(本記事は、ローレンス・レビー氏の著書『PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』文響社の中から一部を抜粋・編集しています)

トイ・ストーリー, PIXAR
(画像=Wayo/Shutterstock)

ディズニーとの再交渉はいましかない

年が明けて1996年になるころ、ピクサーは、映画1本ではなく2本を制作する体制となっていた。『バグズ・ライフ』の制作が本格化すると同時に、『トイ・ストーリー』の続編、『トイ・ストーリー2』の制作が始まっていたのだ。

『トイ・ストーリー2』は映画館では上映せず、ホームビデオとして発売することになっていた。ディズニーは、このころ、『アラジン』の続編『アラジン/ジャファーの逆襲』など、オリジナルビデオで大成功を収めていたからだ。このような続編は映画館からの収益が望めないため、制作コストを大幅に引き下げないと採算が取れない。

オリジナルビデオで成功できるレベルまで制作費用を引き下げるのは難しいだろうと私は公言していた。『トイ・ストーリー』のテレビゲームも制作が始まっていたが、こちらにも同じ問題がある。ゲームを作るのはいいが、制作費用がとにかくかさむのだ。ディズニーには続編を安価に作るノウハウが蓄積されているが、費用をあまりかけずにコンピューターアニメーションを作る方法がないピクサーは大変である。

『トイ・ストーリー2』には問題がもうひとつある。ディズニーとの契約に定められた3本の映画にカウントされないため、これを作ると契約が長引いてしまう点だ。ここまで、この契約を少しでも早く終わらせる手だてはないかと苦心してきたというのに。それでも、続編は作りたいと社内は盛りあがっていた。クリエイティブチームも制作チームも、劇場用に比べれば時間も費用も削減してみせると意気込んでいるし、続編を作れば持越費用の問題が少しやわらぐというメリットもある。映画を作っていなくても制作部門の給与を払わなければならないという例の問題だ。悩んだ末、短い時間でできるはずだと考え、続編は作ることにした。

同時に、スティーブと私は、やはり事業戦略4本柱のひとつである映画収益の取り分を増やす算段をつけようとしていた。言い換えれば映画配給契約の問題だ。いまはディズニーとしか配給契約を締結していないが、将来的にはユニバーサルやフォックス、パラマウント、ワーナー・ブラザース、コロンビアなどほかの大手スタジオとも結ぶ可能性がある。

過去60年ほど、映画の配給は大手スタジオが独占してきた。世界各地の劇場に映画を配給できるネットワークを持つのは彼らだけなのだ。大作なら、米国だけでも2500軒から3000軒の映画館で上映される。そのためには大手スタジオに頼むしか方法はなく、その契約書には、収益の何パーセントがピクサーの懐に入るのかが明記される。事業戦略4本柱のもう1本、ブランドの問題もこの契約書に記載される。作った映画にピクサーの名を冠するためには、配給するスタジオに同意してもらう必要があるのだ。

選択肢はふたつ。いまの契約が終わるまでがまんし、その後、ディズニーなり他の大手スタジオなりと新たな契約を結ぶか、あるいは、いま、ディズニーと再交渉するか、だ。いまの契約が終わればなにをしようが自由になるが、そのためには8年も待たなければならないかもしれない。ピクサーにとっては、いまディズニーと再交渉するのが得なのか(再交渉できるのか、という問題もある)、それとも、しばらく待ってからディズニーなり他のスタジオなりと新しい契約を結ぶのが得なのか、どちらなのだろう。IPOのときと同じように、スティーブと私は、この問題にほぼかかり切りとなった。

「ディズニーに再交渉を持ちかけるのであれば」

1996年1月初旬のある晩、私は、こう口火を切った。

「『トイ・ストーリー』成功の記憶がまだ生々しくあるいま、真剣に考える必要があります」

「待ったほうがいいという考え方もある。そうすれば、他のスタジオとも交渉できるようになり、好きなところを配給のパートナーに選べるからね」

契約条件の変更をディズニーに持ちかけるべきか否か、持ちかけるならいつにすべきか、ふたりとも決めかねていた。いま再交渉すれば、残り2本についてももう少しいい条件にできる可能性がある。だが、契約終了までがまんしたら、もっといい条件が得られるかもしれない。我々は、くり返しこの件について話し合った。何度も、賛成・反対の立場を入れ替えて議論をした。将来の選択肢をあきらめてもいいと思えるほどいい条件が引きだせるならいま再交渉すべきだが、そこまででなければやめておくべきだ。どちらに転ぶか、どう判断すればいいのだろう。

難しい判断である。ビジネス上の関係においては、いや、あらゆる関係において、違いを生みだすのは、戦力と手腕のふたつだ。

ここで言う戦力とは、交渉を有利に運ぶ力のことだ。自分に都合のよい変化を得る力と言ってもいいだろう。力が強ければ強いほど、望みの結果が得られる可能性が高くなる。ポーカーでは、手札の強さがこの戦力に相当する。対して手腕とは、この戦力を背景に最高の結果を引きだす戦術のことだ。手札をどう使うのか。具体的には、度胸、不安、ねばり強さ、頼もしさ、発想の豊かさ、冷静さ、立ち去る勇気、非常識な言動などが挙げられる。交渉に使える力が戦力であり、その戦力をどう使うのかが手腕である。交渉の上手な人なら、同じ戦力で多くの戦果を挙げられる。

ディズニーと契約を結んだときのピクサーは、戦力も手腕も足りていなかった。ハードウェア事業をあきらめたばかりで、水面に顔を出した状態をなんとか保とうと苦労している最中だったし、長編映画を作ったこともなかった。これでは十分な戦力などあるはずがない。手腕については、珍しくスティーブが弱っていた時期だったのではないかと思う。でも、それから4年以上がたっている。「まやかしは、一度目ならだましたほうが悪い、二度目はだまされたほうが悪い」―スティーブがよく口にする警句だ。4年前と同じことにはならないだろう。

というわけで、いま、再交渉に使える戦力を把握しなければならない。十分な戦力のないまま再交渉をもちかけた場合、丁重に断られればいいほうで、顔を洗って出直せと追い返されることもあり得る。

1996年1月末の金曜日、出社したスティーブとふたり、窓もない小さな会議室にこもってピクサーとディズニーの力関係を検討した。いつものように、部屋の正面に置かれた木枠のホワイトボードに要点を書き記していく。すでに検討したポイントばかりだが、並べてみれば見えてくるものがあるかもしれない。スティーブがホワイトボードの真ん中に線を引き、左にディズニー、右にピクサーと書いた。ディズニー側にはディズニーの戦力となることを書き出し、ピクサー側にはピクサーに有利と思われることを書きだしていくのだ。

ディズニー側の強みとしてまず指摘すべきはこれだろう―「契約修正に応じる義務がない」だ。

「交渉のテーブルにディズニーを無理やりつかせることはできないんだよね。映画3本分の契約があるわけで、そのままがいいと彼らが思えばそれでおしまいだ」

「いまの契約で、我々に、もう2本、作らせることができます。利益の大半がディズニーの懐に入る、契約が終わるまで我々は他のスタジオと話をすることもできない。彼らにとってすごくいい条件だと言えます。これを変えたいと彼らが思うはず、ありませんよね」

スティーブがディズニー側にふたつ目のポイントを書き込む―「コンピューターアニメーションにみずから乗りだしてもいい」だ。

『トイ・ストーリー』の大成功をうけ、ディズニー社内ではコンピューターアニメーションの可能性を見直す作業がおこなわれているはずだ。その結果、優秀な人材を集めてコンピューターアニメーションの内製に乗りだすべきだとなる可能性もある。

「ディズニー自身がコンピューターアニメーションに乗りだすなら、我々との契約を延長したいと思うことはないだろう」

「ディズニーには十分な資源がありますしね。それに、時間も味方に付けています。コンピューターアニメーションを内製する準備が整うまでの数年間は、我々との契約でしのげばいいわけですから。立ち上げの時間を我々が作ってあげているようなものです」

ディズニーにとって、これ以上の戦略はないかもしれない。不要になるまでピクサーを使い倒せばいいのだし、しかも、その間、利益の大半が懐に入る。契約が終わるころにはコンピューターアニメーションを内製する準備が整うから、ピクサーなど捨てればいい。

「もうひとつ、ディズニーにはアニメーション映画のノウハウがあるので、他のスタジオより多くのものをピクサーに提供できると考えているに違いないという点も、ディズニー側の強みとして挙げられますね」

「ピクサーにとって他社はディズニーに劣る」―ディズニー側にスティーブが1行書き足した。

アニメーション映画の配給ということでは、どう見てもディズニーが一番だ。おもちゃや服など関連グッズの商品化能力もずばぬけているし、映画やそのキャラクターがたくさん登場する世界最高のテーマパークがあるし、アニメーション映画におけるディズニーブランドは他のスタジオでは得られない信頼の看板となる。これほどの力を他で得られるのかと問われれば、疑問だと言わざるを得ない。ディズニーがピクサーを必要とする度合いより、ピクサーがディズニーを必要とする度合いのほうが大きいはずだとディズニーは考えるかもしれないし、実際、そうなのかもしれない。たしかに、これは我々の戦力をそぐ要因である。

次にスティーブが書き加えたのが「ピクサーはヒット作1本しか実績がない」だ。

「まだヒット作1本しか出せていない。ヒットを続けられると証明するまで、ディズニーは契約の改定をいやがるかもしれない」

いわゆる一発屋問題である。ヒット1本では実績として認められないのだ。

「ディズニー側に有利なポイント、ほかにまだあるかな?」

「先日話題に出た点がありますね。アイズナーがアニメーションに対する興味を失いつつあるかもしれないというやつです。彼は、つい先日、大金を投じてABCを買いました。これでESPNも傘下に収めたことになります。今後、アニメーションは二の次になるかもしれません」

マイケル・アイズナーはディズニーのCEOだ。移り気で知られており、展開が読みづらい。アニメーションに対する興味を失うというのはさすがにないかもしれないが、テレビなど他のメディアに対する興味のほうが勝ることは考えられる。ABC社の買収に190億ドルも投じたのだ。今後、ディズニーがそちらに舵を切ることはあり得るだろう。

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(画像=ImageFlow / Shutterstock.com)

私の指摘を受け、スティーブが「アニメーションの優先順位が下がりつつあるかもしれない」と追記する。

これで、ホワイトボードのディズニー側は次のようになった。

ディズニー

  • 契約修正に応じる義務がない
  • コンピューターアニメーションにみずから乗りだしてもいい
  • ピクサーにとって他社はディズニーに劣る
  • ピクサーはヒット作1本しか実績がない
  • アニメーションの優先順位が下がりつつあるかもしれない

どれひとつを取っても、ピクサーにとって厳しい状況である。それがこれほどたくさん重なっているのだ。ピクサーの戦力はお寒いかぎりと言わざるをえない。交渉の戦略はすべてディズニーに握られている、ピクサーは象にたかるハエにすぎないと言われてもおかしくない。利用価値があるあいだはたからせておくが、価値がなくなった瞬間、ぴしゃりとたたきつぶすことができる、と。

でも、結論を出すのは早すぎる。ピクサー側も埋めてみなければ。

ピクサー側に、まずスティーブが書いたのは「制作費用をIPOのお金でまかなえる」だ。

「制作費用を自分たちでまかなえるようになった。ディズニーに全額払ってもらう必要はない」

そもそも、そのためにIPOをしたのだ。お金がものを言うというが、そのお金が潤沢にある状態になるために。次作の制作費用は5000万ドル近くに達すると思われるし、それ以降はさらに上がるものと思われる。その半分を負担すると言えば、ディズニーの注意を引けるはずだ。

次の項目は私が提出した。『トイ・ストーリー』が成功した、である。

これをスティーブがホワイトボードに書き込む。

「あれほどの成功を収めるとはだれも思っていませんでした。なかでもディズニーは特に」

『トイ・ストーリー』はロングランが続いており、北米興行収入が1億7000万ドルを超えるなどディズニーの予想を大きく上回る成績を挙げている。風変わりな実験だと思っていたコンピューターアニメーションが世の中に広く受け入れられてしまった格好だ。ピクサーの制作だと一般には知られていないかもしれないがディズニーは知っているわけで、ピクサーもコンピューターアニメーションも子どもだましだと切り捨てるわけにいかなくなっているはずだ。

「これだけで再交渉のテーブルにつかせるのは無理ですが、ピクサーに気持ちよく仕事をしてもらったほうが得策だと思ってもらうことはできるでしょう」

ハリウッドでは成功が大きくものを言うと、ハリウッドのスーパー弁護士で取締役にもなってもらっているスキップ・ブリッテンハムから聞いている。であれば、いま、ピクサーの星は強く輝いていることになるし、それは我々の力になってくれるはずだ。

「ドリームワークスの問題も考えるべきでしょう」

ドリームワークスは、1994年にジェフリー・カッツェンバーグがウォルト・ディズニー社を辞めて創設した映画スタジオだ。盛んに行われた報道によると、マイケル・アイズナーCEOがカッツェンバーグを社長にしなかったことが原因らしい。カッツェンバーグはウォルト・ディズニー・スタジオの会長として、アニメーション復活の立役者となった人物だ。その彼がスティーブン・スピルバーグとデビッド・ゲフィンとともに立ちあげたのがドリームワークスで、ディズニーと正面からぶつかるアニメーションスタジオの創設と実写映画に乗りだすとしている。

ピクサーにとってドリームワークスの影響はふたつ考えられる。ひとつは、ドリームワークス・アニメーションがピクサーの競争相手になる可能性がある点。もうひとつは、ドリームワークスとの競争を考え、ピクサーの機嫌を損ねないでおこうかとディズニーに思ってもらえる可能性がある点だ。ディズニーとしても、過去60年以上も競争相手のいなかったアニメーション分野で1社どころか2社と競争するより、ピクサーを自陣に囲い込んでおいたほうがいいはずだ。

「カッツェンバーグとしては、アニメーションでディズニーに勝つのが一番の目標でしょう。ディズニーにとってはトゲのような存在です。ピクサーをほかのスタジオに取られ、ドリームワークスがアニメーションで成功すれば、アイズナーは、アニメーションで破れたディズニーCEOだと言われてしまいます」

こう指摘すると、スティーブは、「ドリームワークスはディズニーに対する脅威である」とホワイトボードのピクサー側に書き込んだ。

続けて、「待てば条件がよくなる」と書く。

「ディズニーといま交渉せずにいれば、契約が終わったあと、もっといい条件が得られるはずだ。複数のスタジオを競わせられるからね。いま、ディズニーから引きだせるよりずっといい条件、たとえば収益の80%とかそれこそ90%だって夢じゃないよ」

「そうとは言い切れないでしょう。次作がこけたりすれば、条件はむしろ悪くなりかねません。待ちはプラスになる場合とマイナスになる場合が考えられます。いまディズニーと交渉すれば、いますぐ条件がよくなるかもしれません。『バグズ・ライフ』から条件が好転する可能性もありますよ」

「でも、アニメーションでずばぬけた実績がある分、ディズニー相手だとどうしても分が悪いじゃないか。あとでほかのスタジオと契約したほうが条件はよくなると思うな」

ディズニー相手だと条件が悪くなる、ほかのスタジオに対するより多くを渡さなければならなくなるという点は私も同感だ。だが、ほかのスタジオと交渉したときどうなるかは、その時点におけるピクサーの実績次第だとも思った。いずれにせよ、いま、結論を出す必要はない。

さて、ホワイトボードの表は次のようになった。

ディズニー

  • 契約修正に応じる義務がない
  • コンピューターアニメーションにみずから乗りだしてもいい
  • ピクサーにとって他社はディズニーに劣る
  • ピクサーはヒット作1本しか実績がない
  • アニメーションの優先順位が下がりつつあるかもしれない

ピクサー

  • 制作費用をIPOのお金でまかなえる
  • 『トイ・ストーリー』が成功した
  • ドリームワークスはディズニーに対する脅威である
  • 待てば条件がよくなる

先行きを見通すのは難しい。強みはあるとふたりとも思っている。だが、それは、再交渉のテーブルにディズニーをつかせ、こちらに有利な条件を飲ませられるほどだろうか。少なくともやってみられるくらいの強みはあると思う。

「やってみるべきだと思います」

ピクサー側の項目は、どれひとつを取っても、それだけでディズニーを交渉のテーブルにつかせられる可能性を秘めている。それに、うまくいかなければ待てばいいだけの話なのだ。

スティーブもその点には異論がないようだ。

「ただ、ディズニー側からアプローチさせたいな。特大のヒットを飛ばしたんだ。アイズナーも、我々に機嫌よく仕事をしてほしいと思うんじゃないかな」

スティーブの言うとおりだ。ディズニーが先に動いてくれるならそのほうがいい。下手(したて)に出るようなことはしたくないし、金に困っていると見られるのも避けたい。ピクサーから動くのは得策と言えないだろう。

「それはそのほうがいいでしょうね。ただ、アイズナーがそういうことをするのは考えにくいと思います。あれこれ軽々しく口にするタイプじゃありませんから。ピクサーの機嫌を多少取ってもいいかなと思っても、いましなければならない理由もありませんし。『トイ・ストーリー』の熱が冷めないうちに我々から動いたほうがいいかもしれません」

「で、断られたら? ディズニーとの関係が悪くなって、残り2本の制作に影響が出るかもしれないよ?」

「制作への影響は避けたいですね。ビジネス面の関係とクリエイティブな関係をきちんと切り分ける必要があるでしょう」

「じゃあ、話を持ちかけるとしたらどういう条件にするのか、考えてみようか」

これも、スティーブとずいぶん検討した点だ。ディズニーに再交渉を持ちかけるなら、要求をはっきりさせておく必要がある。交渉戦略だ。

交渉では、落としどころを用意したうえでこれは難しいだろうと思う条件を打ち出すのが普通だ。このやり方ではあらかじめ落としどころを考えなければならず、そのせいで弱腰になりがちという欠点がある。自分自身を相手に交渉する感じになってしまうと言ってもいい。できればこのくらいという条件を要求してはいるが、心の中では、落としどころでもいいやと思ってしまっているわけだ。

スティーブも私も、そういうやり方は嫌いだった。落としどころなど用意しない。スティーブの場合、要求をいったん決めたらそれが絶対になる。望むものが得られないなら、代わりになるものなどない、よって、交渉は打ち切る―そのくらいの覚悟で交渉に臨むのだ。だからスティーブはすさまじいばかりの交渉力を発揮する。自分の条件にしがみつき、譲歩しない。ただし、やりすぎてすべてご破算になるおそれもある。落としどころを用意しないのであれば、なにを要求するのか、慎重に考える必要がある。

スティーブは、色の違うペンに持ち替えると、ホワイトボードの別の部分に「新しい契約条件」と書いた。

そして、そのすぐ下に「1.クリエイティブな判断の権限」と書く。

「クリエイティブな判断は任せてもらわなくちゃ、ね。すごい映画が作れるって証明したんだから。クリエイティブな判断をディズニーに仰ぐようなことをいつまでも続けるわけにはいかないよ」

スティーブン・スピルバーグやロン・ハワードなどの有名監督ならいざしらず、外部資金で映画を作る独立系制作会社にクリエイティブな判断の権限を与えるなど前代未聞だ。普通なら、お金を出すところが判断の権限を握るのだ。でも、ピクサー社内では、ジョン・ラセターらにクリエイティブな判断を任せると決めており、彼らに社外からかかる圧力も減らしてやる必要がある。

「この点については、制作費用を自前でまかなう用意があるというのが強みになりますね。ですが、多少なりともお金を出すかぎり、ディズニーはいやがるでしょうね」

いずれにせよ、ここは譲れないポイントだ。

「もうひとつ、絶対に手に入れなければならないのが、有利な公開時期ですね」

公開時期は大事だ。特に、山のような予算をつぎ込んで作るファミリー映画にとっては大事だ。一番いいのは、夏休み時期と感謝祭からクリスマスの時期だ。これ以外は、興行成績ががっくり落ちてしまう。ディズニーであれほかのスタジオであれ、一番いい時期に公開するという条件は必須である。

「自社制作の映画と同列に扱ってもらわないと、ね」

こう言いながら、スティーブがホワイトボードに「2.有利な公開時期」という1行を追加した。

続けて、「3.収益は正しく折半」と書く。

これも譲れない。財務面の分析で映画収益の少なくとも半分はもらわないとやっていけないと出ているからだ。

「正しく折半だ。公平に計算して、ね」

「昔から使われてきたスタジオに有利なハリウッド方式ではなく、ですね」

次の項目は私から出した。

「あと、ブランドの問題がありますね。ピクサーの映画はピクサーの名前で公開してもらうというやつです」

これも、何度話し合ったかわからない点だ。スティーブが「4.ピクサーブランド」とホワイトボードに書き込む。

「映画を作っているのは我々だ。それを知ってもらわなくちゃ、ね」

これは事業計画を支える4本目の柱でもある。

「まだなにかあるかい?」

「大事なポイントは出尽くしたと思います。譲れないポイントはこのくらいでしょう」

ホワイトボードには、次のような文言が並んでいた。

新しい契約条件

  1. クリエイティブな判断の権限
  2. 有利な公開時期
  3. 収益は正しく折半
  4. ピクサーブランド

交渉ではほかにもさまざまなことを取りあげるわけだが、この4項目はなにがなんでも実現しなければならない。どれかひとつでもあきらめたら、ピクサーの未来が暗礁に乗り上げてしまう。絶対に譲れないのだ。

「これで準備完了でしょう」

「じゃあ、僕からアイズナーに連絡しよう。我々の考えを伝えるんだ」

これが正しい手だと私は考えていた。ちょっと怖いという思いもあった。欲の皮が突っ張りすぎだとはねつけられたら、短期的にはもちろん、中期的にも財務状況を改善できる望みが消えてしまう。だが、検討はあらゆる側面から十分におこなった。あとは、ディズニーと再交渉してみるしかない。どうなるのかまったくわからないが、ひとつだけ確かなことがあった―スティーブからア イズナーへの電話でピクサーの将来が決まるということだ。

PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話
ローレンス・レビー
ロンドン生まれ。インディアナ大学卒、ハーバード・ロースクール修了。
シリコンバレーの弁護士から会社経営に転じたあと、1994年、スティーブ・ジョブズ自身から声をかけられ、ピクサー・アニメーション・スタジオの最高財務責任者兼社長室メンバーに転進。ピクサーでは事業戦略の策定とIPOの実現を担当し、赤字のグラフィックス会社だったピクサーを数十億ドル規模のエンターテイメントスタジオへと変身させた。のちにピクサーの取締役にも就任している。
その後、会社員生活に終止符を打ち、東洋哲学と瞑想を学ぶとともに、それが現代社会とどう関係するのかを追求する生活に入った。いまは、このテーマについて文章を書いたり教えたりしている。また、そのために、ジュニパー基金を立ちあげ、創設者のひとりとして積極的に活動を展開している。
カリフォルニア州パロアルト在住。いまは妻のヒラリーとふたり暮らしである。

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