ロンドンを世界有数の金融都市に押し上げた、「エコノミック・ビッグバング」から30年以上が過ぎた現在、Brexit(英国のEU離脱)や米・イラン関係の悪化といったジオポリティクス(地政学)リスクが、国際金融システムに及ぼす潜在的な影響が懸念されている。

目前に迫ったBrexitが、エコノミック・ビッグバングの築き上げた金融市場の繁栄に与える影響について考察してみよう。

世界の金融システムを変えた「エコノミック・ビッグバング」

kostasgr/shutterstock, ZUU online
(画像=kostasgr/shutterstock, ZUU online)

エコノミック・ビッグバング(Economic Bigbang)は、1986年にサッチャー政権が遂行した、大規模な証券市場改革だ。ビッグバング(宇宙爆発起源論の大爆発)のごとく、世界の経済システムを揺るがしたことに由縁する。

ビッグバング遂行以前、資本回転率ではニューヨーク証券取引所(NYSE)が世界最大規模を 誇り、 ロンドン証券取引所(LSE)の資本回転率は、その13分の1程度にとどまっていた。LSEが、反トラスト訴訟(米国の競争法) の調査対象に巻き込まれていたことも、改革に着手する一因となった。

「過剰な規制や時代遅れのやり方が、自由市場競争への介入を阻んでいる」と見なしたサッチャー首相は、ロンドンの金融市場を世界に開放することにより市場競争力を強化し、戦後停滞していた英経済の活性化を図った。

具体的には、取引の最低固定手数料の廃止や電子取引の導入、外国企業による英ブローカーの所有許可 といった策が講じられた。

ビッグバングが生みだした正と負の遺産

サッチャー首相とともに大改革を支えたナイジェル・ローソン財務大臣が、どの程度ビッグバングの潜在的影響を予想していたかは不明だ。しかし、ビッグバングは結果的に、ロンドンに国際金融拠点の王冠を与え、英国の文化と経済に変革を起こしただけではなく、世界の金融市場の発展に著しく貢献した。

国内のブローカーやジョバー(証券取引所の売買注文担当者)、伝統的な商業銀行が合併し、一部は他の欧州や米国、日本の大手銀行に雇用あるいは買収された。

ロンドンの金融市場はにわかに活気付き、ビッグバングからわずか1週間で、LSEの取引量は週平均45億ドル(約4927億円)から74億ドル(約8102億円)以上へと急増した。

ビッグバングはこうした栄光を築く一方、負の遺産も残した。

ビッグバングによる市場の規制緩和は支配力の集中化を生み、市場における大手金融機関の支配力が拡大した。時として、「破たんするには大きすぎる(too big to fail)」企業の存在が、金融市場に脆弱性をもたらすことは、2007年の金融危機を振り返るまでもない。

Brexit後もロンドンは向かうところ敵なし?

ビッグバングは本来、「グローバリゼーション(国境を超えた産業や文化の発展)」というサッチャー首相の信念に基づく改革だった。世界の金融市場に、ポジティブ、ネガティブ両方の影響を与えたにせよ、その信念が全うされたことは疑う余地がない。

しかし、ビッグバングの発祥国である英国を筆頭に、国際金融主要国でジオポリティクス・リスクが深刻化する近年、グローバリゼーションの存続に疑念が浮上している。

目前に迫ったリスクの一つとして、Brexitが挙げられる。

英国が、圏内をモノや人が自由に移動可能なE U単一市場へのアクセスを失ったとしても、国際金融都市としてのロンドンの地位は不動であるとの楽観的な見方もある。「何百年にわたり構築されたロンドンの金融インフラ基盤は、他都市に移動させるには深すぎる」という根拠に起因するものだ。

確かに、ロンドンは欧州一のインフラ規模を誇る。ポストBrexitの移転先として最も恩恵を享受しているダブリン、ルクセンブルクといった都市の金融市場は、ロンドンに比べるとはるかに小規模だ。

「次なるEU金融拠点」の野望を燃やすフランクフルトやパリ、アムステルダムでさえ、ロンドンと同じ規模の金融インフラを築くとなると、気が遠くなるほどの時間と労力、資金が必要だ。同じことは、ロンドンを拠点とする企業や金融機関にも該当する。

激化する「クリアリングハウスの拠点」略奪戦

しかし、Brexit後のクリアリングハウス(決済・清算機関)についての対応策は、依然としてあまり進んでおらず、不透明なままだ。ロンドンには、LSE、ロンドン国際石油取引所、ロンドン金属取引所が運営する、3つの決済・清算機関(LCH、ICE Clear Europe、LME Clear)がある。