサーを守るためならなりふり構わない面もある。執務室は私のところからすぐ。彼女は、私と会って状況をいろいろと教えてくれた数少ないひとりである。

「うらやましいとは思いませんね。あなたは、ご自分の立場がおわかりになっていないのではないでしょうか」

あいさつがすむと、パムはずばっと本題に入った。

「立場って?」

「あなたはスティーブ派でしょう?」

なにを言われたのかわからなかった。不思議そうな顔をしていたはずだ。

「ピクサーとスティーブは、いろいろとあったんですよ。あまりよくない話が。まだご存じないと思いますけど、みんな、スティーブにびくびくしながら働いているんです」

「というと?」

「スティーブはピクサーのなんたるかがわかっていません。ここは芸術系のクリエイティブな場なんです。みんな家族的で、仲間を大事にします。トップダウンも似合いません。ここにいる人は、みんなそれぞれ自分の意見を持っていますからね」

ピクサーの文化を知ることができるのはありがたかったが、このときは、それよりもスティーブに対するパムの感情の激しさが気になった。

「スティーブはオーナーだけど、でも仲間じゃない。評価されていない、認められていないって昔っから感じるんですよね。そんなだから、彼がもっと近づいたらピクサーはだめになる、我々の文化が壊されてしまうとみんな心配しています。そこに、あなたが送りこまれてきたわけです。我々をむちでまとめるために」

最後は、ある意味、そのとおりだ。私はピクサーを立て直しに来たわけで、変化を生みだすのが仕事だと言えば言える。

「まだあります。彼は約束を破った。だから、みんな、怒ってます」

「約束?」

「ストックオプションですよ。約束したのに、結局、実現してなくて。それをどうにかするのもあなたの仕事かもしれませんけど、ともかく、放置が1日伸びるたび、みんなの目がどんどん厳しくなってますよ。ほんの少しでもピクサーが自分のものになる日を何年も前から楽しみにしてきたんですから。ほかの会社に行った友だちはみんなそれなりのものを手にしています。それだけに、ピクサー社員はいらいらが募るんです。おれたちはいいように使われるだけかって。みんなの信頼を勝ちとるのは容易じゃないと思いますよ」

これは厳しい。いまいち歓迎されていない感じだったのも当然だと言える。

現実は、この程度ではなかった。どこに行ってもスティーブに対する憎しみをぶつけられるのだ。特に古参社員のうらみは相当なものだった。「あいつを近づけるんじゃねーぞ」とまで言われたこともある。この言葉は忘れられない。「あいつ」呼ばわりされるとは、スティーブはなにをやったんだ?

こんな驚きはほしくなかった。スティーブについて感じていた不安は当たっていたのかもしれない。そもそも、ピクサーの仕事についてはいろいろと疑念があったのだ。スティーブとの関係はとりあえずよかったが、彼が気まぐれであることは有名で、転職はやめたほうがいいとどの友だちにも言われていた。もっと問題なこともあった。会社そのものだ。ピクサーは10年前からあるのに成果がほとんどあがっていないどころか、スティーブでさえ、毎年垂れ流される何百万ドルもの赤字を穴埋めするのはいいかげんやめたいと言うだけで、どういう会社にしたいのかはっきり語れない状況なのだ。

このあたりは、わかっていて取ったリスクだ。そこに「スティーブ派」といういらん荷物まで背負わされた格好である。秘密の任務など請けおっていないというのに。私には予断も偏見もない。だが、そんなことを言っても始まらない。予想以上に孤立せざるをえないようだ。シリコンバレーから遠いなとは思っていたが、そんな程度の話ではなく、どこか違う星のような感じだ。住人は親切だが、私を仲間として扱うつもりはない。放っておいてもらえればいいほうで、下手すれば疑いの目で見られるのだ。

最初はとまどってしまったが、少し落ちつくと、この状況を逆手に取れないかと考えるようになった。疑いを避けるには、ああやっぱりと思われるようなことをしないのが一番だ。放っておいてもらえるなら、周りの目にわずらわされることなく好きにできる。ひそかに惑星ピクサーを探索することだってできるだろう。

スティーブには、拙速は避けたい、まずは1~2カ月かけて会社をじっくり理解したいと連絡した。いい顔はされなかった。毎月の赤字補填(ほてん)を早くなんとかしてくれというわけだ。

「それは最優先で考えています。でも、どうやればいいのか、方法をみつけるには時間がかかるのです」

こう訴え、なんとか了解を取りつけた。

幹部一人ひとりに対し、しばらくくっついて歩いてもいいか、会議も、参加するわけではないが同席させてほしい、なにをしているのか質問もさせてほしいと頼むことにした。部下と話をさせてほしいともお願いした。管理職というのは、普通、ほかの管理職に首を突っこまれるのを嫌う。私は転職してきたばかりだったおかげで、少なくとも当面はそういう反発を受けずにすむ立場にあった。みな、了承してくれた。

最初は、あてもなくうろうろすることから始めた。ソフトウェアエンジニア、制作経理、技術監督、絵コンテアーティストなど、あちこちの人に、なにをしているのか尋ねて歩いたのだ。

すると、すぐ、コンピューターアニメーションの制作がとても複雑な作業であることがわかった。ワイヤーフレームのコンピューターモデルとして描かれた『トイ・ストーリー』のキャラクターに命を吹き込むのがアニメーターの仕事なのだが、これは神経をすり減らす作業である。キャラクター各部を1秒24フレーム、フレームごとに少しずつ動かしていくのだ。考えただけで気が遠くなりそうだ。たとえ1秒間でも、歩いたり食べたり、しゃべったり、遊んだりすると、体の部位をどれほど多く動かすことになるのか、考えてみてほしい。しかも、空間的・時間的に各部が協調するよう動かさなければならない。でも、これ以外、キャラクターに命を吹き込む方法はない。芸術的な技にも驚かされた。目や口の動きをちょっと変えただけで、シーン全体の雰囲気ががらりと変わるのだ。

いろいろと会議にも参加した。プロダクションの会議。営業の会議。技術的な会議。どの会議もじっと聞くだけだ。いや、よくわからないことを黄色いメモ帳に書きとめていた。たくさん、だ。コンピューターアニメーションの世界にもジャーゴンがたくさんある。そういうジャーゴンも、ピクサーの事業と同じように学ぶ必要があった。

だんだんとやり方は固まっていった。ピクサーの事業は、レンダーマンソフトウェア、コマーシャルアニメーション、短編アニメーション、そして、『トイ・ストーリー』というコードネームの長編映画と4本の柱がある。特許もいくつか所有しており、イメージング用コンピューターの製造販売を試みた時期もある(1991年にあきらめた)。商売になる戦略があるとすれば、このあたりのどれか、あるいはその組み合わせになるはずだ。だから、それぞれについて詳しくならなければならない。手始めはレンダーマンだ。何年も販売してきたソフトウェアパッケージで、ピクサーが誇りとする製品である。

レンダーマンとは、写真に引けを取らない画質のコンピューターイメージを生成するプログラムである。色、光、影の描写というコンピューターアニメーションにおける大問題を写真や実写映像に匹敵するレベルで解決できる。『ジュラシック・パーク』の恐竜、『ターミネーター2』のサイボーグ、『フォレスト・ガンプ/一期一会』の特殊効果など、話題のシーンを生成したのがレンダーマンで、業界で高く評価されている。

1993年には、アカデミー賞の科学技術賞にも輝いた。これはピクサーが大きな誇りとする成果で、授与されたオスカー像は来訪者の目にとまるよう入口ロビーに飾られている。開発はエド・キャットムル、ローレン・カーペンター、トム・ポーター、トニー・アポダカ、ダーウィン・ピーチェイで全員がピクサーにとどまっている。彼らは、コンピューターグラフィックス世界の権威として、ピクサーはもちろん、この世界で尊敬を集める存在である。

レンダーマンには、特筆すべき点がもうひとつある。収益源なのだ。統括しているのはパム・カーウィン。スティーブについて注意をうながしてくれた女性だ。

「この製品は消費者向けじゃありません。特殊効果の制作会社、広告代理店、制作会社、映画の撮影所など、プロフェッショナルがコンピューターアニメーションでハイエンドの特殊効果を生みだすところで使われています」

こう説明してくれたパムに尋ねた。

「顧客は何社くらいあるのでしょうか」

「このレベルの仕事を定期的にしている大手スタジオは、50社前後でしょうか」

50社―ショックな数字だ。50社しか顧客と言えるところがないのか。ずいぶんと小さな市場だ。

「映画用の特殊効果では、たくさんのレンダーマンが使われます。あるいは、まったく使われないか、です。なので、売れる年は売れますが、売れない年は売れません。レンダーマンが使われるのは、予算が潤沢にある映画か、なにがなんでも訴えたいことがある一部コマーシャルだけです。それ以外は、費用がかかりすぎるので使われません」

「販売価格はどのくらい?」

「約3000ドルですね」

ざっと計算してみた。売れる年には、千本くらい売れる。1本3000ドルとすれば全部で300万ドルだ。毎週オーナーがポケットマネーで経費を補填している会社にとってこれは大金である。だが、成長と株式公開を狙うには、はした金と言わざるをえない。ちょっとやそっと増えたくらいではだめ。せめてこの10倍は売れてくれないと困る。

だが、それが不可能であることは明らかだ。顧客が足りない。市場を広げる努力はすでにされていた。そのあたり、パムに抜かりはないのだ。だが、需要がないのではどうにもならない。結局、レンダーマンは、年によって多少上下しつつ、いまぐらいの状態を保てれば御の字というところだろう。実は、前の会社でも似たようなことを経験している。画期的なイメージ処理ソフトウェアを開発し、業界で賞も獲得したが、発売してみたら市場が想定よりずっと小さかったのだ。事業を打ち切るようCEOのエフィを説得するのは私の役目だった。同じことをピクサーでもしなければならないのだろうか。レンダーマンはアカデミー賞を獲得した業界トップのソフトウェアかもしれないが、戦略的に考えれば、道楽のレベルであって事業として成立し得ないと言うしかない。

私が欲しかったのは、もちろん、そんな結論ではない。私は、押しよせる赤字をなんとかするために雇われたのに、最初に考えたのが、多少なりとも売れている製品を切り捨てるべきかもなんて。あわててスティーブに進言することはない。

「弱い」リーダーが最強のチームをつくる
(画像=marvent/shutterstock.com)

スティーブとは電話で連絡を取っていた。ほぼ毎日、たいがいは1日に何度も、だ。時間は特に決まっていない。私の自宅には、キッチンのFAXに並んで仕事用電話が用意してある。この電話が毎晩のように鳴る。スティーブはいつも激しく、トップギアで走りつづけているみたいだったが、会話はいつも気安く、滑らかだった。前回の続きがするっと始まるのだ。家族のことなどで手が放せなかったりしたら、少しあとにかけ直す。会話が始まると、時速160キロメートルまで瞬間的に加速する感じがした。

週末、スティーブは、よく、我が家まで歩いて来た。5分ほどの距離なのだ。

「やあ、ローレンス。散歩に行かないか?」

こう言われるので、一緒にパロアルトの街中をぶらつく。スティーブほどになれば好きなところに行けるはずだが、彼は、近所でいいらしい。オークの古木や古くてすばらしい家屋があると立ち止まって眺める。新しい家屋に興味を引かれることもあった。大学通りまで足を伸ばし、マルゲリータピザを食べてくることもあった。

散歩中の会話はのんびりしており、ビジネス以外のこともよく話し合った。家族について、政治について、映画について、好きなテレビ番組についてなどだ。ふっとピクサーのビジョンや戦略に話が転じることもあった。

この散歩でレンダーマンの話を出してみた。

「つまり、レンダーマンで得られる多少のお金は捨てがたいが、それで成長することはできない―そういうことかい?」

「そのとおりです」

 スティーブは納得しない。

「業界をリードする製品で、映画を作るのに必要なものなら、値段を上げればいいんじゃないか?1本3000ドルを6000ドルとかそれこそ1万ドルとか。必要なら払うだろう」

どうしても必要ならそうなるだろうが、大半のプロジェクトでは不要なのが問題だ。

「あの手のソフトウェアではレンダーマンが一番かもしれませんが、やり方はほかにもいろいろとあります。技術的には劣るやり方ですが、でも、選択肢ではあるのです。そして、コンピューターアニメーションによる特殊効果の制作予算は限られています。スティーブン・スピルバーグが『ジュラシック・パーク』の恐竜を描くとか、ジェームス・キャメロンが『ターミネーター』でサイボーグを描くとかは例外で、普通なら、品質が下がってもよしということになるのです」

スティーブは結論に飛んだ。

「レンダーマンを売るのは止めろと言いたいのかい?」

「かもしれません」

ちょっとぼかした答え方にした。これは大きな決断になるし、いまはまだプッシュしたくないからだ。

「気になっているのは手間です。顧客のサポートに優秀なエンジニアの手が取られています。彼らにはほかの仕事をしてもらったほうがいいかもしれません」

レンダーマンは社内専用とし、販売と顧客サポートに投入している多大な労力を節約したらどうかというのが私の考えだった。

「レンダーマンをどうしようと、成長戦略や株式公開にはまったく影響しません」

スティーブは納得してくれたようだ。がっかりした様子もない。この件については、このあとも折々検討しなければならない。初手ならこのくらいで十分だろう。

ピクサーについて学んでいたころ、しょっちゅうエドと会った。執務室がすぐ隣ということもあって気軽に話ができたのだ。そして、ピクサーの歴史や文化、技術について多くを教えてもらった。また、ピクサーの人々と話をしたり議論をしたりした結果、ピクサーが温かくて居心地のよい会社であることもわかってきた。エドやパムら幹部の尽力によりオープンで家族的な雰囲気になっており、最初こそ新任の最高財務責任者に対して警戒感があったものの、だんだんと打ち解けた話ができるようになっていった。

エドから聞いたことのなかに、レンダーマンの基本的機能を支えるピクサー特許の話があった。レンダーマンが画期的なのは、モーションブラーという機能があるからだ。そのおかげで、コンピューターで生成したイメージを実写と同じような感じに動かせる。対して、この機能を使わずコンピューターでイメージを生成すると、くっきりしすぎて違和感が出てしまう。この問題が解決できたから、実写映画の一部にCGを使うことが可能になり、コンピューターによる特殊効果の時代が訪れたのだ。

レンダリングで必ず必要になる機能であり、ピクサーの特許を使わずにこの機能を実装するのは難しい。この特許を侵害している有名どころは2社―マイクロソフトとシリコングラフィックスだ。どちらも、CG業界にワークステーションを大量に提供している大手サプライヤーである。

ついにみつけた、と思った。収益の芽だ。ピクサーの特許がどうしても必要なものなら、かなりのライセンス料を取れる可能性がある。成功すれば、少なくともしばらくはスティーブの負担を減らせる。ただ、簡単にはいかない。マイクロソフトに電話をかけ、「ウチの特許を侵害されてますよね。その対価として、ン百万ドルいただきます」と言えるような話じゃない。まずは、訴える準備をしなければならない。つまり、特許侵害をきっちり告発する準備を弁護士に頼んでしてもらわなければならない。開戦準備だ。国境に多くの兵士を並べなければ無視されるのが落ちだ。

マイクロソフトとシリコングラフィックスを特許侵害で訴えるべきか否か、エドとリスクの検討を進めた。

「法廷闘争が長期にわたる可能性がある。それは、ピクサーとそのエンジニアにとってかなりの足かせになるだろう」

こう指摘してもエドはひるまない。

「連中が侵害してるのはまちがいないんだ。あの技術は我々が開発した。それをほかの人にただで使わせる法はない。ピクサーは財政的に苦しい状況なのだからなおさらだ。勝算があると弁護士が判断するなら、やるべきだと思う」

続いてスティーブと相談だ。

「マイクロソフトとシリコングラフィックスがピクサーの特許を侵害していて、ライセンス料が要求できる、と?」

「そういうことです。しかも、ピクサー側に失うものは特にありません。ウチもシリコングラフィックスのコンピューターを使っていますが、ほかにも選択肢はあります。いずれにせよ、彼らとしても顧客を失いたくはないはずです。問題は、弁護士の費用がかかること、そして、ほかにやらなければならないことがあるのに、マイクロソフトとシリコングラフィックスを法律闘争に巻き込むのに時間を使わなければならないことです」

スティーブにとってマイクロソフトは、PC業界の覇権を争ったアップル時代からの旧敵だ。そこに一太刀浴びせられそうだという話にスティーブは目を輝かせた。

「やろう。ピクサーは開発に何年もかけたんだ。それをただで使うなどけしからん。特許を侵害している製品などつぶしてしまおう」

「つぶすよりライセンス料を取るほうがいいでしょう。彼らの製品は我々にとって脅威でもなんでもありませんから」

「ライセンス料か。いくらぐらい取れるかな。相手は大会社だし、我々の特許は彼らのグラフィックス事業に欠くことができない大事な技術だ。5000万以上は取れるんじゃないか」

「ありえますね」

実際、そのくらいでもおかしくない話ではある。ただ、弁護士をしてきた経験から言わせてもらえるなら、その額を払わせるには法廷でたたきのめす必要がある。それには何年もの時間と何百万ドルものお金がかかる。

「でも、我々が正当だと考える額をきっちりもらうために戦うより、交渉で話をまとめたほうがいいと思います。早期に決着し、のどから手が出るほどほしいキャッシュをすぐ手に入れるのが、ピクサーにとって一番いい形でしょう」

スティーブとしては気に入らない考え方だ。マイクロソフトにとってもシリコングラフィックスにとっても、500万ドルや1000万ドルなど必要な特許の対価としてははした金にすぎない。

スティーブが言うこともまちがいではない。ただ、めいっぱい取ろうとするのは現実的じゃないと思ったのだ。最終的に勝てるとしても、法廷闘争を続けるのはピクサーにとって得策ではない、と。ピクサーにとって特許のライセンスは事業戦略ではない。1~2回、キャッシュ獲得のために行う財務戦略にすぎないのだ。時間稼ぎにはなるが、これで長期的な成功が約束されるわけではない。

ぐだぐだ言うな、オレの言うとおり、マイクロソフトとシリコングラフィックスに2500万ドルずつ請求しろと言うこともスティーブはできた。だがそうしなかった。私との間で落としどころを探ることにしたのだ。結局、私が想定していたよりは多いがスティーブが望んだよりは少ない額を請求することになった。

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この戦略は成功だった。ライセンスの契約交渉はマイクロソフトが3カ月、シリコングラフィックスが1年ほどでまとまった。妥結額はマイクロソフトが650万ドル、シリコングラフィックスはもう少し多い額だ。また、シリコングラフィックスからは、映画制作に必要なコンピューターの購入に利用できる一定額の信用も手に入れた。こうして、のどから手が出るほど欲しかったキャッシュが手に入り、スティーブもご機嫌になった。資金不足を自分のポケットマネーで補填しなくていい。初めてのことだ。もちろんしばらくのあいだはという条件付きだが、長期戦略を考える猶予は得られたと言える。

スティーブとは、いつもだいたいこんな感じのやりとりだった。大きな問題でも小さな問題でも、スティーブは激しい議論を展開する。議論は同意できる場合もあれば同意できない場合もある。同意できない場合、私は、彼が激しいから譲歩するのではなく、あくまで事態の打開に資するから譲歩という姿勢で臨む。スティーブも、自分の考えを押しつけるより、議論で互いに納得できる結論を出し、ともに歩むほうを好んだ。ピクサーにおける事業や戦略は、彼が選んだものでも私が選んだものでもなく、こういうやり方で得た結果だと思うと、何年もあとにスティーブからも言われている。

次に手を付けたのはコマーシャルアニメーションのグループだった。数人の小さなチームで、彼らは、廊下の端っこにある小さなスペースで仕事をしていた。彼らがピクサーのツールで生みだすコマーシャル用アニメーションは高く評価されていた。キャンディのライフセーバーやマウスウォッシュのリステリンで広告界最高峰のクリオ賞を獲得していたし、クッキーのチップスアホイでは、チョコレートチップクッキーが踊る一連の広告が注目を集めていた。

グループを率いるのは、まじめな若手プロデューサー、ダーラ・アンダーソンだ。いつもにこにこと人当たりがいいが、頭の回転は速く、混乱のさなかでもすべてを把握しているイメージがある。その彼女が、浮き沈みの激しいコマーシャル用アニメーション制作について詳しく語ってくれた。仕事は散発的でいつあるかわからないし、予算はいつもありえないほど厳しい。30秒のアニメーションでも、3人から4人のチームで3カ月もかかるし、12万5000ドルほども費用がかかる。利益などごくわずか、ほぼとんとんのレベルでこの数字なのだ。見積りをまちがえたり想定外の問題が起きたりすれば、儲けなど吹っ飛んでしまう。

「この業界は、どこも、ぎりぎりでやっています。実際問題として赤字のところが多いのです。ピクサーは高く評価されているし作品も気に入ってもらっているので信頼はされていますが、高いという問題があります。アニメーションは最高だけれど、値段が高すぎて受注できないことが多いのです」

つまり、価格の引き上げも受注量の増大もちょっと考えられない。残念なことだとダーラはため息をつく。

「いい仕事をしているんですけどね。みな、全身全霊を仕事に傾けています。でも、その品質が認められるとはかぎらないのです」

コマーシャルアニメーションの売上は小さく、利益はないに等しい。収支にはっきり貢献するには、事業規模も相当に拡大しなければならないし、収益性も大きく高めなければならない。だが、話を聞いたかぎりでは、いずれも無理だとしか思えない。ここでも、将来性のない事業に人材を投入しているわけだ。おかげで才能ある人々が忙しく働くことはできているが、会社の成長戦略としては、コマーシャルアニメーションも袋小路である。

レンダーマンもコマーシャルアニメーションもだめとなると、成長を実現できる選択肢はかなり限られてしまう。心配だ。

次は短編アニメーションをチェックした。

短編アニメーションはいくつもの賞を受けるなどとても好評で、ピクサーを有名にした主因のひとつである。すばらしい、創造性という面でも技術面でも画期的だとグラフィックス業界でも映画業界でも高く評価されており、コンピューターアニメーションというエンターテイメントの分野を拓いたと言われている。1作目は1986年制作の『ルクソーJr.』である。私は、会社を見学に来てエドと会った際に見せてもらった。

『ルクソーJr.』は大きなランプと小さなランプの物語を描いた2分の短編で、ボールで楽しく遊んでいた小さなランプが、うっかり、ボールをしぼませてしまう。これを見ると、コンピューターアニメーションで動く2台のランプがはしゃぎすぎておもちゃを壊してしまう子どもとそれを見守る親なのだとすぐにわかる。ちょっとした失敗を乗りこえる親子の世界に引き込まれるのだ。この短編は、アカデミー賞の最優秀短編アニメーション賞にノミネートされた。

エドはこう語ってくれた。

「コンピューターアニメーションでストーリーやキャラクター、感動を伝えられると初めて示せたのが『ルクソーJr.』です。ピクサーにとっても、映画業界にとっても大きなブレークスルーで、あちこちで見せるたびに驚かれました」

『ルクソーJr.』を皮切りに、1987年には『レッズ・ドリーム』、1988年には『ティン・トイ』、1989年には『ニックナック』とピクサーは短編アニメーションを次々に発表し、好評を博した。なかでも『ティン・トイ』は、アカデミー賞の最優秀短編アニメーション賞に輝いた逸品である。

だが、問題がひとつだけあった。お金にならないのだ。短編アニメーションは愛情から制作されるか、ピクサーのように、技術や物語構築のプロセスを試し、開発するために制作されるものだからだ。展示会や映画祭で上映されたり、場合によっては映画館で本編の前に上映されたりするが、お金は一銭も入らない。なのに制作費はすさまじくかさむ。経済性を分析するまでもない。市場そのものがないのだ。

利益を上げられる事業など、どこをどう探しても出てこない。厳しい診断を伝えるのも医者の務めだが、私は、お先真っ暗だと進言するために雇われたわけではない。スティーブが欲しいのは前向きな回答だ。だが、それがみつからない。

ある晩、夕食のあと、このあたりについてヒラリーと話をした。

「ピクサーは謎な会社だよ。あれほどの才能が集まっているのは見たことがない。しかも、みな、すさまじく努力している。なのに、やることなすこと、失敗か、将来の展望が得られないものばかりで、努力に見合うものがない。必死で走っているのに前に進めていないんだ」

「その状態で、会社が倒れずにこれているのはなぜ?」

「スティーブが片意地を張るタイプだからだろうね。ここまでがんばる投資家なんていないよ。そんな彼も、さすがに心配になってる。5000万ドル近くもつぎ込んだのに、成果は上がっていないに等しいんだから」

「調べは終わったの?」

「いや、まだだ。『トイ・ストーリー』のことがよくわかっていない」

「私ならもう少しがんばってみるわ」

励まそうとしてくれているのだろう。

「そのあたりから、なにかいい話が出てくるかもしれないじゃない」

このあと、私は、惑星ピクサーで一番の混沌(こんとん)を探索することになる。