(本記事は、クレイトン・M・クリステンセンの著書『ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』(ハーパーコリンズ・ジャパン)の中から一部を抜粋・編集しています)

トヨタも採用する、「欠陥ゼロ」の自動車製造工程を実現するための理論とは

トヨタ
(画像=wolterke/stock.adobe.com)

ルイ・パスツールの名前を聞いて、牛乳を安全に飲めるようにしてくれたフランスの科学者だと思い出す人は少なくないだろう。彼が世界に与えた影響を象徴するのが、その名前にちなんで「低温殺菌する」という意味の英単語pasteurizeができたことだ。

パスツールの功績がいかに画期的だったかを理解するために、それ以前の人たちが、人間が病気になる理由をどう考えていたかについて見てみよう。医術にたずさわる者は2千年近くにわたり、血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つの体液が人間の健康と気分を支配すると信じてきた。それらの調和がとれているときは、万事順調で健康だ。調和が崩れると、病気になるか、気分が悪くなる。この理論は四体液説と呼ばれる。医術者は、体液のバランスが崩れた原因について季節的なものから食習慣の乱れや悪霊までさまざまに考えをめぐらせ、どうすれば体液が調和した状態に戻るのかを知るため、試行錯誤の実験を繰り返した。現代からすれば野蛮だが、当時は何百もの病気を治癒するといわれていた瀉血という療法もあった。治るときもあった。だがたいていの場合、症状は悪化した。

19世紀になると、人々は病気の原因を空中に漂う恐ろしげな瘴気や毒気によるものと考えはじめた。

ばかばかしく聞こえるが、じつのところ瘴気説は、四体液説より進歩している。というのも、瘴気説によって衛生改革がおこなわれ、本当の病因物質だったバクテリアの除去に効果をあげたからだ。一例をあげると、1854年にロンドンにコレラが蔓延した際、汚水溜めを排水して清掃し、あたりの空気をきれいにするという、国家主体の大がかりな事業がおこなわれたのは、瘴気説がもとになっていた。当時の医師、ジョン・スノウがコレラに発生のパターンがあることに気づき、ブロード通りにある特定の揚水ポンプ周辺に集中していることを突き止めた。スノウ医師は、コレラが瘴気ではなく汚染水を介して伝染する可能性が高いと結論づけ、水道施設の閉鎖と消毒を断行したのだ。彼の働きはおおぜいの命を救い、スノウは後世、史上屈指の優れた医師だったと称えられている。

こうした進歩はあったものの、スノウの分析では人を実際に病気にする根本的な原因には到達できていなかった。

そしてルイ・パスツールが登場する。1800年代半ば、彼は歴史に残る一連の実験をつうじて、一般的な病気の多くの原因がバクテリア──簡単にいうとばい菌──であることを解明した。パスツールの実験結果は広く受け入れられ、乳製品を安全に食べられる技術をもたらし、初代のワクチンや抗生物質の開発にもつながった。

何百年も解明されずにいた人が病気になる原因を、なぜパスツールは解明できたのか?それは、病気を引き起こす因果関係のメカニズムを説明する理論(ばい菌説)の構築に、自身の研究が役立ったからである。パスツール以前は、おおざっぱで検証しようのない推測、または根本的な因果関係が欠落した、漠然たる相関の主張しかなかった。パスツールの研究によって、病原菌がプロセスを経て伝達されることが実証された──小さすぎて肉眼では見えない微生物が、大気中や水中に、また物質や皮膚に付着して生息していて、微生物は宿主(この場合は人間)を侵略し、宿主の体内で成長して自己を複製する、というものだ。人が病気になるこのプロセスを特定できたからこそ、拡散を防ぐ手立ても講じられるようになった。つまり、家庭や社会の衛生に気をつけ、病気にかかるプロセスを遮断できるようになったのだ。私たちはみなパスツールに多大な恩恵を受けている。低温殺菌やペニシリンといった彼の直系子孫もすばらしいが、彼の業績そのものが偉大だ。パスツールは生物学に対する人々の理解を根本から変え、つじつま合わせの医術を合理的な科学へと飛躍させた。そして、その過程で無数の命を救った。

相関と推測をもとに答えを求めることから、根本的な因果関係のメカニズムへと目を転じることは、きわめて重大だ。そのメカニズムを正しく特定できれば、問題を解決する方法も、さらに重要な、問題を防ぐ方法も一変する。

今度はより現代に近い例を見てみよう。自動車製造業界である。

愛車に乗りこんでエンジンがかかるだろうかと心配したのは、いつが最後だったか。ありがたいことに、憶えていないほど昔のことだろう。だが、80年代まではそうではなかった。

デトロイトで適正な車が大量に生産されたのはまちがいないが、一方で、正常に走りそうにない欠陥車の数も無視できないほど多かった。故障したところを修理する間もなく、また別のところが壊れる。根本的な欠陥がいくつも重なり、完全な修理は不可能だった。メーカーにとっても買い手にとっても苛立たしい状況が続いた。

見方によっては、欠陥車がありふれていたのは別段驚くことではない。標準的な車にはおよそ3万個の独立した部品が使われている。セルモーターや座席シートのように、あらかじめ組み立てられた部品もあるが、それでも標準的な自動車製造の組み立てラインには、十数カ国・数百社のサプライヤーから届いた個別の部品が2万個ほど並ぶことになる。多数の供給元から膨大な数の物品を受け取り、所定の位置に接着して、正常に動く車を製造するという工程は、複雑さを通り越して奇跡だ。実際、品質の低さに対しては長年、製造には不ぞろいがつきものという弁明がなされてきた。毎回すべてを正しくおこなうことなどできるわけがない。

メーカーは、できるかぎり問題を修復しようと奮闘した。予備の部品を置き、検査員を配し、手戻りのための工程を用意しておき、組み立てラインで必ず起きる問題をすべて管理しようとした。だがあいにくなことに、こうした解決策によってコストは膨れあがり、複雑さは増した。用意された数々のプロセスは、ただ問題を小さくしただけで、欠陥車の根本的な原因を解消するにはほど遠かった。アメリカの自動車メーカーは、費用がかさみ、一貫性に欠け、信頼性が充分でない自動車を生産する高性能なプロセスをつくり上げてしまったのだ。

とはいえ、これもいまは昔話だ。W・エドワーズ・デミングとジョセフ・M・ジュランに影響を受けた日本の自動車メーカーが、年代から年代にかけて自動車の品質を劇的に改善した。

答えは基本のなかにあった。日本のメーカーたちは製造ラインにおける欠陥の原因を学習しようと徹底的に実験した。個々の問題の根本原因を特定できさえすれば、不具合の再発を防止するプロセスが設計できると考えたのだ。この努力により、製造ラインの不具合は激減し、品質は向上しつづけ、コストも格段に減少した。要するに彼らが証明したのは、プロセスの改善に注力すれば、高品質の車を確実かつ効率よく生産することは可能だということだ。日本のメーカーは、外国とはちがう発想でプロセスを構築した。プロセスの外へ欠陥を追いやることを何より重視したのだ。

欠陥が見つかると、彼らは科学者が〝逸脱〟を見つけたときのように行動した。つまり、それを悪とはとらえず、何が原因かを掘り下げ、製造プロセス全体を向上させる機会ととらえたのだ。欠陥の原因はきわめて詳細に追究され、いったん原因が特定されれば、問題のあるプロセスは変更されるか取り除かれた。

製造プロセスで逸脱を見つけ出そうとしているかぎり、欠陥のひとつひとつはプロセスを向上させるための好機と見なされる。ただし現場には、これを機能させるための一定のルールがある。たとえば従業員は、価値を付加するための次の工程に進むまで部品に変更を加えてはならず、すべてを毎回、同じ方法でおこなわなければならない。こうした積み重ねが、工場に科学の反復実験のような環境をつくり出した。毎回、細部に至るまで同じ方法でおこなうことで、その方法が毎回完璧な結果を生むかどうかのテストになる。

トヨタではこの理論を一連のプロセスとして具体化し、欠陥ゼロの製造工程を導き出した。工程の各作業は、「もしこれをすると、結果はこうなる」というIF─THENの条件式として見ることができる。この製造理論を通して品質改善運動が生まれた。アメリカのメーカーは競争相手の日本企業から多くを学び、現在は信頼性の高い車を大量に生産している。

イノベーションは品質革命そのものではなく、それを起こすまえの段階にある。だが、多くのマネジャーは不備や失敗をイノベーションの過程で避けられないことと受け入れ、一時しのぎの解決策を施すことに慣れすぎたせいで、そもそもの原因をじっくり考えなくなってしまった。

ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム
クレイトン・M・クリステンセン(Clayton M. Christensen)
ハーバード・ビジネス・スクールのキム・B・クラーク記念講座教授。9冊の書籍を執筆し、ハーバード・ビジネス・レビュー誌の年間最優秀記事に贈られるマッキンゼー賞を5回受賞。イノベーションに特化した経営コンサルタント会社イノサイトを含む、4つの会社の共同創業者でもある。「最も影響力のある経営思想家トップ50」(Thinkers50、隔年選出)の2011年と2013年の1位に選出。

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